現在の英国イングランド銀行。1694年設立当時の跡地はミトラ寺院であった。ネイサン・ロスチャイルドが英国中央銀行を設立したとする記事は間違いである。オレンジ公ウイリアムは「フェニキア・カルタゴ」の末裔でもある。心に青雲という記事にマルタ騎士団がある。また,ここのHPには英国 イングランド銀行の記事がある。フェニキアのカルタゴに関する本は何冊か読んだことがある。いわゆる,国際金融資本家について知りたかったからである。私のうんちくはともかくとして,要約してみよう。
マルタ騎士団が国家であることは,日本が認めていないから殆ど知られていない。それはバチカンが殆ど国家であるのと同じでもある。マルタ騎士団の設立は12世紀初頭の第一回十字軍のあとであった。十字軍がイスラム勢力によってパレスティナから追放されたあと,キプロスに移って,さらにロードス島を占拠してそこを根拠地とした。その後もエルサレム巡礼者を保護しつつ,16世紀になってオスマン帝国によってロードス島を追われ,根拠地をマルタ島に移した。ここからマルタ騎士団と呼ばれるようになった。1798年ナポレオンの侵攻によって,再び領土を失ったが,国家主権は認められ,ローマに本部の建物を有し,イタリア政府より治外法権を認められている。マルタ騎士団以外に,大きなところではテンプル騎士団(聖堂騎士団),聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団),ドイツ騎士団(チュートン騎士団・注:アングル人とサクソン人)etcなどがある。もっとも規模の大きかったのはテンプル騎士団である。
テンプル騎士団は,商品売買,金融にまでそのビジネスを広げ,当然無税であるから,十字軍に遠征費用を貸し付けるなどをし,ヨーロッパ中に金融網を築いた。これが世界ではじめての銀行支店ネット・ワークだった。各国,各都市に銀行支店ができたことで,現金を持ち歩かなくてもよくなった。しかし,フランス国王フリップ四世によってその資産は略奪された。1312年フィリップ四世はテンプル騎士団の解散を命じ,200年の歴史を閉じることになる。このフィリップ四世のユダヤ人虐殺は後に,フランス革命をAdam Weishauptによって仕掛けられることになる。そしてブルボン王朝は崩壊した。フランスのテンプル騎士団の一部はスコットランドに逃れ(1307年),当時英国と交戦状態にあったスコットランド王に歓迎され,テンプル騎士団の武力援助を得て,スコットランドは独立を勝ち取った。フランスから逃れてきたテンプル騎士団の残党を,スコットランドのフリーメイソンが受け容れることになった。
現在のフリーメイソンの位階はロスチャイルドが作ったものではなく,スコッチ儀礼の33位階と呼ばれる。ユダヤ人との結びつきを深め,残虐なフィリップ四世を手本として,金融網をヨーロッパ全土に敷くことができたのは,ユダヤ商人の智慧でもあった。そして次第にユダヤ人は騎士団とフリーメイソンと提携すると同時に乗っ取ったのである。そして1776年ドイツの赤い楯・ロートシルトの代表マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドがAdam Weishauptに命じイルミナティが5月1日に誕生した。それから,歴史は変わった。マイヤーがウィルヘルム九世から掠め取った金をロンドンに派遣したネイサン・ロスチャイルドに送り,ネイサンはワーテルローの戦いで資産を2500倍に増やしたのである。
国際金融資本家の推移は,フェニキア・カルタゴ・ベネチア・アムステルダム・ロンドン・ニューヨークと移って行ったと考えても不思議ではなかろう。ネイサン・ロスチャイルドは1836年に死に,英国イングランド銀行の設立は1694年である。これはネイサンの生まれるはるか昔のことである。アムステルダム銀行設立は,ほぼオランダ東インド会社設立と時を同じくする1609年である。世界最古の中央銀行はスウェーデンのリクス銀行であり,バルムストルック銀行がその前身であったが,この銀行の設立者ヨハン・バルムストルックはオランダ人と言われている。バルムストルルック銀行のモデルはアムステルダムの銀行である。そしてこの時代のオランダ統治者はオレンジ公(オラニエ家)である。オレンジ公は「フェニキア・カルタゴ」の末裔でもある。