シェルブールの停電事件 再処理工場が大爆発を起こすと、どうなるだろう。
これは要するに、原子力発電所を百基とか一千基とか束ねて、それが同時にメルトダウン→ガス爆発(または核爆発)の経過をたどるもの、と理解してよい。
その結果は、すでに西ドイツで解析されている。西ドイツのレポートによると、万一冷却装置が不能になると爆発によって工場の周囲百キロの範囲で、全住民が致死量の十倍から二百倍の放射能を浴びて即死、つまりチェルノブイリからキエフの範囲、あるいは東海村から東京の範囲が即死地帯となる。最終的死亡者の数は、西ドイツ全人口の半分にのぼる可能性がある、というのだ。
このレポートが西ドイツのケルン原子炉安全研究所から内務省に提出されたのが一九七六年七月、いまから十年以上も前のことであるから、その当時より原子炉の数も規模もずっと大きくなっている今日では、蓄えている死の灰が桁違いに大きく、
「致死量の及ぶ範囲は一万キロを超える」というのが定説になっている。
一万キロ?
地球の一周が四万キロだから、前後左右に一万手口の範囲をカバーすると、
地球の半分を覆いつくす範囲の人間が死んでしまう。国民の半分どころではない。地球の半分だ。しかしラ・アークの再処理工場から一万キロの円を描くと、左の桧(投稿者注:転記の都合下の図)のように、人類のほとんどがこの世から姿を消す。
一万キロ?一万をさかさに読むと万一……
その万一のことが、この一九八〇年代にフランスで起こりかけたのである。
これほど大変な事故が起きかけたというのに、それを知っている人は、全世界でも数少ない。これは、火災発生と同時に、フランスの大統領ジスカールデスタンが完全な報道管制を命じたからである。わが国で「あわや大事故」と報じた毎日新聞の日付が、火災から二ヵ月も後の六月十一日である。さまざまな民間情報から、ようやく事件の全貌がわかってきたのである。
しかしわが国の原子力産業は、このような人類史上の大事件をほとんど報じていない。飛行機のニアミスがあれば、プロレス新聞まがいの見出しが社会面を飾るが、原子力の危険性は故意に隠されているのではないか。東海村の再処理工場がラ・アーグエ場をモデルに設計されているので、そのような事件が世間に伝われば、大問題となる。加えて、東海村を桁違いに大きくした第二再処理工場がすでに計画されているこの時点で、ラ・アーグの事件はあまりに「まずい」のだ。
当事者でさえこの事件を知らされていない。たとえば実際に再処理工場を動かしている“原発シンジケート”の下部集団である。原子力発電所そのものの内部で、いわゆる運転員や作業者が、黙々と原子力に肉体を捧げている現場に目を向けてみよう。
彼らは電力会社の従業員として、入社した時から社内教育を受ける。一人ずつに教科書が手渡され、原子力安全論を吹きこまれる。一例を引くと、東京電力では『原子力の周辺』と題した教科書が採用され、そのなかで再処理工場の大惨事が論じられているが、
───すると、万一水の循環が止まったら?
「そうですね、熱目のフロのお湯ぐらいには温度が上がりますが、沸騰するなどということはありませんよ」
と書かれている。事実フランスのラ・アーグ再処理工場では、放射性廃液が沸騰し、全世界が死滅寸前の重大事に直面していたが、電力会社はその危険性を社員に教育していないのである。したがって運転員も作業者も、あるいは重大な点検と整備をおこなう下請け作業者も、彼らの妻子を含めた地元民も、原子力の危険性を「熱目のフロのお湯」のレペルでしか認識できないのである。その教科書の内容こそ、日常接する大新聞に流れこんで多くの人を洗脳してきた安全論の危険な正体でもある。