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投稿者 ダイナモ 日時 2009 年 8 月 25 日 19:19:27: mY9T/8MdR98ug
 

総選挙直前の今こそ、小泉構造改革の総括をすべきである(森永卓郎)

http://www.nikkeibp.co.jp/article/sj/20090825/176258/

 いよいよ総選挙が1週間後に迫ってきた。もちろん選挙結果も大切だが、本当に大事なのは、新しい政権が何を重要視して、どういう政策を打ち出していくかにあることはいうまでもない。何年後になるかは分からないが、次の総選挙までにはたして普通の国民が幸せになれるような政策が打ち出されるのか、それが問題である。

 そんなことを思ったのは、経済同友会、連合、日本青年会議所、全国知事会をはじめ、民間のシンクタンクを含めた9団体による、前回総選挙以降の自公連立政権の政策実績評価の結果を見たのがきっかけである。これは、学者や経済人らでつくる「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)主催の政権実績検証大会において8月2日に発表されたもので、政策実績が点数によって評価された。

 最高点でもPHP総研が付けた58点どまり。60点以上の及第点を付けたところは1つもなく、平均点は46点ときわめて低い評価に終わった。ただ、点数だけを取り上げて、どうのこうのといってもあまり意味がない。むしろ、点数をつけてしまったために、そればかりに目を奪われてしまい、大切なことが見えにくくなってしまったきらいがある。

 というのも、どこも辛口の評価をしているのは共通だが、評価する観点が大きく違っているのだ。たとえば経済同友会は、改革が先送りされているという理由で低い点をつけている。その一方で連合は、その立場からすれば当然ながら、日本を弱肉強食社会にしたとして低い点をつけた。結局、労使双方のどちらのグループにとっても不服という結果になったことは、小泉内閣以来の構造改革路線が、よくも悪くも中途半端になっているということを示している。そして、まさにそのことが、自民党内の混乱に拍車をかけたといってもいいだろう。

 都議会議員選挙後の内紛劇においては、その根本に小泉構造改革をどのように評価するかという点において、大きな対立があったのはご承知の通りである。あのゴタゴタは、本音では小泉構造改革と一線を画したい麻生総理と、構造改革派の議員たちとの権力闘争だっともいえよう。

 本当ならば、麻生総理はもっと早い時期に解散・総選挙をして、小泉構造改革に対する総括をすべきだった。ところが、解散を先延ばしにしてきたためにそれもできず、結局はその後の自民党内の大混乱の原因となり、ひいては支持層の離反を招く結果に陥ってしまったわけである。

 小泉構造改革は単なる過去の問題ではない。やがて成立する新政権の政策を考えるうえでも、今こそきちんと総括すべきだと思うのだ。

小泉内閣時代に国民全体の手取りは14兆円も減った

 では、小泉構造改革とはなんだったのか、まず数字から見ていくことにしよう。

 小泉純一郎氏が総理大臣の座にいたのは、2001年4月から2006年9月までのことである。その5年半の間に、構造改革の進行によってわが国の経済は高成長を遂げたと言われているが本当だろうか。そこで、2001年1〜3月期と2006年7〜9月期と比較すると、実質GDPは507兆円から 550兆円へと43兆円増えていることが分かる。伸び率にして8.5%増。年平均成長率は1.5%である。振り返ってみるとたいした成長ではない。

 ところが、昨年のリーマンショック以降のたった半年間で、実質GDPは40兆円も減少してしまった。5年半をかけて痛みに耐えてようやく43兆円をかせいだのに、そのほとんどが一瞬で吹き飛んでしまったことになる。構造改革派の人びとは、その原因を構造改革の後退あるいは不徹底というが、そもそも構造改革自体が砂上の楼閣だったのではないか。バブルでふくらんだ成長が、バブル崩壊によってしぼんだだけなのである。

 では、その間の雇用者報酬はどうなったのか。雇用者報酬は名目値でしか発表されないので、名目GDPと比較してみよう。

 名目GDPは、小泉構造改革時代に、501兆円から507兆円へと6兆円の増加。伸び率は1.5%であり、年平均成長率は0.3%にすぎない。ほとんど増えていないのだが、雇用者報酬の数字はもっと悲惨である。小泉内閣の5年半で、雇用者報酬は271兆円から266兆円へと5兆円の減。マイナス 1.9%になっているのだ。GDPが6兆円増えても、労働者の収入は逆に5兆円減ったのである。

 しかも、その間に、厚生年金や健康保険などの社会保険料の負担が4兆円増え、定率減税の廃止や配偶者特別控除の廃止などで5兆円の増税が行われた。収入が5兆円減って、負担が9兆円増えたのだから、国民全体の手取りは、合計で14兆円も減ったことになる。これでは、いくら景気が回復したといわれても、国民が実感できなかったのは当然のことだ。

構造改革論者によれば労働者は単なる部品にすぎない

 雇用者報酬が減少した理由について、構造改革派の人たちは次のように説明していた。「激しいグローバル競争のなかでは、価格競争力を高めないと生き残ることはできない。人件費抑制はやむをえないことなのだ」。

 だが、それは完全な偽りであった。2000年度と2005年度の決算をくらべてみると、大企業の経常利益は52%も増加しており、大企業の1人当たり役員報酬は85%も増えている。さらに、企業が支払った配当金は159%と、大幅に増えているのだ。なんのことはない。人件費が減らされた一方で、経営陣や金持ちの所得は大幅に増えたのである。

 しかも、庶民が増税や社会保険の負担増にあえいでいるなか、株式配当の減税、研究開発減税、IT投資減税、連結納税制度の創設、欠損金の繰越期間の延長など、主として金持ちや大企業向けの減税が3兆円も実施された。財政が厳しいからやむなく庶民の負担が増やされたのだと思っていたら、金持ちと大企業を減税するための増税だったわけだ。

 これが小泉構造改革の姿である。庶民に厳しく大企業や金持ちへの分配を手厚くするというのが、その本質なのだ。だが、小泉構造改革がよって立つ経済学的な立場を考えれば、それも不思議ではない。いわゆる構造改革論者が信奉している新自由主義というのは、新古典派経済学に立脚しているからだ。

 新古典派経済学がそれまでの経済学と大きく違っているのは、付加価値創造に関する考え方である。新古典派経済学によれば、付加価値をつくるのは資本家である。資本家は、財の市場からトラックや製造機械などの資本財を調達し、労働市場から労働力を調達する−−この2つを組み合わせた瞬間に付加価値が生まれると考えるわけだ。

 これに対して、それまでの経済学では、付加価値をつくるのはあくまでも労働者であった。労働者が、一生懸命努力していい製品やサービスを創造することで、付加価値をつくっていくと考えてきたわけだ。

 要するに、新古典派経済学によれば、経済成長の担い手は資本家なのであって、けっして労働者ではない。だからこそ、資本家を大切にすべきだという論理になり、彼らへの分配を手厚くするわけだ。資本家にとって、労働者は付加価値を生むための部品に過ぎない。だから、道具と同じであって手厚く処遇する必要はないと考える。できるだけ低い報酬でこき使い、稼いだ報酬からも徹底的に税金を搾り取る。使えなくなったら、使えるものと交換すればよいだけのことである。

小泉構造改革が残した2つの大きな禍根

 小泉構造改革が進展していった結果、わが国に2つの大きな禍根を残してしまった。

 1つは、格差社会だ。2001年1〜3月期に27.2%だった非正社員の比率は、2006年1〜3月期には33.2%と、6ポイントも高まった。日本では正社員の賃金を下げにくいので、非正社員をどんどんと増やすことで、一人当たりの人件費を減らしていったわけだ。国税庁の「民間給与実態調査」によると、2007年には年収200万円未満の給与所得者数が1023万人となった。1000万人を越えたのは21年ぶりのことだ。

 付け加えれば、所得の低い人が増えればモノが売れなくなるのは当然のこと。賃金の下落と物価の下落が悪循環を繰り返してデフレ経済に陥る。それが、現在の日本の経済状態である。

 2つ目の禍根は、金融資本の暴走を許したことだ。新自由主義は資本家が付加価値をつくると考えるため、金持ちはどう金を使おうといいという発想になる。人の頭を踏みつけようが、足を引っ張ろうが、基本的なルールを守りさえすれば何をやっても構わないし、誰も責められない。そうしたやり方が、極端な金融資本主義につながっていった。確かに、それで一時は非常にうまくいったように見えていた。金が金を呼んで、金持ちがますます金を増やしていったのである。

 だが、小泉構造改革で強くなったように見えた経済というのは、リーマンショックによって、単なる金融バブルであったことがわかった。だからこそ、5年半もつらい思いをして積み上げた付加価値が、一瞬で吹っ飛ぶという現象が起きたわけである。現在の政権は、日本の不況の原因を米国に押しつけているが、それは正しくない。確かに米国にも問題はあったが、日本もまた同じようなことをしていたのである。

政権交代が単なる権力者の入れ替えであってはならない

 前回の郵政選挙で国民が熱狂した背景には、自民党旧田中派と官僚、そして大銀行による長期権力支配のなかで国民がうんざりしていたという事実がある。そうした利権と腐敗の構造を「ぶっ壊す」といって小泉内閣が登場したわけだが、結局彼は何をしたのか。当初公約していた天下りの禁止には一切手をつけずに、ひたすら不良債権処理の加速化と郵政民営化に精を出したのである。

 そして、不良債権処理という掛け声のもとで大手銀行の経営を追い詰め、その融資先の企業の資産を二束三文で投機資本に売り渡したのだ。

 郵政民営化では、ゆうちょ銀行やかんぽ生命の株式を完全売却する段取りを整えた。しかし、郵政民営化が国民を豊かにするためのものではなかったことは、かんぽの宿の売却問題でも明らかになった。旧田中派に代表される利権や癒着との対決を叫んできたはずの構造改革推進派の人たちは、自分たちが権力を握ったことによって、新たな利権と癒着と腐敗の構造にどっぷりとつかっていたのである。

 結局のところ、構造改革というのは、構造改革推進派の仲間たちの間で、改革の利益を山分けするための権力闘争だったのだ。

 だが、歴史的にみれば、こうしたことはちっとも珍しくない。よく考えてみると、20世紀に起きた共産主義革命もまた、これと似たような結果になったではないか。19世紀以降、資本主義が強化され、資本家が富を独占していく一方で、庶民は貧困と抑圧にあえいでいた。その怒りが爆発する形で共産主義革命が世界各地で起きたが、結果的に庶民が貧困や抑圧から解放されることはなかった。それどころか、言論の自由を手にすることさえなかった。共産主義革命は、権力者が入れ替わっただけのことだったのだ。

 今から数年前、自民党をぶっ壊すことで庶民の暮らしが豊かになり、抑圧から解放されると誰もが思っていた。だが結局は、支配者が自民党田中派から構造改革派に代わっただけで、生活はむしろ前よりもひどくなってしまったのである。極めて急ぎ足ではあるが、これがわたしなりの小泉構造改革の総括である。

 そして、総選挙を前にしてまた思うのである。新しい政権は、普通の人が幸せになれる政策を、どう打ち出していくのだろうかと。仮に民主党が政権をとったとして、また同じことが起きる可能性は十分にある。だが、そうしてはならない。そして、そうならないように、わたしたちはきちんと新しい政権を監視していく必要があるのだ。

 

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