オバマ米大統領の登場は、行き詰まったブッシュ政権に取って代わる「政権交代」だったから注目を浴びたわけではない。彼の提唱する「CHANGE」が、世界に対するそれまでのアメリカ一極支配の停止、多国間協力への歩み寄りを意味し、国際社会がまったく新しい歴史的転換期を迎えることを予感させたため、アメリカのみならず、全世界の注目と関心、さらには期待を集めたのだ。 そして実際に、イスラム圏との対話、中南米との和解、中国との協調など、オバマ大統領は、かつてのアメリカ外交では考えられなかった新路線の開拓に乗りだし、4月のプラハ訪問に際しては、「核廃絶」を自分に使命として課す演説を行い、大きな感銘を与えた。国内政治においても、公的な医療保険制度の創設に精力を傾け、社会保障を市場原理主義の弊害から救出しようとしている。そこには、歴史の転換期にふさわしい政治の役割、新しい時代の流れを加速し、その可能性を追求していこうとする政治の挑戦がみてとれる。 ひるがえって8月30日を投票日とする、今回の日本の総選挙はどうか。政権獲得間近とみられる民主党の鳩山代表は、今回の選挙を「革命的選挙」と評し、やはりこの総選挙は、歴史的転換期を前にした重要な意義をもつものだ、と強調した。他の野党も口々に、歴史が変わる選挙、歴史を変える選挙だ、と唱えている。しかし、ではどのように歴史が変わるのか、各党は総選挙に臨んで日本の新しい歴史的針路をどのように示しているのか、となると、どうもオバマの「CHANGE」のような大きな変革、政治の明確な路線転換を示唆するようなものは、どの党のマニフェストからも見えてこない。 民主党は「政権交代」をクローズアップする。だが、新政権がどのような歴史的転換をもたらそうとするのかは、浮かび上がってこない。他の野党は、自公政治に終止符を打つ、という。だが、ではそのあと、自公政治の敷いてきた路線をどう変えるのか、そこにどのような画期的意味が現れるのかとなると、よくわからないのだ。 自民党に至っては、これまでやってきた政治が一番いい、とする立場だから、転換期ということを口にはするが、なにかを大きく変えるという気はまるでない。あとは、子ども手当、高速道路料金、教育補助などなど、あっちの党のいうことより、こっちのいうことのほうがいい、というような個別政策の宣伝ばかりが繰り返されているだけだ。 これでは、有権者・国民の関心を、総選挙に力強く引きつけることはできない。各党がだめなら、メディアが歴史的転換期に際会した総選挙の意義を明らかにし、さらに、日本の21世紀の政治をこのように変えていくべきだと、思い切った提言を開陳してもいいはずだ。だが、そうしたメディアの議論も低調なのが実情だ。 解散の翌日、7月22日、朝日の朝刊は1面の題字下に「8・30総選挙 投票日まで39日」とタイトルを打った囲みをつくり、総選挙の行方を占う、当日紙面の主要記事目次を設けた。翌日は「投票日まで38日」と、カウントダウン方式で読者の関心を連日、選挙に導いていこうというわけだ。しかし、取りあげられた記事は、ほとんど自民・民主の対立、自民党内のゴタゴタ、霞ヶ関の異変など、ありきたりの選挙をめぐる話題を内容とするものばかりで、がっかりだ。 新聞は、40日もの選挙運動期間、どの党も候補者も、言うことにせよ、やることにせよ、もつのか、と皮肉っていた。だが、朝日のこの目次欄をみていると、新聞だってもたないんじゃないか、と皮肉を返したくなる。 大げさでなく、総選挙が前にしている歴史的転換期とは、黒船来航、明治維新、日清・日露戦争、アジア太平洋戦争、敗戦、冷戦体制と日米安保、冷戦体制崩壊、第1次湾岸戦争・アメリカ一極支配、「9・11」・アフガン・イラク戦争、アメリカ一極支配終焉・国際社会の多極化、対応迫られる東アジアの経済協力・安全保障政策、核廃絶への道筋など、過去から現在にかけての多くの歴史的出来事や、近い将来に直面する問題を踏まえて、考察されるべきものだ。 このような枠組と展望の下で、日本は、私たちは、総選挙を機にいかに変わるべきか、を論じようとすれば、新聞もテレビも今、読者・視聴者に伝え、語りかけなければならないことは、たくさん思いつけるはずだ。投票日までそうした議論を、力を込め、大いに展開してもらいたいものだ。 ◇ ◇ ◇ 桂敬一「ニュースへの視点」(北海道新聞7月25日夕刊掲載) 新しい針路示す議論を 7月12日の都議選・自民大敗北と、同13日の麻生首相「8月30日総選挙」予告のあと、新聞もテレビも「やっと選挙だ」と、どよめいた。しかし、何のための選挙か、日本はどう変わるのかとなると、政治家・メディア、ともにぐちゃぐちゃで、何を判断するための選挙かがいっこうに見えてこない。まさか「政権交代」だけが目的ではあるまい。 ◆ 無視される日本 そこにフランスの月刊新聞、ルモンド・ディプロマティークが発行の隔月刊誌、『ものの見方』(マニエール・ド・ヴォアール)6・7月号が届いた。なんと全巻日本特集、テーマは「シカトされる日本」だ。日本が欧米を長年手本としてきた「近代モデル」も、敗戦後の冷戦体制下における自由主義信奉モデルも、さらには冷戦崩壊後のアメリカ一辺倒グローバリズム・市場原理主義モデルも、もうだめになった。おまけに、アジアでの中国などの台頭を、日本はアメリカと一緒になって「敵」とみて向かっていくのか。あるいはアメリカと中国が親密な関係になったら、どっちかについていけばいい、ということなのか。そこもどうもはっきりしない。80年代半ばから約10年の日本の発展は、世界を刮目させたが、このままの日本には、どの国だって振り向こうとしないだろう。 こう書くと、意地悪いものの見方のように感じられるかもしれないが、けっしてそうではない。心情溢るる心配といったほうが当たっている。むしろ、いつまでもアメリカを信じつづけるだけでいいのかい、とする気遣いさえ感じさせ、複雑な思いがする。 ◆ 選挙の真の争点 昨年夏のアキバ事件と日本の「失われた世代」、日系南米人労働者の境遇、工業成長政策の傍らで見捨てられた農業、「欧米近代モデル」の限界、アメリカとの産業摩擦、禍いとなりつづける歴史認識問題、日本の軍事力拡大とアジア諸国との共存関係の行方、対米関係の変化、中国・アジアの対日観の変化、日本社会のダイナミズム―混沌と可能性、伝統文化の再構築、在日外国人市民問題……。話題としては、実に多岐にわたっている。 あらためて今度の総選挙のことを考える。そこで問われるべきは、『ものの見方』誌のこのような問題意識や、問題解明のための枠組み、重点課題の設定全部を、日本人が自分で考え、自力でやってみせる、ということなのではないか。世界は今、明らかに変わりつつある。その流れのなかで国の新しい針路を探る試みは、自分でやるしかない。国民一人一人には荷が勝ちすぎる。まさにメディアの出番ではないか。世界に「シカトさせない日本」のあり方を示す議論を、向こう30日余、大いに発展させてもらいたい。 (かつら・けいいち/元JCJ代表委員、元東京大学教授)
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