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国際大会で日本選手を応援したくなるレベルのいわゆる愛国心は誰でも持っているだろう。では、そうした人々を愛国者といえるだろうか。日本選手を応援したくなる者が愛国者なら、日本国中愛国者だらけである。これはさすがに実感とは異なり多いに違和感がある。国語辞書の上では愛国者という言葉はなく、愛国の意味として「自分の国を愛すること」ある。すると愛国者は「自分の国を愛する者」ということになる。辞書上の定義はそうだろうが、我々が「愛国者」という言葉に抱くイメージと乖離があるように思われる。「わたしは愛国者だ」と公言するものは多くないだろう。そこまでは言いたくないという感覚だろうか。現実としては愛国者という言葉の響きから、そこには何らかのハードルを超えた者のみにふさわしい言葉と思惟できる。 あるハードルを超えた者というとき、ハードルにふさわしいのは「国のために死ねるか」だろう。国のために死ねる者なら本物の「愛国者」であると断言しても誰からも批判されないと言い切れる。ここでの国とは何かが問題になるがこれは後述する。では国民の中に占める愛国者の割合はどのくらいだろう。それには国際比較が必要だ。他の国と比較することによって愛国者が多いか少ないか知ることができる。または日本一国での歴史的時間軸での比較も意味があるだろう。いずれも社会学の研究対象となりうるテーマだと思う。が、さすがに「国のために死ねるか」という刺激的な問いに対する社会学的調査は行なわれていないようだ。 そこで設問を変えて、「もし戦争が起こったら国のために戦うか」としてみる。この問いに「はい」と答えた者は愛国者と見なしてもそれほどの齟齬はないはずである。ここに2000年の国際調査結果がある。
この結果を見ると、「はい」と答えた者の割合は15.5%で、36カ国中堂々の最下位である。これはわたしの実感とも合っている。2005年に24カ国を対象にした同様の調査結果もあるが、これも15.1%で最下位を堅持している。この問いに「いいえ」と答えた者は戦時においては「非国民」と見なされて大弾圧を受ける可能性が高い。だから実際に戦時となったら本音ではいやいやながら召集令状に応じる者が兵隊のほとんどを占めることになるだろう。本音と建前の使い分けである。こうして国際比較をしてみると、日本人の中に占める「愛国者」は貴重な存在ということができる。この理由の一つとして憲法9条の存在は魅しできないだろう。これに対して「はい」と答えた割合が最も高い国は、ベトナムと中国ということになる。いずれも過去に侵略を受け、それからの武装解放闘争の経験がある国である。国が侵略を受けたのは軍隊が弱かったから、ということが現在の国防意識の高まりに反映されていると見られる。 その他に「自国民であることの誇り」についての調査結果も愛国者に関連する考え方である。これは愛国者であるための必要条件に相当するだろう。自国民であることに誇りを感じなければ愛国者にもなれないからだ。2000年の調査結果がある。
この調査で日本は、自国民であることの誇りを「非常に感じる」と「かなり感じる」を合わせた合計が、60カ国中、最低から4位の位置をキープしている。最下位2カ国はいずれも多民族国家であるため、「自国民であることの誇り」を感じる人が少なくても当然と言える。そうすると日本は実質的には最下位から2番目という堂々たる結果である。 以上、二つの国際調査結果から言えることは、日本人に愛国者はとても少ない、という現実である。どうして日本に愛国者がこんなに少ないのだろう。戦後の教育基本法の所為だろうか? それとも戦争放棄を定めた平和憲法の所為だろうか? はたまた一時期の戦後教育を「牛耳ってきた」日教組の所為だろうか? わたしはいずれも違うと思う。 かつてアジア太平洋戦争を引き起こし、中国に1000万人以上、日本に300万人以上、その他、フィリピン、インドネシア、ベトナムなど、合わせて2200万人以上を死に追いやった直接の責任がある日本国が、いまだに自らの戦争責任の総括をせず、戦争責任を曖昧にしていること。この事実が、愛国心を持てない数多くの日本人を生んでいる。 多くの日本人はかつてのアジア太平洋戦争に対して日本に戦争責任があることを知っている。しかしながら、日本国政府が正式に過去に侵略行為を受けた国々に一度でも謝罪したことはない。1995年に時の首相、村山氏が「戦後50周年の終戦記念日にあたって」と題する声明(村山談話)で初めてアジア太平洋戦争が侵略戦争であること認めて謝罪しており、以降、日本政府の基本認識とされてきた。だが、村山談話は「談話」でしかなく、日本国政府としての正式な謝罪とは言えない。それが右派政治家の度重なる戦争責任否定発言につながっている。否定発言と謝罪発言の繰り返しがいまだに行なわれており、日本は本心では謝罪していないのではないかという疑心暗鬼をアジア諸国に抱かせる結果となっている。 日本国政府としての正式な謝罪とは、アジア太平洋戦争で被害を受けたすべての国にあてて明確に日本の侵略行為の責任を認め深く謝罪し、二度と繰り返さないことを衆参両院での「国会決議」とすることである。国会決議に反する発言を行なった政治家は即刻除名処分にすべきである。2200万人の死に責任がある日本はそれだけの責任を未来永劫忘れることなく、次世代に伝えていく責務がある。靖国神社の遊就館は撤去されなければならない。こうして初めて国際的に日本は戦争責任を認め謝罪したと認知され、アジア諸国との新しい関係を築くことができるだろう。 アジア太平洋戦争中の日本国内ではほぼすべての国民が表面上は愛国者だった。ごく一部の非国民を除いて。非国民は山にこもって人知れずの自活生活を強いられた。愛国者だった国民の多くは本音と建前を使い分けていた。特高の目の届くところでは愛国者として振る舞い、特高がいなくなれば軍部に悪態をついたりした。戦時にあっても愛国者は少数しかいなかった。それは戦争の目的に大義を見いだせなかったからだ。いつのまにか何の理由で戦争を始めたのかも忘れ去られるようになった。国内が空襲されるようになると国民の厭戦気分はより一層高まっていた。1945年3月10日の東京大空襲では一晩で10万人が死んだ。この爆撃は民間人を爆撃対象にした戦略爆撃であり、ジュネーブ条約に違反する戦争犯罪である。一方、日本軍が中国の重慶に対して1938年12月4日より1943年8月23日にかけて、断続的に218回行なった爆撃では、1万1800人が死亡している。この爆撃が民間人を対象とした最初の戦略爆撃とされている。歴史の皮肉と言うか、日本は自らが最初に行なった戦争犯罪である戦略爆撃で、後に米軍により30万人以上が殺されている。広島、長崎の原爆による死者も含めれば70万人に達する。 軍部は配色が濃くなると爆弾を搭載した飛行機で敵艦に体当たりする特攻作戦を行なうようになった。特攻隊員の遺書が数多く残されているが、その遺書には本音が書かれていない。特攻などで死ぬのは嫌だ、という本音が書かれていない。特攻隊員は希望者を募るという手順が決められていたが、実際には本音では特攻など嫌だと思いながらも社会風潮から自ら特攻を希望せずにはいられないという無言の圧力を受けて、それに屈したものが大半だったのだ。いまだに特攻隊員が特別に美化されている現実には違和感を抱かざるを得ない。彼らは死を強制された者たちであり、本音では特攻隊員などにはなりたくなかったのだ。自分が死んで何になる。敵艦に体当たりする前にほとんどが撃墜されていた。その死の意味に隊員たちは苦しめられた。本心から自ら進んで国のために特攻を希望した者は少数だったのだ。特攻での死者は1万4000人を数える。 1945年4月6日、日本海軍は戦艦大和を含む連合艦隊の残存艦艇を沖縄までの片道燃料で水上特攻作戦を行なった。出航前夜、大和艦内では最後の酒宴が開かれた。酔いが進むにつれ、乗組員の間で論争が起きた。沖縄特攻に何の意味がある、戦局を挽回することはできず、結局は犬死にではないかという本音の主張と、特攻することに意味がある、海軍も特攻に加わることで一致団結、一億総特攻の体制を作ることができるという建前論の主張である。ともに自らの死の意味を探し求めてのものだった。この論争は双方つかみ合いの乱闘になりかけた。この論争は、ある大尉の言葉で収まったという。 「進歩のないものは決して勝たない 負けて目ざめることが最上の道だ 日本は進歩ということを軽んじ過ぎた 私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた 敗れて目ざめる、それ以外にどうして日本がすくわれるか 今、目ざめずしていつ救われるか 俺達はその先導になるのだ 日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃないか」。 これこそ本当の愛国者の言葉だ。 確かに平和憲法が誕生し、民主主義の国に変わった。しかし、いまだ戦前の亡霊が蘇ろうとしている。憲法を改悪し、日本を戦争ができる国にしようとする勢力が復活しつつある。二度と戦前を繰り返してはならない。それがアジア太平洋戦争2200万人の死を犬死ににしないことだ。 毎年、8月になると原爆記念日、終戦記念日と続く。しかし、戦争被害国としての日本は盛んに取り上げられても、戦争加害国としての日本が取り上げられることはあまりにも少ない。日本が引き起こしたアジア太平洋戦争によって死亡した2200万人近くのアジア諸国の戦争被害者を追悼する記念日が必要だ。日本人300万人の追悼はよいが、それ以上にアジア諸国2200万人を追悼する国の施設を作らなければならない。日本の罪はあまりにもスケールが多すぎる。その罪をあがなうには到底叶わないが、アジア諸国戦争被害者追悼施設を建造し、未来永劫、二度と戦争は繰り返さないとの誓いの施設とすれば、アジア2200万人の死も無駄ではなかったということができるだろう。 |