解説 立川反戦ビラ弾圧事件とは 憲法の自由権踏みにじる 不当逮捕・起訴との闘い 二〇〇四年一月十七日、イラク戦争に自衛隊が派兵されることに反対して、立川自衛隊監視テント村の三人が立川自衛隊官舎に「自衛隊、ご家族の皆さん、自衛隊のイラク派兵反対!いっしょに考え、反対の声をあげよう!」とするチラシ入れを行ったことが、住居侵入罪に値するということで、二月二十七日早朝突然の逮捕となった事件。 自衛隊官舎へのチラシ入れは三十年来行われてきたが、こうした弾圧は今回が初めてだった。それも立川警察署がわざわざ被害届けを出すように官舎管理者の自衛隊側に要請したことが後で分かったが、用意周到に弾圧が仕組まれた。 今回の弾圧は日常的に行われている集合住宅へのチラシ入れに対する弾圧と自衛隊への反戦ビラ入れに対する弾圧という二つの側面を持つものであり、憲法の表現の自由を真っ向から否定するものであった。全国の市民運動団体や法学者から、逮捕・起訴へ大きな批判が寄せられた。また、チラシ入れ弾圧は立川自衛隊監視テント村にとどまらず、共産党系が行った官舎や集合住宅へのチラシ入れに対して、逮捕・起訴するという異常な弾圧も続き、こうした被弾圧者が連携しながら、反撃の闘いが作られた。さらに、アムネスティインターナショナルによって、「良心の囚人」に日本人として初めて認定された。国連・自由権規約委員会でもとりあげられ、日本の対応が批判された。 一審東京地裁八王子支部では完全無罪判決が下されたが、東京高裁(05年12月9日)・最高裁(08年4月11日)とも「住居侵入罪」を認めて有罪とされ、罰金十万円(1回だけのチラシまき)と二十万円(2回)の刑が確定した。 (M) 社会風潮におも ねった不当判決 三月七日、立川の三多摩労働会館で「5年間ありがとう!立川・反戦ビラ弾圧 最後の集会」が立川反戦ビラ弾圧救援会の主催で開かれ、会場にあふれる百三十三人が参加した。 最初に、救援会の代表・大沢豊立川市議が「立川反戦ビラ弾圧事件はたいへん大きな問題だった。弾圧後全国へ発信し、支持が広がった。非正規労働者がゴミのように捨てられている。社会が劣化している。これを立て直すために、ひとつひとつやっていかなければならない」と語った。 次に石埼学さん(亜細亜大学教員)が「司法の、法からの、逸脱?」と題して講演を行った。石埼さんは「この事件は反自衛隊的ビラをねらいうちした弾圧であった。これは権力側のイラク派兵の危機感から出たものであるが、同時にビラ配りをマナー違反として迷惑がる、あるいはうとんずる風潮が高まっていることも背景にある」と指摘した。東京高裁・最高裁は法を厳格に適用するというより、こうした風潮におもねった判決を出したのではないかと有罪判決を批判した。 国際人権規約 無視する政府 次に救援会のホームページを運営していた館野公一さんが、アメリカの移民たちの民衆歌・抵抗歌を披露した。続いて、アムネスティインターナショナル日本の寺中誠事務局長が「国際人権規約と反戦ビラ弾圧」と題して講演を行った。 「国連・自由権規約委員会は最終所見(08年10月31日)を出した。『政府を批判する内容のチラシを私用の郵便受けに配布したという理由で、政治活動家と公務員が、侵入に関する法あるいは国家公務員法により逮捕され起訴されているという報告について懸念する。……表現の自由と広報活動に参加する権利に対する、当該締結国の制定法におけるいかなる不当な制限も廃止すべきである』」。 「日本政府代表は『検察・警察の取り調べは容疑者と信頼関係があり、容疑者は反省し、罪を認め円滑な社会復帰が出ている』と発言した。これに対して委員会は日本政府を次のように批判した。@裁判所は自白に頼るべきでないA勧告は履行されていないので、フラストレーションがたまっているB相手(日本政府)が聞く耳を持っていないのでやっていることがむなしくなる。最後に意見を聞かないようならムダだから、『出ていってくれ』とまで言われた。こうしたやりとりを日本政府代表は日本に帰って報告していない。勧告は政府に対してだけでなく、日本に出されているので、われわれの側にも責任がある。条約を使って政府の人権侵害・弾圧をやめさせることが重要だ」。 次に弁護団の四人の弁護士があいさつした。栗山れい子主任弁護人は「運動的に深化している」と語った。虎頭昭夫さんは「最高裁判決をひっくり返すような広いネットワークをつくろう」と提起した。山本志都さんは「組合がまいたビラに会社側人間の写真が載っているのを肖像権の侵害で、管理職が言っていることを掲載したことが名誉棄損に当たるとして訴えられた裁判が起きている」と新たなビラまき弾圧に注意を喚起した。内田雅敏さんは「一九五九年米軍基地拡張反対の砂川闘争で東京地裁・伊達裁判長は無罪判決を出した。この判決は今回の八王子支部の判決や名古屋高裁イラク派兵違憲判決にもつながっている。別の件だが、横浜地裁民事で、国賠訴訟で勝利判決を勝ち取った。一審勝利判決を運動の中でどういかしていくのかが重要だ」と指摘した。 電卓をブラインドタッチでできるようになり、ついに電卓を壊してしまったという山本さんが会計報告をし、残ったおカネは全額救援連絡センターにカンパすることを明らかにした。次に、葛飾ビラ配布弾圧事件の荒川庸生さん、板橋高校卒業式「君が代」反対弾圧の藤田勝久さん、国公法弾圧・堀越事件の堀越明男さん(文書アピール)、2・27立川弾圧ってあまりじゃない岩手連絡会の穴田光宏さんが連帯のアピールを行った。 自由の規制に 抵抗の持続を 最後に、三人の元被告が発言した。 大洞俊之さんが「たくさんの人に支えられて闘えた。ほとんど表には出さなかったが、職を守るための攻防があった。苦しい闘いであったが五年間闘いぬくことができた。最高裁では勝てなかったが、他の裁判が残っている。連帯する闘いをやっていかなければならない。気になるのは街頭チラシまきに対する規制が強まっていることだ。先日も麻生打倒の新宿駅頭行動を警察の介入によって、途中でやめざるをえなかったようだ。迷惑防止条例で規制しようとしている。自衛隊派兵もそうだが、いきなり戦場派兵となると抵抗が強いので、最初はカンボジアへのPKO派兵だった」と指摘し、小さな時から抵抗が重要だと訴えた。 大西一平さんは「いろんなことがあったが何とかやってこれた。私の人生にも大きな影響を与えた。アムネスティの良心の囚人にもなってしまった。今後の人生の中でこれ程のことは起こりそうもなく、救援会の解散で人生のピークが過ぎてしまったような気もする。今回の弾圧はテント村が攻勢的な闘いを続けてきたことに対する権力の攻撃であった。今後とも闘いを続ける」と決意を語った。 さっちゃんが「被告人と言われなくてもよくなってホッとしている。二十代後半から三十代前半の良い時期を闘争に明け暮れた。弾圧の朝はパニックになり、心細かったが今ならずぶとくいける。救援会運動にあれやろう、これやろうとやってきた。応援して支えてくれた人たちがいた。それだけでがんばってこれた。これからも立川基地、横田基地闘争があり、地域でいっしょにやってゆこう」と明るく訴えた。最後に団結がんばろうを行い、最後の集会を終えた。 なお、「全記録2004―2009立川・反戦ビラ弾圧救援会」(500円)が発行され、事件と運動の経過が詳細に記録されている。今後の反弾圧運動に役立つものである。活用を。東京都立川市富士見町2―12―10―504電話042―525―9036
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