ソマリア「海賊」問題とは?アフリカ日本協議会 稲葉 雅紀さん
この文章は、2月28日、東京で行われた『イラクからの軍「撤退」を問う!−ブッシュはなぜ靴を投げつけられたのか』の集会で、アフリカ日本協議会の稲葉さんの報告をネットの事務局が要約しました。ソマリアの基本情報
80年代にはJVC(日本国際ボランティアセンター)がプロジェクトを組んでいたが、91年の内戦で撤退を余儀なくされた。現在はソマリアで援助をしているのは国際的なボランティア団体と国連機関のみ。
面積は63万7657ku、日本の1・7倍でその中に880万人くらい、神奈川県と同じくらい住んでいる。宗教はイスラム教スンナ派が基本で、アフリカでは珍しくソマリ人というひとつの民族が人口のほとんど。いろいろな氏族が大きな強い力を持っている。言葉もソマリ語が通じ、基本的にはひとつの民族・ひとつの言語。
ソマリア:現代世界の鏡
ソマリアに関して二つの大きなことがある。ひとつは、非常に重要なことだがソマリアは世界で唯一政府がない国だ。この問題の根源はどこにあるか。政府がないということは、強いものが軍を組織して支配する。それをコントロールする政府がない。結局弱いものの権利を擁護してくれる主体が存在しなくなる。さらに、ソマリアという地域にだけにしか政府がない。エチオピアには非常に強力な政府と軍がある、更にその隣にはエチオピアから独立したエリトリアにはもっと強い軍と政府がある。そういった状態がソマリアに何をもたらすかを考えないといけない。
ソマリアは、冷戦構造の崩壊、世界のグローバル化、帝国化とともに政府がなくなった。ニつの要因があって、超国家主体としての様々なものが登場してきた。例えば多国籍企業。この多国籍企業を応援する様々な政府あるいは国際機関の動きである。そして、国境を越えて資本が移動するようになり、資本が利潤を追求するようになると弱い国においてはいわゆる構造調整政策が起こっていく。アフリカの多くの国がヨーロッパやアメリカからたくさんの借金をする。この借金が返せなくなる。どうするかといえば、IMFと世界銀行が指導するという形で構造調整政策が行われた。つまり、国家が行っていた公共サービスを民営化してそれで浮いたお金を先進国に返せという形で、先進国に流れていくというのが80年代に起こった。その結果、ソマリアというのはついに国家がなくなってしまうという状況になった。
我々はグローバル化の頂点にいる。日本はG8の一国で、それに対してソマリアはグローバル化の周辺にいる。我々が今享受しているグローバル化による利便性であるとかの対極にあるのがソマリア。そういう意味で「現代世界の鏡」といえる。
対テロ戦争の隠れた最前線
そもそもソマリアは国民国家時代にも大国に翻弄された歴史がある。その上に、91年に内戦に突入して政府が融解して何もなくなった。その後は、世界の大国はソマリアを「対テロ戦争」の最前線としてしか位置づけなくなった。そのソマリアでどういうことが起こったのかということが今の海賊問題にもつながっている。また、政府がない地域というのが海賊問題につながっている。国際社会は、ソマリアに住んでいる人々のことではなく、そこにおける治安、起こっていることに対してどういう利害を持っているのか、利潤に対する阻害をどれだけ防止できるのか、という観点でしかソマリアを扱ってこなかった。その結果が今の事態だ。
ソマリア内戦の現在
地図参照
ソマリア全体にまったく政府がないということではない。
A:旧イギリス領 ソマリランド共和国
中央銀行を持ち貨幣を発行している。複数政党で選挙も実施し、政権交代もしている。国際社会は認めていない。ソマリアから独立をしたといっている。
B 旧イタリア領
ソマリア内プルトランド国という地域。プルトランドという政府が存在をしていて一応治めている。ここが今の海賊問題の中心地。90年代の終わりから、つい最近までソマリアの暫定政府と称していた。ユースクとそれと合体したエチオピアが、イスラム勢力を追放してプルトランドという地域の治安を回復した。
C・完全に政府がない。首都モガディシュがある。完全に群雄割拠。軍閥に対抗するイスラム勢力の存在。ここが内戦のホットスポットで一番問題のある地域。
D:エチオピア領。エチオピア領ソマリ州。1899年、イタリアとエチオピアが協議をしてこの地域はエチオピア領となった。ソマリ人しかいない。以前から分離独立運動や70年代にはソマリア軍がこの地域に侵入して大ソマリアを作ろうという動きもあった。
ソマリア内戦前史
1860年にイギリス領ソマリランドとイタリア領ソマリランドが合体して「ソマリア」になった。1960年代後半に社会主義革命がシアード・バーレという軍人によって起こり、ソ連の支援を受けて社会主義革命が起こった。隣のエチオピアは1975年に帝政を打倒し、社会主義軍事独裁体制が成立する。エチオピアは今までアメリカが支援したがソ連が支援する、ソマリアはアメリカが支援するようになった。つまり、これが大国に翻弄されたということ。
1976年にエチオピア領ソマリ州に軍を出す。それに対してエチオピアは革命を守るということでソ連とキューバが入って、ソ連はエチオピア軍に武器を供与して、ソマリアに対して反撃をする。何年かの戦争の後、エチオピアの勝利でソマリアは元の鞘に戻る。
1985年以降、構造調整政策の後ソマリアはどんどん弱体化していき、結局のところソマリアはバーレ政権が崩壊をして新しい政権になるはずだったが、1991年に、ムハマド大統領派とアイディード将軍旅に別れてモガディシュで内戦状態になる。その結果政府が崩壊する。
ソマリア内戦の現在
ソマリア内戦については第1段階から第4段階というのがある。第1段階から第2段階は、アメリカを中心とする国連軍の介入とそれの失敗、国際社会ではこの地域は手をつけられないということになっていく。ところが第3段階になるとイスラム勢力が非常に力をつけていく。軍閥が非常に暴力的な支配をしていくことに対し、こんなことにはもう耐えられないということで、イスラム勢力に活路を求めていく。
多くの武器を携えたイスラム勢力が群雄割拠している軍閥に挑んでいった。しかもこの中にはアルカイーダと関係を持っている。このままでは困るとアメリカとエチオピアは思う。しかし、軍閥に立ち向かっていかなければならないというソマリア人たちの非常に強い意思があって、結局第3段階、2006年にモガディシュを中心とするソマリア南部はほぼイスラム中心に統一をする。統一したイスラム勢力は軍閥を駆逐して、空港や港を再開し、ドバイとモガディシュを結ぶ航空便も運行する。これでもしかしたらなんとかなるかもしれないというのがあったが、この段階でアメリカの大統領はブッシュで、外交政策の中心はいわゆる「対テロ戦争」。ソマリアという地域にアルカイーダと関係を持った強力な政府ができては困る、というのがアメリカの意思。また、キリスト教国家であり世俗国家でもあるエチオピアの意思でもあった。
ソマリアでの「対テロ戦争」は何をもたらしたか
2006年12月にエチオピア軍がアメリカに支援を受けてソマリア南部を占領する。しかし、イスラム勢力がエチオピアに対するゲリラ戦を展開し、そして、ソマリア南部は再び戦争状態になっていった。
イスラム勢力のなかにも穏健派と急進派がいて、イスラム勢力がソマリアに一端の平和をもたらした。アメリカがいわゆる対テロ戦だけでなく、より包括的な国際的な戦略を持っていれば、イスラム勢力を抱擁する形でソマリアに平和をもたらすことができたかもしれない。
そうできなかったのは、ブッシュ政権の根本的な外交戦略が対テロ戦争にあったから。イスラム勢力によるソマリア制圧を断固として阻止するということにあったから。その結果として、不倶戴天の敵であるエチオピアに占領されるという、ソマリア人にとってはこの上ない屈辱が生じることになった。また、イスラム勢力の穏健派は力を弱めその指導者はエリトリアに亡命し、急進派が非常に強い力を持つことになり、事実上、ソマリアの南部はイスラム急進勢力の手に落ちることになった。アルシャバードという最も急進的なイスラム勢力が南部の多くの街を支配するということになってしまっている。
アメリカ合衆国の対テロ戦争は完全に破綻し、アメリカ合衆国や国際社会が後押しした連邦暫定政府というのはひとつの街しか守れないということになってしまった。さらには、非常に皮肉なことに、暫定政府の大統領であるユースフという人物が、これまでずっと大統領をやっていたプントランドで政府と政府を支配する氏族、それから生活に困った漁民が一体となって海賊行動をやるようになった。 海賊の多くは漁民で、海賊を統率しているのは氏族あるいは軍閥のリーダー。この軍閥のリーダーがプントランドの要職を握っている。これは非常に大きな問題。これまで、アメリカやエチオピアが支持していた。ユースフ大統領が支配してきたプントランドの政府と結託した形で海賊というものが存在している。
アメリカ合衆国のいわゆる対テロ戦略とその誤り、重宝してきた連中の元で海賊が形成されてしまった。そのことを考えなければいけない。
海賊問題の裏側
「政府なき国家は何をもたらしたか」
ソマリアにとって海の問題とは何かというとひとつは産業廃棄物の不法投棄の問題。91年の内戦開始以降、イタリア及びスイスの産業廃棄物を処理する企業が、ここの沖に産業廃棄物や低レベルの放射能物質を捨てた。あるいは海岸沿いに放置をした。スマトラ沖の津波がソマリアまで達し、産業廃棄物や放射性物質が波で打ち寄せられた。その結果、多くの人に健康被害が生じた。
二つ目は、諸外国の漁船がソマリア沖で乱獲をした。政府がないのでそれを取り締まることができないため、10年前の漁獲高の1/5にまでになって漁業では食べていけなくなった。獲ったえびやさめなどは中東に輸出し、外貨稼ぎのひとつだった。漁獲高の減少により海賊にならなければいけない漁民が出てきた。そしてそれを統率する軍閥が存在してきた。つまり、海賊の問題は国際社会が起こした問題だということ。
日本の市民社会はソマリアとどう向き合えるか
海賊問題で自衛隊が派兵されるという問題に対してどう考えるのか。我々市民社会は自衛隊のソマリア派兵に反対をしなければならない。これは明確なことだと思う。なぜ反対しなければならないのか。
考えなければならないのは、根本的には何がソマリアという問題をもたらしたか、つまり、今のグローバリズム、帝国的な世界支配体制の中で、G8はとりあえずその頂点にあり、ソマリアはもっともその周辺にある。こういう状況の申で海賊にならなければならなかった人たち、またソマリアに対してG8が銃を向ける。これを許すことができるのか、ということを考えなければならない。この倫理的な問題、世界というもののあり方に対して根底的な異議申し立てをしないといけない。根底的な異議という中でソマリアに自衛隊を派兵することを許してはいけない。
「我々の軍であるところの海上自衛隊」がソマリアの人たちに銃を向けるということを許してはいけない。それを許すことは今の国際システムを認めるということになる。ここを認識する必要がある。 我々がソマリアの人だちと連帯できるのかということを考えないといけない。つまり、グローバリズム、新自由主義という体制の中で我々目本の市民社会でも大きな被害を受けている。ソマリアの人びととどうつながるのかというのが大きな課題。自衛隊という問題でソマリアに注目したので、それを踏まえてソマリアの人びとと我々がどう新自由主義に反対していくことができるのか、より探めた戦略を持だなければならないと思う。