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リオデジャネイロ五輪に全競技を通じて日本人夏季五輪最多となる6大会連続出場する障害馬術の杉谷泰造(40=杉谷乗馬クラブ)は、祖父川口宏一さん(享年91)、父杉谷昌保さん(73)も障害馬術で五輪に出場した「五輪一家」に育った。出場は3世代合わせて実に10大会。杉谷は2020年東京五輪での「一族で11大会出場」の偉業にも意欲を見せている。(取材・構成=高橋悟史)
バス停留所まで馬 中学生で五輪目標
その血筋はまさにサラブレッドだ。泰造は「気がついたら馬に乗っていた」と言う。幼稚園は毎朝、送迎バスの停留所まで昌保の前に座り、馬に乗って向かった。バスの窓から「泰造や! 馬乗ってる」と園児たちの歓声が上がったという。自宅は大阪・和泉市の杉谷乗馬クラブの敷地内にあった。父に導かれる前に自然と馬に触れていた。
68年メキシコ五輪26位68年メキシコ五輪26位、父杉谷昌保25歳、愛馬リンゴー父杉谷昌保25歳愛馬リンゴー72年ミュンヘン五輪43位72年ミュンヘン五輪43位、父杉谷昌保29歳、愛馬セラフィナ父杉谷昌保29歳愛馬セラフィナ.
小2からは神戸のアメリカンスクールに通った。泰造は「夏休みが3カ月あったから」と笑うが、実際はそれだけの理由ではなかった。
昌保 小1の時に「アメリカンスクール行きたい。夏休みが3カ月あったら毎日馬乗れるやん」と言ってきた。乗馬クラブの友達から聞いたみたいでね。日本の新年度は4月からだけど米国は9月から。だから4月に米国の友人のところに2人でいき、泰造を1人預けて私は帰国しました。ホームシックになってないかと心配して連絡すると「元気にしているよ」って。
アメリカンスクールは泰造の乗馬中心の生活に理解を示し、遠征中はファクスでの宿題提出を認めてくれた。そんな恵まれた環境が馬術の競技力を育んだ。
泰造 五輪が目標になったのは中学生。祖父や父がすごい選手だったので重圧もあったけど、それより負けることの方が悔しくて。
96年アトランタ五輪に20歳で初出場して以来、今回が6大会連続での五輪出場となる。アメリカンスクールで英語に親しんだことで、海外での競技生活も苦労は少なかった。
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専門書読んで体得 ドイツ拠点に転戦
76年モントリオール五輪団体13位76年モントリオール五輪団体13位、父杉谷昌保33歳、愛馬メリーメリー父杉谷昌保33歳愛馬メリーメリー.
泰造の母方の祖父川口宏一も馬術のオリンピアンだった。三重出身で京都帝大(現京大)で馬術部の門をたたいた。自ら専門書を読みながら馬術を体得したという。その後、馬術の本場ドイツを拠点に欧州を転戦。実家は熊野古道を含む広大な山々を所有していたため、欧州生活はほぼ自費でまかなうことができた。英語とドイツ語に加え、当時の馬術用語のフランス語も堪能で、56年のメルボルン五輪に出場した。その後もドイツを拠点にした。(本文中敬称略)=後編へつづく
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杉谷一族 プロフィル
川口宏一(かわぐち・こういち)
◆川口宏一(かわぐち・こういち)
1913年(大2)3月12日、三重県生まれ。旧制京都帝大入学後、馬術部へ入部。56年メルボルン五輪に出場。04年91歳で死去。杉谷昌保(すぎたに・まさやす)
◆杉谷昌保(すぎたに・まさやす)
1943年(昭18)5月18日、大阪府生まれ。高校在学中の17歳ごろ自宅で馬術を開始。23歳でドイツへ馬術留学。68年メキシコ五輪に25歳で初出場して以来、3大会出場。84年ロサンゼルス五輪はコーチとして帯同。杉谷泰造(すぎたに・たいぞう)
◆杉谷泰造(すぎたに・たいぞう)
1976年(昭51)6月27日、大阪府生まれ。神戸のアメリカンスクールを卒業後、17歳でオランダのヘンクノーレン厩舎に拠点を移す。20歳でアトランタ五輪に初出場。五輪での個人最高成績はラマルーシとのコンビで臨んだ04年アテネ五輪の16位。
http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/equestrian/special/sugitani-special_01.html
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