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ちょっと遅きに失した面もあるが、西村欣也のコラム批判をしてみたい。まず彼の記事を全文引用する。
▼繰り返された醜い采配 EYE 西村欣也(朝日新聞2012/10/10)より
これを美談で終わらせていいのだろうか。
巨人の坂本隼人と長野久義が173安打で最多安打のタイトルを分け合った。坂本は最終戦で3安打を放って、長野に追いついた。誇るべきことだ。
問題はその後だ。原辰徳監督は長野に代打を出し、2人でタイトルを分け合う「演出」を加えた。坂本は言う。「僕が3本目を打った時、長野さんがガッツポーズをしてくれたのが本当にうれしかった」。長野も笑顔だ。「さすが隼人。一緒に戦ってきた仲間と争うことほどつらいことはないですから」
それでも、僕は野球の本質を忘れた、誤った采配だと思う。野球規則をもう一度読み直そう。1・02「各チームは、相手チームより多くの得点を記録して、勝つことを目的とする」。長野に代打を出したことは勝つことを目的としていなかったのは明らかだ。
パ・リーグもそうだ。ロッテ・角中勝也と西部・中島裕之が首位打者を争っていた。ロッテの西村徳文監督は打率1位の角中を欠場させ、中島を敬遠させた。「角中になんとかタイトルをとらせたかった」。西村監督は正直に告白した。
が、これも野球規則に反した行為だ。勝つことを目的とした采配ではないからだ。
タイトル争いが終盤にさしかかるたびに繰り返される醜い采配が、あらたまる気配はない。
プロ野球ファンはタイトルに注目しながら、そのプロセスにもきちんと視線を注いでいる。どうやって取ったタイトルなのかも、記憶のカプセルに治めている。タイトルを取った選手の一生癒えない傷。監督にはそのことを十分に分かってほしい。
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野球ファンとして率直に言えば、千葉マリーンズの中島への敬遠はトンデモないが、巨人・原監督の長野への代打起用はファンとしては許容範囲だということだ。同様に、タイガース能見が1イニングだけを投げ、最多奪三振を杉内と同数として引っ込んだことも私としては許容範囲である。クソ行為とミソ行為(クソ行為ほどではないが、フェアプレーにはほど遠い)をちゃんと区別しないとせっかくの采配批判も的外れになってしまう。
ちゃんと思考すればすぐ分かることだが、巨人・原監督が本気で2人に最多安打を分け合うための最善の采配をふるうつもりなら、長野をスタメンから引っ込め坂本を1番に据えるだろう。だけど原監督をそれをしなかった。実はそれは極めて重要なことだ。それに気づかないスポーツ記者は馬鹿と言われても文句を言えないはずだ。双方(長野・坂本)とも最多安打を同数で分けあいたいと公言して、よって前日のインタビューでもそうしゃべっていた長野は打席のたびに苦悩したはずだ。長野は第1打席で四球を選らんで小躍りしていたが、それは苦悩の裏返しでもあるはずだ。だって3本差なら坂本にも追いつくチャンスはあるが、もし長野がボールにバットを当て、当たりそこでも何でもそれが万が一にもヒットになれば、2人の夢は潰えるのである。幸運にも長野は次の2打席でも凡退(1ゴロと三振)をくり返し、坂本が奇跡のヒットで3安打に伸ばし長野の打席が回ってくる。さて、長野がそのまま打席にたったとして、長野はどんな打撃をするのだろうか?多分、わざと三振するかもしれないのだ。よって勝つための采配をするなら、原監督が長野に代打を出すのは当然なのであり、代打率4割を超える石井なら、何の文句もないわけだ。要するに原監督は勝つための最善の采配をあの時はしたことになる。以上の考察から西村欣也の記事がいかに浅薄かは明白であろう。野球選手は誰でもヒットを打ちたいと打席に向かうものなのだろう。しかしあの状況下で長野にそれを望むのは無理があるのである。結論をいえば、西村監督の采配は醜いが、原監督の采配は醜くはないということだ。ちなみに4回で先発投手を引っ込め、その後吉見を投げさせる恒例の落合采配は醜い采配である。
さてどうしても触れておきたいのは、最多安打を争ったドランゴンズ大島のめざましい打撃技術の向上である。あの打撃が来年も続き、1番を続けて打って(打席が多く回ってきて最多安打には断然有利)、けがもなければ大島は当分最多安打のタイトルを毎年とるであろう。よって坂本・長野の最多安打は今回で最後の可能性もある。
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