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毎日新聞 7月14日(木)11時0分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110714-00000040-mailo-l07
◇気持ちは一つ、相双連合 別々のユニホームで、帽子をそろえ入場行進
放射能汚染の不安が解消されない中、第93回全国高校野球選手権福島大会が13日、郡山市の開成山野球場で開幕した。東日本大震災による特例として3校連合チームで臨む相双連合は、新調した帽子だけおそろいの部員17人が緊張した面持ちで「特別な夏」を迎えた。
相双連合は、福島第1原発事故で立ち入りが制限された警戒区域の双葉翔陽(大熊町)14人、富岡(富岡町)1人、緊急時避難準備区域にある相馬農(南相馬市)2人で構成。紺に白字で「相双」と書かれた帽子は統一したが、服部芳裕監督(52)は「それぞれの学校の特色を出したい」と、ユニホームは各校のものを踏襲した。
開会式は放射線対策として場内1周をやめ、87チームが外野から順にマウンド付近まで行進。相双連合の遠藤剛司主将は「ひときわ大きな拍手が起きて、鳥肌が立った。見ている人にも元気になってほしい」と話した。
始球式は、少年野球チームの双葉リトル(双葉町)の渡辺玲磨投手(12)=南相馬市立原町一中1年=と、万崎龍汰捕手(12)=猪苗代町立東中1年=が務めた。渡辺投手は「すごく緊張したが、投げたらすっきりした」と満足げに話した。
開会式は例年より短縮されたが、気温34・0度(郡山市)の真夏日で、熱中症のため気分が悪くなる選手、生徒が続出。開会式の最中にその場に座り込んで、支えられて退場する選手や観戦中に倒れタンカで医務室に運ばれる生徒もいた。県高野連によると、選手と生徒25人、観客1人が医務室に運ばれた。
開幕試合で、安積と郡山の1試合が行われ、郡山が打撃戦を制し、2回戦に進んだ。14日は、5球場で計15試合がある。
【長田舞子、堤浩一郎】
【開成山野球場】
▽1回戦
安積 012003120=9
郡山 11031221×=11
(安)大山、シェイク、渡辺−大橋
(郡)落合、杉山、落合−熊倉
▽三塁打 大槻、佐藤由(郡)
▽二塁打 大槻、田村(郡)
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■熱球譜
◇練習相手の母に感謝−−安積・近内翔汰主将(3年)
九回表2死一、二塁、安積の攻撃。「なんでもいいから(内野を)抜けてくれ」。近内(こんない)翔汰主将(3年)は二塁上で祈るような気持ちで、打者を見守った。結果は遊ゴロ。最後の夏が終わった。
震災直後から高校の体育館は避難所に、グラウンドは駐車場に変わった。その後の原発事故で、屋外に出ることも制限された。それでも、体がなまらないよう、短時間、集中して自主練習を続けた。
キャッチボールの相手は母の知美さん(42)。中学まで使っていた軟式グラブを野球経験のない知美さんにはめさせ、毎日誰もいない公園で暗くなるまで投げ合った。「放射線の心配もあったし、仲間には頼めなかった。母が一緒にやってくれて感謝しています」
4月8日にようやく練習が再開。しかし、放射線の被ばくを減らすため室内練習が増えた。雨が降れば屋外練習はすぐに中止。砂ぼこりを立てないためにグラウンドにはこまめに水をまくなどした。6月20日から3週間は、表土除去でグラウンドが使えず、室内練習しかできなかった。
最後の打者が打ち取られた瞬間。「スタンドで応援してくれる母や、みんなに申し訳なかった。なんとしてでも勝ちたかった」と声を震わせた。知美さんは「息子が頑張っていたので、私はできることをやっただけ。胸がいっぱいで見ていられませんでした」と話した。スタンドで応援していた南相馬市原町区から転校してきた飯村宗一郎選手(1年)は「先輩たちが頑張っている姿を見て入ってよかった。3年間このチームで頑張りたい」と話した。近内主将の思いはみんなに伝わっている。
【長田舞子】
7月14日朝刊
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