http://www.asyura2.com/09/sports01/msg/299.html
Tweet |
− 特集 大相撲八百長問題 −
(2001年8月15日改訂)
・はじめに
大相撲の八百長問題は、週刊ポストにおいて、1980年から取り上げられました。
大相撲に八百長が存在すると確信できる理由は、多くの元関係者が証言し、その内容
がかなり具体的であり、それらの間に整合性があるからです。
証言者は、元十両四季の花に始まり、双羽黒の元付け人、元・大鳴戸親方、北の富士
後援会元副会長、板井の元付け人、曙の元付け人高見旺、元幕内力士板井といった人
たち(一部)です。これらの人は過去に自分自信が実際に八百長をした、または工作を
した人たちです。(後援会副会長は別にして)
板井は、元・大鳴戸親方の弟子でした。板井は引退後、総合病院に行った時、お年寄
りたちが八百長力士同士の対戦を一生懸命応援する姿を見て、八百長に手を染めていた
自分が恥ずかしくなったそうです。
元・大鳴戸親方と北の富士後援会元副会長は、同時期に八百長の告発をしていたが、
同日に同じ病気で同じ病院で突然死しました。
・八百長のパターン
八百長には、星の貸し借りと売買の2種類がある。
勝ち越しを早く決めて、星を売る力士も多い。
親方は弟子の八百長に気付いていても、自分が現役時代に八百長をしていた場合は
注意できない。
・八百長の仕方
八百長で長い相撲をすると失敗するケースがあったため、決まり手まで事前に決める
ようになった。
八百長の時は、押し出し・突き出し・寄り切りが多くなる。
(逆は成り立たない。つまり、押し出し・突き出し・寄り切りだからといって八百長
とは限らない。)
・八百長のケース
八百長力士同士がガチンコで取ることはまずない。
七勝七敗での八百長の勝利は多い。
後半戦ほど八百長は多い。
優勝がかかる一番や優勝決定戦は、八百長が多い。
不振の場所の次の場所は、その力士は八百長が多い。
・八百長の裏舞台
両国国技館の支度部屋の奥の通路に板の仕切りがあったのだが、それを蹴破って、八
百長の交渉が行われていた。しかし、板井の八百長告発の後、その仕切りは作り直され
た。
さらに、翌日分の幕内の取り組みの発表が、幕内の取り組み中に変更され、八百長工
作がしづらくなった。
・八百長力士と実例(あくまでも一部)
以前の力士は、ほとんどが八百長経験のある力士で、ガチンコ力士の方が少なかった。
横綱、大関も例外ではない。
大鵬は、46連勝目を行事のミスでストップされてから八百長に染まった。
八百長全盛期のきっかけを作ったのが柏戸で、確立したのは北の富士らしい。大鳴戸
親方(元・高鉄山)がガチで北の富士と対戦をしたら、簡単に勝ってしまった。
北の湖は八百長を受けるのが好きだったが、大鵬や千代の富士は星を買うことに専念
していた。
北の湖がガチンコ力士だったら、逆に優勝回数は大鵬の記録を軽く抜いていたらしい。
親方がケチで、星を売ってでもお金を得ていた。
千代の富士と北勝海は、八百長で優勝をたらい回しにしていた。
しかし、千代の富士は序盤・中盤はガチンコだったが、終盤は八百長で優勝を手に入
れていた。千代の富士の星が悪い時は、北勝海が終盤の八百長で優勝していた。
北勝海は、千代の富士が怖くて八百長をやっていたようなところがあった。
双羽黒は、十両の優勝がかかった最後の一番ではじめて八百長で勝ち星を手に入れ
た。(その前に1度星を貸していた。)
大関時代には、3番ぐらい八百長をしていた。
優勝経験のない双羽黒は、優勝のチャンスが何度もあったが、八百長で千代の富士と
北勝海に優勝を横取りされていた。
板井は、十両まではガチンコで最短出世記録であったが、大鳴戸親方の影響で八百長
に染まるようになった。
それ以来、板井はガチンコではほとんど勝ち、八百長で負けてお金を稼ぐようになっ
た。ガチンコで30連勝したこともあったそうだ。勝っても親方にお金がいってしまう
ため、他の力士が星を買いに来た場合は必ず引きうけていた。
板井は、北勝海にガチンコで5勝1敗で、旭富士にガチンコで4連勝した後は旭富士
戦はすべて八百長をしていた。千代の富士には、初顔で負けて、それ以降すべて星を売
っていた。千代の富士は八百長はしていても、本当に強かったようだ。
板井の話では、本当に強いのは千代の富士だけで、その千代の富士より強い唯一の
力士が栃光だったそうだ。しかし、バクチの借金で栃光は星をほとんど売っていた。
大乃国は珍しいガチンコ横綱だったが、板井に6連敗していた。大乃国は千代の富士
から八百長の話が来ても、断っていたそうだ。
大乃国は十両時代に、板井と八百長をしたことがあったが、親方に注意されてやめる
ことになった。
千代の富士の53連勝は、なんとガチンコは19番しかなかった。その連勝を阻止し
たのがガチンコ力士の大乃国であった。
(そして千代の富士は、国民栄誉賞を受賞した・・。)
大鳴戸親方は、NHKの解説で
「止めるといっても、大乃国でしかいないんだからね」と発言し、二度と解説にお呼び
がかからなくなった。
(板井の付け人は15番だと言っているが、これは記憶違いだと思われる。板井本人が
記録を残しているので、19番が正しい。ただし、両者が指摘するガチンコの取り組
みはちゃんと重なっている。)
相撲勘が戻らない休場明けの場所で優勝することは、ガチンコ相撲では非常に難しい。
千代の富士の6場所復活優勝は、八百長のおかげであった。
若島津の2回目の優勝は、3番のみガチンコで全勝優勝であった。
栃司、琴椿のように途中からガチンコに転向する力士もいた。(理由は不明。)
板井は大徹に星を売るのを断ったが、ガチンコで負けてしまった。悔しさのあまり
「こんなことなら売っておけばよかった」と言ってしまったが、これを掲載した新聞社
は一社もなかった。
板井と逆鉾は、当時の中盆(八百長の仲介人)であった。
引退を決めた場所で、板井はわざと15戦全敗した。
旭富士は、優勝すれば横綱の可能性のある場所で、2000万円で北勝海に優勝を
嫌々譲った。
千代の富士引退後の小錦と旭富士の優勝決定戦では、両者が八百長を申し出たため、
ガチンコとなり、旭富士が2連勝して逆転優勝した。
千代の富士引退後の北勝海の優勝回数は0である。
琴錦は全勝していると、横綱・大関でも、ガチンコで向かっていき、前半で負けが増
えるとやる気をなくし、星を次々と売っていた。
曙がまだガチンコ力士だった頃、琴錦に八百長をもちかけられたが断った。ところが
その後、琴錦には6連敗した。
曙は大関昇進時に琴錦と初八百長をした。大関時には、まだ琴錦以外はガチンコだっ
た。しかし、新横綱の時に10勝5敗し、次の場所からは八百長に染まるようになった。
曙と小錦との対戦はほとんどガチンコだったが、曙がカド番の時はわざと小錦が負け
た。ところがその後、小錦がカド番だった時、曙は八百長を引き受けなかった。
武蔵丸はガチンコ力士であったが、曙に頼まれて、嫌々星を売っていた。
史上初の5人優勝決定戦(11勝4敗)では、曙は5番八百長をしている。つまり、
ガチンコでは6勝4敗であった。(優勝したのは武蔵丸)
千代大海の大関昇進には、九重親方(元・千代の富士)の八百長工作があった。
ガチンコの若乃花は、引退のかかった場所で、琴錦から800万円で八百長を持ちか
けられたが断った。その場所の若乃花の成績は7勝8敗と負け越した。
・八百長力士の実力
大鵬や千代の富士など、本当に強い力士もいたが、北の富士のように横綱としての力
のない力士もいた。
仮に大金があっても、ガチンコで何番か勝てる力がないと、昇進は難しい。
ガチンコで強いからこそ、「どうせ負けるのなら」と星を売る気にさせることができ
る。
・強い力士が八百長をする理由
取りこぼしをしないためには、相手の出方を見ながら受ける相撲をしなければならず、
自分の相撲ができない。何をしてくるかわからない格下の力士に取りこぼしをしないた
めに八百長をすることになる。
膝など故障箇所がある場合も、八百長が1番でも多い方が助かる。
・おわりに
これらの八百長の事実に対し、大相撲ファンは必ずしも悲観的になる必要はありま
せん。
なぜならば、以前と比較して、少なくとも横綱・大関には八百長力士の方が少なく
なっていますし、一部の部屋では親方が注意することによって、八百長がなくなって
います。
あの若貴を含む双子山勢はガチンコ力士であり、その実力が本物であることは、
大相撲ファンに希望を与えることでしょう。
しかし、下位の力士の間では未だに星の売り買いが行なわれているらしいですし、
完全にとまではいかなくとも、八百長がほとんどなくなるには、まだまだ困難がある
ようです。
それに対して、ファンができることは待つことしかないかもしれませんが、今後は
八百長が行われていないかを見る目を養い、八百長の情報を得た場合は積極的に
インターネットで情報公開し、それを糾弾することにより、厳しい目で見れるファンを
少しでも増やすことが、唯一可能な方法ではないかと思います。
http://sfs.client.jp/sfsdx-sumouyao.html
-------------------------------------------------------------------------------
八百長騒ぎ
今年(平成12年)の1月21日、大相撲初場所の最中に、
日本外国特派員協会において、元小結の板井圭介氏が、
大相撲での八百長についての告発の会見を開き、
大きな反響を呼んだ。
板井氏は現役横綱や大関など20名の力士の実名を挙げ、
これらの力士が八百長をしていることや、現役時代に自分が
いかにして八百長に深くかかわっていたかということなどを
明らかにした。
大相撲のいわゆる「八百長疑惑」は、今に始まったことではない。
柏鵬時代の昭和38年には、柏戸と大鵬の両横綱の千秋楽での
全勝同士の対戦(柏戸の勝ち)に対し、作家の石原慎太郎氏
(現東京都知事)が「八百長相撲だ」と物言いをつけて一騒動が
あったり、昭和55年には、ある週刊誌に元十両の力士が
「大相撲には八百長が存在する」と告発したりなど、
八百長問題はその度毎に大きな問題となり、いつしか消えていった。
しかし、先述の週刊誌は、その後も八百長の追及を続け、
今でも断続的に告発記事を書いている。
小学館発行の「週刊ポスト」である。
相撲協会はこれらに告発記事について、始めは徹底して
「無視」を決め込んだ。
「大相撲には八百長はあり得ない」。
この一言ですべての問題を片付け、マスコミも「ポスト」
などの一部週刊誌を除いて、深くは追求しなかった。
しかし、平成8年に、元大鳴戸親方が「ポスト」に
告発記事を書いた頃から、事態は急変することになる。
元大鳴戸親方は先述の会見をした板井氏の師匠で、
彼の現役時代の八百長とのかかわりを師匠の立場から
告発するとともに、板井氏が八百長の中心人物として
目をつけられており、平成3年に彼が引退する際に、
年寄株(親方になれる権利のこと)を借りられたはずが
当時の二子山理事長(元横綱初代若乃花)のツルの一声で
ムリヤリ廃業させられたことや、元親方が現役時代(関脇高鉄山)
に横綱北の富士(現NHK相撲解説者)の八百長工作に
東奔西走したことや、自身が角界を去る際に年寄株の売却で
3億円もの大金を手に入れたにもかかわらず、領収書もなく、
また税金も一切かからないというずさんな「脱税行為」など、
大相撲の「裏面」を次々と明らかにしていった。
元親方の「ポスト」での告発記事は14回にも及び、記事の
内容は角界と暴力団との関係や、マリファナの問題など
エスカレートするばかりであった。
そして元親方は、告発連載の集大成ともいうべき暴露本の
出版の準備を始め、また4月26日には元親方の告発を
裏付ける証言を続けてきた元力士で後援者の橋本成一郎氏
とともに、日本外国特派員協会で会見する予定になっていた。
ところが、その会見が目前に迫った4月14日、元親方と
橋本氏は、同じ日に、同じ病院で、同じ原因不明の肺炎で
そろって死亡してしまったのである。
あまりの偶然に、一時は他殺説も流れたほどであった
(この二人の怪死については、今年の「正論」9月号の
安部譲二氏の「日本怪死人列伝第2回」に興味深い記載がある)。
それから約1ヵ月後の5月22日、相撲協会はようやく
重い腰を上げ、「ポスト」の記事の一部に対して東京地検へ
名誉毀損で刑事告訴をしたのである。
結論から先に言えば、この告訴は2年後の平成10年3月
26日に不起訴処分になった。
告発者の二人が死亡している以上、真実の立証は事実上不可能
であり、名誉毀損の成立は見込めなかったからである。
そしてこの頃から大相撲の人気は低下していった。
不起訴処分後に行われた同年の夏場所は、出だしから入場券が
売れ残り、実に28年ぶりに「満員御礼」の垂れ幕が下がらない
寂しい初日になってしまった。
その後も地方場所ですら大阪の春場所を除いて満員にならない
など観客数の減少が顕著になり、また新弟子の入門者も減るなど、
今年に入って次々と新大関が誕生しているにもかかわらず、
角界は人気低迷から脱却できずにいる。
その一方で週刊誌の告発記事は盛んに続けられ、今年の
板井氏の「証言」により、これまで八百長の記事が少なかった
他の週刊誌までがこの問題を取り上げるようになった。
これらの騒ぎは協会にも飛び火し、東京の国技館や相撲部屋
近辺に右翼の街宣車が横行する始末であった。
業を煮やした協会は、今年の4月25日、時津風理事長
(元大関豊山)が国技館で記者会見し、
「大相撲には八百長はあり得ない」
というこれまでの見解を繰り返し、板井氏の発言を全面否定した。
しかし、これだけの大きな騒ぎを引き起こした張本人の
板井氏に対して、なぜか法的手段には訴えないという。
無実であるなら、なぜ告訴をしないのであろうか。
この問題については、筆者自身の八百長に関する「見解」とともに、
次回に触れることにする。
http://homepage1.nifty.com/kaminosumukuni/soumokuji/kuro2.htm
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。