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8月4日20時52分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090804-00000643-san-base
古くからの巨人ファンには、ある光景がフラッシュバックしたシーンだったかもしれない。
1点を追う四回二死一塁での、一塁走者・亀井のプレー。二盗を試みると、送球が体に当たり、左翼方向へ転がる間に三塁へ達する。このとき、左翼手・末永の守備位置が深いことが頭にあった。末永が緩慢にボールを追い、捕球態勢に入るのが遅いとみるや一気に本塁を陥れた。
巨人はかつて、同じようなプレーを逆の立場でされたことがある。1987年、西武との日本シリーズ第6戦。中堅手・クロマティの緩慢な守備が、単打で一塁走者の生還を許すこととなった。手痛い失点で試合に敗れて日本一を逃し、黄金時代にあった西武の野球力を象徴するシーンとして語り継がれている。
そんな苦い歴史を振り払うかのような好走塁を亀井はこう振り返った。「僕や坂本やマツ(松本)のような選手は、相手のスキを見逃さないプレーをしていかないと」
名前の挙がった選手は、チームの若い生え抜きたちだ。数年前には一発に頼ろうと4番打者タイプばかりを補強し、「走塁の意識」は無縁だったが、今はこうした選手がラミレスや小笠原ら大砲の脇を固めている。
九回の同点2ランと延長十一回に放ったサヨナラ2ラン。殊勲の2発でヒーローとなった亀井だが、「自分でもよかったと思えるプレーだった」と胸を張った四回の1点も、中日、ヤクルトの追い上げを受ける巨人にとって大きな価値があった。
(田中充)