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一人の受刑者が刑務所で目の当たりにしたのは、所内を埋め尽くす凶悪犯ではなく、知的障害や身体障害など社会的ハンディを抱える人たちが大半という日本の刑務所の現実だった。彼らの世話係を任され、深く関ることで、目をそらすことができなくなった障害者福祉の実態。出所後、生きる術を模索する中で、もがき苦しみながら細く長い糸をたぐり寄せるように行き着いたのが、罪を犯した知的障害者に寄り添う道である。その歩みは多くの福祉関係者や社会をも動かし、今や刑務所を運営する側に立つ。元衆議院議員、山本譲司氏(45歳)の新たな人生はスタートしたばかりである。
2001年、政策秘書給与流用事件で1年6カ月の実刑判決を受け、刑務所に服役した山本譲司さん。栃木県の黒羽刑務所で与えられた懲役作業は、一般受刑者からも「塀の内の掃き溜め」と呼ばれる「寮内工場」での障害や病を抱えた受刑者の世話係だった。そこで出会ったのは、知的障害や身体障害、認知症、視覚・聴覚障害、覚せい剤の後遺症など、ハンディのある人たちばかり。それまで大手メディアでも一切伝えられなかった獄中の真実、その433日の生活をつづった『獄窓記』を2003年に上梓。出版を機に、予想もしなかった道を歩むこととなった。
私が障害者福祉の悲惨な現実について、「この現実を変えていかなくては」と強く意識し始めたのは刑務所内でというより、『獄窓記』という本を書き出してからなんです。文章にしてアウトプットすることで、改めて服役時代を振り返ることができました。
塀の中というのは、漠然と目に映ってることしか分からない世界。「刑務所の中で苦しみを避けるには、自分が人間であることを忘れろ」「世の中に人権という言葉があることを忘れろ」と先輩の受刑者に言われるぐらい人間としての感覚が麻痺してしまい、思考を巡らして能動的に何か考える余裕などない場でした。
私自身、都議会議員を含めると12年間議会に籍を置いていて、頻繁に福祉の現場に足を運び、福祉政策について分かったようなことを論じ、「福祉のエキスパート」という自負もありました。しかし、日本の福祉の現状はまったく見えていなかった。そのことに、服役してみて初めて気づいたんですよ。情けないことですが・・・。
まず、刑務所という場を勘違いしていました。凶悪犯を懲らしめて懲罰的に塀の中に閉じ込めている場所、かつ、あの高い塀は社会の安全を保つために造られたもの。そんなふうに理解していたんですが、実は逆で、あの塀によって多くの人たちが、冷たく厳しい娑婆の世界から守られているんです。
確かに、懲りない面々というような受刑者が1〜2割はいますが、8〜9割は社会の中に居場所がなく、孤立し、排除され、不幸にして罪を犯すに至ってしまったというような人たちです。その生い立ちを振り返れば、人生のほとんどを被害者として生きてきたというような境遇の人たちが実に多かったんです。本来、福祉のセーフティネットに引っかからなきゃいけない人たちが、そこからポロポロとこぼれ落ち、罪を犯したことでようやく司法というネットに引っかかって刑務所に保護されている、それが実態でした。
私がいた黒羽刑務所の「寮内工場」というところは、失禁者が後を絶たず、常に奇声が飛び交うような場所。私の主な仕事は、障害がある受刑者の下の世話と話し相手でした。彼らは一般受刑者とも隔離され、慰問行事などにも参加できず、毎日、幼稚園児でもできるような単純作業を繰り返すのみ。しかも、刑務官が扱いやすいように薬づけの日々でした。
今、日本社会全体に景気の後退による将来への不安、あるいは凶悪犯罪が起きる中での社会不安などが渦巻いています。そうなると、かつてのナチスドイツのように、障害がある人たちやマイノリティーとなる人たちなどを排除しようとする傾向が高まってきます。いや、実際に、もうすでにわが国は、そんな動きが始まっているのかもしれません。そして、その排除の先にあるのが刑務所で、そこに、受刑者1人あたり年間300万円以上という多額な税金が使われているんです。果たしてそういう国でいいのかどうか。凶悪犯を閉じ込めて罪を受けさせる所であるはずの刑務所、実はその大部分が、本来なら福祉的支援を受けるべき人たちで溢れている。その意味では、今や日本の刑務所は福祉の代替施設と化してしまっている、といっても過言ではないと思います。
法務省の「矯正統計年報」によれば、2005年新たに刑務所に服役した受刑者は3万2000人。そのうち知的障害者と認定される知能指数70以下の人たちは、約7400人で23%。測定不能の人も加えると、およそ3割が知的障害者であるかもしれない人々だ。しかも、知的障害者と認定される受刑者の7割以上が再入所していて、10回以上服役している人が約2割を占める。ただし、彼らがその障害特性によって罪を犯しやすいというような医学的因果関係はまったくない。
「これまでの人生で、刑務所が一番暮らしやすかったと思ってるんだ」。山本さんが強いショックを受けたという、ある受刑者の言葉である。
実際に福祉の現場に身を投じてみると、多くの障害者にとって日本という国がいかに生きづらいかが見えてきます。
日本の福祉は、障害者や高齢者に対して、車椅子を押し、食事や入浴の介助をし、おしめを替えるというような、いわば「美しい福祉」しかやってこなかった、という側面があります。しかし、自分で食事もでき、お風呂にも入ることができる、だが、生まれながらに人や社会との折り合いをつけるのが苦手だというような障害を抱えている人もたくさんいるんです。これが、軽度の知的障害者と呼ばれる人たちです。
ところが、そういう人たちのニーズにあった福祉的支援は、ほとんど用意されていません。医学的に言えば、身体障害、精神障害、知的障害及び発達障害など障害をもつ人たちは、国民のおよそ1割。その中でも軽度の知的障害者が圧倒的に多い。そんな彼ら・彼女らは、今、推し進められようとしている福祉政策のもと、「自立、自立」とどんどん催促され、一人で生きていくことを余儀なくされ、結局のところ孤立し、挙げ句、排除されてしまっているんです。その排除の先が刑務所だと考えると、私が目の当たりにした刑務所の現状、これは刑務所の問題ではなく、福祉、そして社会全体の問題だということになります。
その生い立ちを振り返ると、受刑者となった知的障害者のほとんどが、過去にすさまじい虐待を受けたり、あるいは、ネグレクトされ続けた過去を持っています。劣悪な生活環境の中で、生きていくために無意識のうちに起こしてしまう窃盗(万引きや自転車泥棒など)や詐欺(無賃乗車や無銭飲食など)。知的障害者は軽微な犯罪でも執行猶予がつく率が低く、実刑になってしまうケースが多いんです。軽微な罪にもかかわらず、警察に検挙され取り調べを受けた場合でも、自分を守る言葉や反省の言葉を発することができない人が多く、結果的には反省なき人として、実刑判決を受けることになってしまうんです。健常者であれば、不起訴、あるいは執行猶予というようなケースの犯罪でも、彼らの場合、実刑判決となってしまいます。
えん罪も多いですね。たとえば、2005年、栃木県の宇都宮市で強盗傷害事件の犯人として捕まった知的障害者の男性のケースなど、ひどい実刑がたくさんあります。このケースでは、たまたま真犯人が別の強盗事件で逮捕されたので、すでに服役間際だった知的障害者の無罪が証明されたのです。その知的障害者の男性は、いとも簡単に誘導尋問に引っかかり、やってもいないのに「自分がやりました」と虚偽の自白をさせられていたんです。
こうしたえん罪事件以外にも、軽微な罪であるにもかかわらず、非常に厳しい刑罰を受けている障害者もたくさんいます。彼らは重い刑を被せられても、弁明する術も知らず、取調官や裁判官の質問に対して、おうむ返しの返事しかできない場合が多いんです。裁判でも、心神喪失のような状態になり被告席で素っ裸になって喚いていた人が、刑法上、責任能力なしとされる「心神喪失」を認められることもなく、かえって危険人物視されるようなかたちで、長期の懲役刑を受けたりしている。裁判官は、突飛な行動を取ってしまいがちな彼らを理解しようともせず、再度、理解しがたいような犯罪をやってしまうのではないか、と短絡的に決めつけ、必要以上の罰を負わせています。
中軽度の知的障害者は、刑務所の中では障害者と認められておらず、医療刑務所ではなく一般刑務所に服役することになります。そして、出所後きちんと社会復帰している元受刑者はごく少数です。出所者の再犯率は5割といわれていますが、残りの5割が社会復帰してるのかといえば、そうではありません。自殺したり、ホームレス状態になってる人がほとんど。彼らも社会復帰して、社会の中で労働に従事しながら生きていったほうが、社会全体にとっても利益になるに決まっているんですがね。
しかし、最近は異端な人、これは少しばかり変わっていると見られるような人も含めてですが、そうした人たちに対するの警戒心が社会全体に芽生えてきて、結果、社会防衛的な意識のもとに社会から排除しようという流れが強まってきています。人権、福祉だと言いながら、世の中全体が彼らを排除して清々している、そんな危険な雰囲気になってきています。それは最近流行の「KY」という言葉が象徴しているじゃないですか。「その場の空気を読めない」というような障害を、生まれながらに負っている人はいっぱいいるんです。「KY」という言葉は、そんな人たちを社会から排除しようとする風潮に免罪符を与えているようなものです。
「障害者白書」によれば、現在、日本の知的障害者数は約50万人だが、この数は単に療育手帳所持者の数にすぎず、実際は300万人前後と推測される。しかも、この療育手帳所持者でさえ、約9割の軽度の知的障害者には、福祉の支援がほとんど行き届いていないのが現実だ。先進国の中で日本ほど障害者福祉に投じられる資金が少ない国はないという。こうした中で、健常者と折り合いをつけて暮らすことも苦手で、社会の中での居場所を失い、悪条件が重なって受刑者となってしまう現実。出所しても、受け入れ先などまったくないに等しく、2004年の出所者総数約3万人のうち、社会福祉施設で受け入れられたのはわずか24人である。
障害者福祉も2003年より「措置」から「契約」の時代に変わり、06年には障害者が地域の中で生活をし、福祉サービスも自分自身で選択していくという「障害者自立支援法」が施行されました。ベクトルとしては非常に正しいのだけれど、やっぱり軽度の人は福祉的サービスがなかなか受けられないのが現実です。
基本的に障害者福祉は現在、高齢者医療と同じ方向に向かっていて、一人で歩いたり食事をしたりできるなら一人で暮らしなさい、という方針。障害者支援策を、医療的介護、身体的介護に絞り込もうとしているんです。ですから、身体的障害も重複している重度の知的障害者しか、福祉につながらなくなっていくのです。
ところが、実際には軽度の知的障害者のほうが、はるかに社会適応困難度という意味では、重い障害を負っているのではないかと思います。というのは、身体的な障害のある人と違って、軽度の知的障害者の場合は、ほとんどの人が外見では、その障害が分からない人たちですから、周りの人も障害者ではなく、単なる「変わり者」と見てしまうことが多い。そして、手を差し伸べられる対象ではなく、忌み嫌われる人になってしまう可能性が高く、そうなると、福祉の支援を受けるどころか、社会の中で居場所まで奪われていくんです。
健常者であっても、なかなか暮らしづらい世の中になってきている今、彼ら軽度の知的障害者は、福祉の手も借りずに必死に生きているんです。周りの人たちの無理解、あるいは誤解と偏見、こうした状況のもと、本当に彼らは大変な生活を強いられています。
本来なら、カウンセリングや認知行動療法とかを受け、そうしたトレーニングの末、ソーシャルスキルなどを身につければ、彼らだって生きる上での選択肢は広がっていくはずです。ところが、多くの福祉の現場がやってるのは、障害者を施設に囲い込み、たまにアミューズメント施設に連れて行ったり、といった娯楽的支援の方向。トレーニングというと厳しいかもしれませんが、軽度の知的障害者にとっては、そこで身につけたスキルは、その後の人生を豊かにするものとなるでしょう。しかし、今の福祉には、そういう視点はほとんどありません。
日本の場合、財政ありきの福祉で、そんな中、知的障害者の福祉というのは非常にお寒い状態といっていいですね。療育手帳も自治体によって呼び名も認定基準も違いますし、知的障害者の認定数も全体の20%ほどに絞り込んでしまっている。非常にお粗末なことです。
実は、私も知的障害者に対して認識不足でした。議員時代に視察していた福祉の現場といえば、重度の人たちばかりがいる障害者施設で、彼らのような人たちだけを障害者だと思い込んでいた。ところが、知的障害者の9割以上は地域の中で暮らしている人たちです。昔からそういう人たちは身近にいて、仕事にも就いていて、周辺の人たちとも折り合いをつけながら一緒に暮らしてきたはず。けれど最近は、社会の構造が、情報化社会、競争社会へと変貌していく中、社会に暮らす障害者の人たちは、どんどん住みづらくなっている。そんな社会の中で、自立して生きろと言われているのです。
日本の障害者福祉予算は、対GDP(国内総生産)比でいうと、北欧の8分の1、西欧の5分の1ぐらいで、アメリカと比べても2分の1以下。先進国の中で、障害者福祉にこんなに金を使っていない国はありません。
最近では厚生労働省も随分変わってきて、2007年12月に策定された「障害者基本計画」の今後5年の重点項目の中で、「矯正施設にいる障害者の地域生活支援」という項目が初めて盛り込まれました。これまで厚生労働省(福祉)と法務省(矯正)との情報や状況認識の共有はほとんどありませんでしたが、この両省が連携し、刑務所内の障害者の問題に目を向け始めたのです。さらに民間主導ではありますが、「生活再建相談センター」など出所した障害者を受け入れるシェルターも徐々に開設されつつあります。
2006年には、厚生労働省の研究事業として「罪を犯した障害者の地域生活支援に関する研究班」が発足し、私もその研究メンバーとなっています。この研究班は、単に調査研究を行うだけではなく、出所した障害者に帰住先や仕事を準備する、といった実践活動にも取り組んでいます。就労や住居などが事前に用意されることで、出所後の選択肢はかなり広がるはずです。そして、その後の生活状況は、かなり好転していくことになると思います。
私自身、出所後は地道に福祉に関わりながら、できるだけ目立たず大人しく暮らしていこうと思っていました。ですから、本の出版なんて、まったく考えてもいませんでした。でも、自己反省記としてまとめた文章を繰り返し読む中で、少しずつ気持ちが変わってきたんです。自分が経験したことをお知らせすることによって、刑務所の中の現状を少しでも世の中に伝えることができれば、と考えるようになったんです。
そうした経緯で出版した『獄窓記』ですが、この本に対して、福祉関係者をはじめ、司法関係者、果ては行政まで意外なほどの反響がありました。障害者福祉も矯正行政も、ある意味ターニングポイントというタイミングで出版したことも大きかったと思います。関係者の間では薄々は気づいていて、それでも見て見ぬ振りをしてきた福祉や刑務所をめぐる障害者の問題、それが今、同じような問題意識を持つ人が結びつき、徐々に現状を変えていこうとする輪が広がっています。
出所して1年半ぐらいは引きこもりに近かった私も、そうした中で、ようやく社会における居場所を見つけたという段階です。
今、刑務所が徐々に変わろうとしている。明治時代に制定された「監獄法」が2006年5月に全面改正され、「受刑者処遇法」が成立したのである。これによって、それまでの刑務作業中心から矯正教育の重視へと転換。受刑者に罪種別更生プログラムの受講が義務づけられた。また、PFI(プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)方式の刑務所もでき始めている。民間の資金力や経営ノウハウなどを活用する半官半民の刑務所で、運営者としても多くの民間人が加わるものだ。
2006年まで約1世紀の間、手つかずのまま残っていた「監獄法」。この法律は、「刑務所というところは、犯罪者をぶち込んで出所するまでただ管理しておけばいい」というような発想に基づいてつくられたもので、受刑者の更生や矯正という視点はありませんでした。それが2年前、「受刑者処遇法」に変わったというのは、大きい変化でしょうね。監獄法のままではPFIなんてできなかったでしょうし、このPFI刑務所の開設によって民間の目が塀の中に向けられるのは、とてもいいことだと思います。
今、全国に約70カ所の刑務所がありますが、2007年4月に第一号のPFI刑務所となる山口県の「美祢(みね)社会復帰促進センター」が運営開始。続いて10月に兵庫県加古川市に「播磨社会復帰促進センター」が開設しました。ここは「特化ユニット」として知的障害者を120名収容。私はこのPFI刑務所の運営アドバイザーとして、受刑者処遇に関っています。障害のある受刑者に対しては、彼らの障害特性にあった処遇、そして、彼らの社会復帰に向けた支援活動を行っています。福祉的スキルをもった民間の臨床心理士や社会福祉士なども処遇スタッフとして10数名採用して、障害のある受刑者に対し、生活訓練や社会適応訓練、さらにはロールプレイなど心理的アプローチなども行ってもらっています。
同じく10月には栃木県に「喜連川(きつれがわ)社会復帰センター」が開設して、500人の障害者専用ユニットが作られています。そして、2008年10月からスタートする「島根あさひ社会復帰促進センター」では、「播磨社会復帰促進センター」同様、私自身、特化ユニットの運営に携わる予定です。まあ、これでPFI刑務所の新設は打ち止めかもしれませんが、PFIで効果ある処遇が実現できれば、それを既存の純国営の刑務所でも生かせるのではないかと思っています。
まだPFI刑務所の運営は始まったばかりですが、障害のある受刑者の社会復帰については、やはり困難な面が多々あります。元受刑者を社会で引き受けてもらえるかとなると、そうは簡単なものではありません。しかも障害のある人となれば、なおさらです。しかし、私は処遇や教育よりもより重要なのが、この社会復帰支援だと考えています。刑務所の中でいくら素晴らしい処遇や教育を受けたとしても、やはりきちんと社会復帰後の行き先などが決まらないと、教育内容を身につける上でのモチベーションは湧いてきませんからね。
ところで、日本の刑務所の中というのは、世界中のどの国よりも高齢者が多く、断トツに高齢化が進んでいるんです。これは単に高齢化社会を投影しているわけではありません。欧米各国でも社会の中の高齢化は進んでいますが、刑務所内の高齢化率は、日本と比べ、どの国も5分の1ほどです。なぜ、こんなにもわが国だけが塀の中の高齢化率が高いのか。それは日本の刑務所に収監されている高齢者の実態を見ると、その理由が分かってきます。高齢受刑者のほとんどが再犯者なんです。これはどういうことかと言うと、要するには日本の社会は、一度罪を犯した人に対して非常に冷たい、寛容度が低い、社会復帰がしづらい社会ということを示しているわけです。出所後に社会での居場所がない人たちが、結局、何度も何度も軽微な罪を繰り返し、刑務所を終の棲家としてしまっているんです。
今、全国の刑務所に約7万人受刑者がいて、毎年3万人以上が出所しています。つまり、半分弱ぐらいの受刑者は、毎年入れ替わっていることになります。毎年3万人以上の受刑者が出所する現在、その出所者たちは、いつ隣人になってもおかしくない人たちです。北欧では、中学生の頃から、こうした視点での教育が行われていて、国民の間に「罪を犯した人を単に罰するだけでなく、きちんと更生させて、社会の一員としてして納税者になってもらった方が国全体にとって有益」といったコンセンサスがあるようです。
そこでわが国においても、出所者の居場所をつくっていくためには、一般の方にまず刑務所の現状を知ってもらうことが大切だと思います。刑務所に入ってたということで、相当凶悪な人だろうと誤解されがちなのですが、そうした人たちはほんのわずかで、多くの出所者は本当に弱い人たちなのです。
やはり、一番重要なのは社会の中にいる私たちの意識を変えることだと思います。このまま刑務所というところを、社会から排除された人たちを閉じ込めておく場所として使い続けるのか、それともこうした現実を変えていくのか、今まさに、日本社会の成熟度が問われているのではないでしょうか。
(2008年5月・インタビュー text・上村悦子)
山本譲司(やまもと じょうじ)
1962年北海道生まれ、佐賀県育ち。早稲田大学卒。都議会議員を経て衆議院議員。2001年に秘書給与詐欺で実刑判決を受け、黒羽刑務所に服役。出所後は都内の知的障害者入所更生施設に支援スタッフとして通いながら、執筆、講演活動を続ける。受刑生活をつづった『獄窓記』を2003年出版。2004年同書で新潮ドキュメント賞を受賞。2006年より「播磨社会復帰促進センター」「島根あさひ社会復帰促進センター」などPFI刑務所の計画立案や運営に参加。厚生労働省の「罪を犯した障害者の地域生活支援に関する研究」の研究員および日本社会福祉士会「リーガル・ソーシャルワーク研究委員会」の委員を務める。他の著書に『累犯障害者』(新潮社)、『続獄窓記』(ポプラ社)など。
●本の紹介●
『獄窓記』新潮文庫
『累犯障害者』新潮社
『続獄窓記』ポプラ社
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