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拙著『フリーライダー あなたの隣のただ乗り社員』(講談社現代新書)でも触れているように、正社員と非正社員との関係においても、フリーライドに関わる深刻なケースが後を絶たない。
企業の非正社員は、正社員よりも収入・雇用面で不安定な立場に置かれている。それは、リーマンショック直後に多くの企業で行なわれた「派遣切り」に象徴され、マスメディアを通じて大々的に問題提起された。景気が回復基調に入ったと言われる今、事態はどれほど改善されたのだろうか。
この問題の背景には、実は企業社会に根を張っている構造的な問題がある。ここ数年の間に、組織の中で「新たな身分制度」が発生し、固定化しつつあることだ。
「新たな身分制度」とは、雇用が安定している正社員と、派遣・契約社員などの雇用が安定していない非正社員社員との間に横たわる「身分格差」である。
この20年間、企業の組織運営の特徴の1つに「フラット化」があった。意思決定の迅速化、高賃金の管理職層を減らす目的などから、フラット組織を志向する企業が増えた。
その結果、組織の中の「階層」は減った。形式上のフラット化の進展と同時に、意識のフラット化も進んだ。年齢が違えば階級も異なり、必然的に階級を意識したコミュニケーションをしなければいけない時代は過ぎ去った。
さすがに先輩への「ため口」は許されないものの、今や年齢が5つ違うくらいでは階級に明確な差がつかなくなった。社員同士の意識の壁は低くなり、お互いを「同じ職務を分担する人間」とだけ見なすようになっている。
加えて、成果主義が導入された結果、立場がいつ逆転するかもわからない時代が到来し、正社員同士の関係は20年前と比べたら信じられないほどフラットになった。(このことが生み出すデメリットもあるのだが、本論の趣旨ではないので割愛する)
一方で、いわゆる正社員と言われる「雇用期間の定めのない社員」とは異なる労働契約の社員が、会社の中で働く職場が増えた。それが派遣社員や契約社員と言われる非正社員のことである。
本来、そこには「身分格差の思想」は微塵もないはずである。正社員と非正社員の違いは、あくまでも契約形態の違いである。
しかし残念なことに、会社によっては、正社員と呼ばれる社員の中に、非正社員に対する身分意識を持ち込む人がいる。あるいは、組織自体がそのような意識で非正社員を捉えている会社も、まだある(本来「正」社員という言葉自体がこうした歪んだ身分意識をもたらす原因の1つと考えられるため、より適切な言葉が必要なのだが)。
たとえば、派遣社員や契約社員の採用管理を、人事部ではなく「購買部」と呼ばれるような組織が担当している会社に出合ったことがある。説明を受けたときに違和感を覚えたものだが、この場合、会社が非正社員に対して資源ではなく「コスト」という意識を持っていることを象徴しているように感じる。
あるいは、派遣社員と正社員との関係性がうまくいっていない会社でインタビューを行った際、派遣社員の方々が、次のような説明をしてくれた会社もある。
「私たち派遣社員には、名刺がないのです。外部の方とお会いする機会がある仕事に就いている人も同じで、同席する正社員の方は名刺を差し出すのですが、私たちは差し出すものがないのです」
その会社で働く派遣社員の方々が、職場の現況について語った次のようなことが、今なお記憶に焼き付いている。
「私たち派遣社員を正社員の人たちが名前で呼ぶ習慣が、この職場にはないのです。常に『派遣さん』と呼ばれます。」
会社側の意識が、そこで働く社員の意識にも少なからず影響を及ぼすことを、この例は示している。
仕事をやらせて手柄だけ自分のものに!
「正社員」の立場を使ったフリーライダー
この新たな身分格差は、「意図」をもったフリーライダー正社員にとっては、極めて好都合である。なぜならば、仕事は彼らが「格下」と考える非正社員にふればいいのであって、自分たちはそれで楽ができるからである。
これを、「正社員という立場を使ったフリーライダー」と我々は呼んでいる。会社から成果を求められても、そのノルマは非正社員にふる。自分たちは管理者という立場に身をおいて、指示命令、そして成果管理に徹する。
会社からの成果要求が厳しくなっても、その分だけ非正社員のノルマが積み増しになるだけである。実務に精通していないフリーライダー正社員の中には、クレーム対応まで非正社員に丸投げする人も出てくる。一緒に問題解決を考えようとするのではなく、責任だけ非正社員が負わされる。
その間、さすがに非正社員だけ残して帰るわけにはいかないので、ムダに会社に残る。中には、一所懸命にトラブル対応している非正社員の横で、フリーライダー正社員がパソコンゲームなどに興じている職場もあるという。
彼らは、その間残業代を稼ぐこともできる。もちろん問題解決できれば、その手柄はフリーライダー正社員のものになる。
社員間の健全な関係性が構築されている職場で働く読者にとっては、信じられない話かもしれない。
確かに、前述の内容は極端なケースかもしれない。しかし実際、これと同様・同類の現状に悩んでいる派遣・契約社員と思われる方々から、本コラム宛てに多数のレターをお寄せいただいている。
このことは、程度の差はあれ、正社員という立場を使ってフリーライドをすることが見過ごされている職場があることを、物語っている。
立場が弱い非正社員が直面する
「サイレントコンプレイン」の壁
なぜ、そのような実態を企業側が見過ごしてしまうのか。その背景には、拙著で述べているような、フリーライダーに対する「サイレントコンプレイン」の壁があると考える。
サイレントコンプレインとは、「声にならない声」のことである。非正社員にとって、雇用の継続は切実な問題である。期限の定めがない正社員と比べて、そのプレッシャーや深刻度には大きな差がある。
そのような状況下において、「管理する側が正社員」という構図になっている職場の場合、当該正社員に問題があり、そこに大きな不満があったとしても、なかなか口に出して言えるものでもない。それが人間の現実である。正社員に嫌われて雇用の継続が断絶したら、生活に大きな支障をきたすからである。
仮にその不満を訴えるにしても、窓口はどこにしたらいいのだろうか。前述のように、非正社員の雇用管理をしている購買部のような部署に伝えれば、問題はスムーズに解決されるのだろうか。
もし、「非正社員はコスト」という観念がまかり通っている企業であれば、そのような不満を言う非正社員を「面倒だ」と感じ、彼らの「代わり」を調達しようとする動機が働かないだろうか。
人材を「コスト」と捉える観念は、「モノ」という概念に結びついて成立する。「モノ」であるならば、使用して「キーキー」と音がして不具合が発生するなら、別なモノに取り替えようという発想に直結しやすくなってしまうかもしれない。
人間に関わる問題は、性善説に立って考えたいし、信じたいところではある。そう考えると、雇用管理の担当者は、会社を離れれば「一個人」としていい人であると信じたい。しかし、観念が設定された職場の中で毎日毎日同じ仕事をしていると、「職務者」として感覚が麻痺してしまうことがある。それが組織の怖さでもある。
人事制度の適用も異なる?
非正社員は「制度の壁」にも阻まれる
また、このようなケースにおいては、「縦割り」管理の問題も壁になるであろう。つまり、正社員に対する不満を購買部などに伝えても、実際に正社員を管理しているのは人事部の場合が多い。
両者がうまく連携をとって、問題解決へと動いてくれればよいのだが、このようにフリーライダーを見逃している会社の場合、一般的に連携が円滑な組織であるとは考えにくい。
だからと言って、非正社員が人事部に直接不満を伝えても、同じことだろう。「あなたたちの窓口は購買部だから」と、まず購買部を通して解決することを促される可能性がある。
拙著『フリーライダー』では、人の成果を横取りする「成果・アイデア泥棒型フリーライダー」に対して、多面的な評判情報を管理する仕組みを導入することの有効性を述べた。例として「360度評価」のうまい使い方を挙げている。
しかし非正社員の場合、ここでも壁にぶつかる。今度は「制度の壁」である。 360度評価の評価者に非正社員を含めている会社や職場は、実際どれくらいあるのだろうか。
多くの企業の場合、人事制度は正社員に適用されるものであり、非正社員に対しては非正社員用に別の制度を適用しているものだ。 このような多くの壁に阻まれた結果、非正社員の声が「サイレントコンプレイン」に留まってしまっている会社は、まだまだ多いのではないだろうか。
筆者は、格別に非正社員だけを擁護するつもりはない。しかし、「身分差」「身分差が生み出すフリーライドの実態」、そして「声を届ける手段の壁」といった問題を生み出している組織があるとするならば、経営者は「人間」の問題としてこの現実を直視し、人間らしい解決をしていって欲しいと考える。
実際、拙著『フリーライダー』を書き上げるまでに行なった筆者たちの調査においては、「派遣・契約社員の人々が、本当に一所懸命に働いてくれる」「いい仕事をしてくれる」という声を多数聞いた。
ボーダレス社会ゆえの、格差なき
「人間的経営」に目を向けるべき
その一方で、リセッションの結果、経営危機に近い状況に追い込まれながらも、「正社員に危機感がなく、今なお甘えた仕事の仕方をしている人が多い」という職場にも出合ってきた。
これを我々は、「正社員という身分に甘えたフリーライダー」と呼んでいる。そう簡単にクビになることはないという正社員の身分に甘え、会社にぶら下がっているフリーライダーである。
日本企業において、今後労働の多様化が後退することは予測しづらい。むしろ、ますます多様化が進行すると考えられる。国籍、性別、契約形態、労働時間・・・職場は、色々な要素の「混合体」になっていくことであろう。
企業はこの多様化の現状を、嫌でも受け入れざるを得なくなっていくと考えられる。つい20年前には、現在のようなマーケットの状態や労働形態が考えられなかったにもかかわらず、今ではそれが「当たり前」となり、受け入れて考えないとやっていけなくなっているように。
古い価値観で人材管理をする企業や、固定的な価値観で「人」を見ている社員は、自分たちのほうがおいてきぼりをくい、気づいたら自分がフリーライドをする社会も組織もなくなっていたという「しっぺ返し」を受けるかもしれない。
「差」に甘えている自分がいないか、「差」によって態度・姿勢を変えている自分がいないかを、今一度働いている人全員が自分に問いかけてみてほしい。
今後迎える究極のボーダレス社会においては、「差」を持ち出すことは許されなくなり、ただ「人間の真価」だけが問われるようになるのだから。
〔追記〕『週刊ダイヤモンド』8月25日号(店頭販売は8月23日(月)から)において、「雇用」をテーマにした特集が組まれます。筆者たちも、「フリーライダー」について都合4ページにわたる寄稿をしていますが、その中でも今回のコラムで触れた「非正社員問題」を論じています。ぜひ書店などで手にとってみてください。
((株)道(タオ)代表取締役社長 河合太介)
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