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【アナーキズム再び、つながり求め新たな運動】-----(asahi.com)
アナーキズム(無政府主義)と聞いて何を思い浮かべるだろう。 時代遅れの暴力革命家か、それとも未来にユートピアを託す夢想家か。
いずれにせよ非現実的な空理空論として、長い間「忘れられた思想」とされてきたアナーキズムをめぐる人文書の刊行が続いている。
新しい「つながり」を求める運動として期待されているようだ。
アナーキズムは19世紀半ばから20世紀前半、マルクス主義と並ぶ社会変革思想の一大潮流だった。
個人の自由に立脚しながら、党や国家をはじめあらゆる権威を否定した。
この時期の代表的思想家であるプルードンやクロポトキンの著作が今春、相次いで新刊として出版されている。
一方で、「新しいアナーキズム」を掲げるものも目立つ。
その代表が、ロンドン大学のデビッド・グレーバー准教授による『資本主義後の世界のために 新しいアナーキズムの視座』(以文社)だ。
5月に開かれた歴史学研究会大会の近代史部会では「帝国秩序とアナーキズムの形成」がテーマとされ、報告者はいずれもグレーバー氏に言及した。
人類学者で、反グローバリゼーション活動家でもあるグレーバー氏は、人類の共同体が古くからアナーキズム的な原理を備えていたとして、自身が参加した運動の組織論に、その復活を見いだした。
99年にシアトルで起きた反WTO(世界貿易機関)デモ以来、世界的に広がった反グローバリゼーション運動は、自律や相互扶助を基本にしていた。
それらは、アナーキズムの行動原理であり、既存の労働運動とは別の新しい潮流が生まれた。
「理論よりも経験や倫理に重点を置くアナーキズムが見直されているのでは」とみるのは、『チョムスキーの「アナキズム論」』(明石書店)を翻訳した木下ちがや氏だ。
かつて日本で資本主義が興りグローバル化の波が押し寄せた明治末から大正にかけ、アナーキズムは一時マルクス主義をしのぐほどの影響力があった。
だが、ロシア革命や福祉国家の成立で、国家の存在感が極大化するに従い衰退した。
その後、ソ連が消滅し、新自由主義による「小さな政府」が一般化。
福祉国家への期待は遠のき、労働運動も停滞した。
そんな中で「新たなつながり」の思想として期待されているというのだ。
アナーキズムは、現実的な選択肢たりうるのか。梅森直之早稲田大学教授(日本政治思想史)は「すぐに実現するということではないが、今の資本主義秩序とは違う人間の働き方がありうるのを示すことに意義がある」という。
『革命待望!』(芹沢一也氏らとの共著)でアナーキズムの可能性を論じた橋本努北海道大学准教授(社会哲学)も、その意義は近代批判にあるとみる。
ただし「新自由主義は生きのびるために、アナーキズムの創造性さえ必要としており、逆説的だが両者が深いところでつながってしまっていることに注意が必要だ」と話す。
◆すでに社会の中にある
ニューヨーク在住の批評家、高祖岩三郎氏(54)は近刊『新しいアナキズムの系譜学』(河出書房新社)で、アナーキズムの歴史を再解釈しながら、多様な運動の継続的な組織化の必要性を問うている。高祖氏に話を聞いた。
――なぜアナーキズムに注目するのか。
「新左翼の崩壊した原因の一つは、階層序列による組織的な権威主義があったのではないか。新左翼がなぜうまくいかなかったかを考えていた90年代、米国でそれまでとは違う新しい運動が出てきて、若い活動家たちが漠然と自分をアナーキストと呼んでいることに気づいたのです」
――従来の運動との違いは。
「アナーキズムは誰かが発明した思想ではありません。人類がもともと持っていた自律や相互扶助、直接民主主義という簡単な原理をもとにしたもの。この簡単なことが、99年のシアトル以降の反資本主義運動の決定的土台になったのです」
――アナーキズムは、資本主義への対抗軸になるか。
「大きな集団を想定したものではなく、信頼できる友人や仲間との人間関係を築きながら連帯していくという行動様式が基本。そうした関係のネットワークを国家の存在とは別に、二重権力のような形で広げていく。国家を倒して反国家の秩序を打ち立てるとか、西軍と東軍が関ケ原で激突するような図式ではもう考えない。現実化しえない理想かどうかより、すでに社会の中にそれはあるのです」(樋口大二)