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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009072302000256.html
7年前 トムラウシ山で遭難 母の死 なぜ学ばぬ
2009年7月23日 夕刊
2002年7月にトムラウシ山で遭難し死亡した葛西あき子さんの遺影を前に当時の心境を振り返る息子の功一さん(左)と夫の義美さん=19日、愛知県東海市の自宅で
「あの時と同じルートで、同じ悪天候。なぜこんなにも犠牲者が出てしまったのか」。北海道大雪山系のトムラウシ山(2、141メートル)で、アミューズトラベル(東京都千代田区)主催のツアーに参加した客とガイドの8人が命を落とした惨事から23日で1週間。その同じ山で7年前、葛西あき子さん=愛知県東海市荒尾町、当時(59)=が逝った。遭難の知らせは、長男の功一さん(42)=同=に「あの時」を思い起こさせた。 (太田鉄弥)
「えっ」
十六日夜、携帯電話のニュース速報で表示された文字にくぎ付けとなった。トムラウシ。忘れられない名前だった。あき子さんは登山仲間三人とともに二〇〇二年七月、大雪山系を縦走。最終日の十一日朝、台風が近づきつつあったが、小屋を出た。
下山まで十時間かかる長いルート。山頂付近は遮る物がなく、強風で歩けない。雨が容赦なく体温を奪う。体感気温は氷点下。あき子さんは低体温症で動けなくなり、命を落とした。近くで、別の一行の女性=当時(58)=も亡くなった。
今回もまた、強風と雨が命を奪った。「小屋を出なければ、何も起きなかった」。悪天候で抜けられるようなルートではないという七年前の教訓は、生かされなかった。
「本格的な山は、これが最後ね」
出発前、珍しく電話をくれた母と、北海道新得町の遺体安置所で再会した。化粧を施された顔は、眠っているかのようだった。
夜、父の義美さん(73)と弟の男三人で、警察が手配してくれた宿の温泉につかり、座敷でビールを飲んだ。会話らしい会話はない。頭の中は真っ白だった。
翌日、ひつぎに入った母を連れて帰る空港で告げられた。「遺体は貨物の手続きとなります」。母の“運賃”は、キロ単位で計算され、八万数千円。現実を突き付けられた。
明るかった母。息子二人、娘一人を育て上げ、四十代半ばで登山を始めた。日記に、日本百名山のうち訪れた九十以上の名峰と、出合った高山植物が記されていた。
「好きな山で死んだ母は、本望だったんじゃないだろうか」
何とかそう思えるようになったのは、四年ほど過ぎてから。当時の新聞記事の切り抜きを毎日眺めては悲しみに暮れる父も、「本望だろう」とようやく賛同してくれた。
それだけに、今回の遭難で残された遺族や友人が直面する喪失感は人ごとではない。
より安全であるべきツアー登山で、悲劇が繰り返された。功一さんは問う。「七年前のことに学んでいれば、小屋にとどまるという判断があったかもしれない。ツアー会社は安全の確保を真剣に考えてきたのだろうか」