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死刑とは何か〜刑場の周縁から(来栖宥子)
http://www.asyura2.com/09/social7/msg/233.html
投稿者 ダイナモ 日時 2009 年 6 月 10 日 21:48:28: mY9T/8MdR98ug
 

http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/itami.htm

 裁判員裁判の実施が間近になった。本当に実施可能なのだろうか、という半信半疑の思いも私にはある。拙サイトでは裁判員制度について、様々な記事や論説から考えてきた。実に多くの問題を抱えた制度であって、どれ一つとってみても、揺るがせに出来ない重い問い掛けであると痛感している。『裁判員・被害者参加制度』 http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/saiban-in-menu.htm
 裁判員裁判は死刑相当とされそうな重大事件について市民が参加する。けれども「裁判員になりたくない」「死刑に関わりたくない」との世論が圧倒的に多い、と聞く。矛盾していないか。従来の世論調査結果によれば、8割強の国民が死刑制度に賛成している。
 本稿では、国民が斯くも係わる事を嫌悪する死刑、とりわけ死刑執行の実態とは何なのか、可能な限り現場(処刑場)に近く寄って考えてみたい。裁判員制度が死刑の実際について知り考える契機になるなら、と密かに期待を寄せるものである。
 先ず、中日新聞の「論壇時評」(2008/2/28〜29)から。


●論壇時評【「神的暴力」とは何か 死刑存置国で問うぎりぎり孤独な闘い】(抜粋)
 日本は、「先進国」の中で死刑制度を存置しているごく少数の国家の一つである。井上達夫は、「『死刑』を直視し、国民的欺瞞を克服せよ」(『論座』)で、鳩山邦夫法相の昨年の「ベルトコンベヤー」発言へのバッシングを取り上げ、そこで、死刑という過酷な暴力への責任は、執行命令に署名する大臣にではなく、この制度を選んだ立法府に、それゆえ最終的には主権者たる国民にこそある、という当然の事実が忘却されている、と批判する。井上は、国民に責任を再自覚させるために、「自ら手を汚す」機会を与える制度も、つまり国民の中からランダムに選ばれた者が執行命令に署名するという制度も構想可能と示唆する。この延長上には、くじ引きで選ばれた者が刑そのものを執行する、という制度すら構想可能だ。死刑に賛成であるとすれば、汚れ役を誰かに(法相や刑務官に)押し付けるのではなく、自らも引き受ける、このような制度を拒否してはなるまい。(大澤真幸 京都大学大学院教授)

 死刑に関連する法廷に身を置くのさえ苦痛だと感じる人たちに「執行命令に署名し、更に刑場に入り刑そのものを執行してはどうか」との提案は、如何にも唐突に聴こえるかもしれない。
 しかし、死刑制度を是とし存続させてきた主体は国民である。国民に代わって下手人の役割を担ったのが法相・刑務官であり、遡れば裁判官・検察官であった。国民は彼ら僅かの人たちに実際の
業務を肩代わりさせ、法務省は執行の公表を控えてきた。
 死刑について「僅か」に知る人は(密殺、密行である故に、死刑について国民は「僅か」しか知り得ない)、瞬時に意識が失われることをもって日本の絞首刑(厳密には縊首刑)は「死刑囚にとって楽な死」などというが、そうだろうか。
 長いが、以下参考に供するのは、加賀乙彦氏の著作『宣告』から、死刑執行の場面である。小説であるが、加賀氏が医官(小木貞孝=本名)として東京拘置所で見聞したことが書かれている。伝わってくるものは、刑場の真実である。行刑施設によって幾分か異なる部分のあることは否めないだろうが、忠実に再現されているように思う。


●新潮社刊『宣告』(下)
 「さようなら」楠本は一同にむかって深く頭をさげた。その瞬間、所長が額に皺を寄せて保安課長に鋭い目くばせをした。保安課長が右手をあげて合図した。あらかじめ楠本の両側に待機していた看守が手錠をはめ腰にゆわくのと、もう一人が背後から白布で目隠しをするのが同時だった。
 壁の中央で扉が音もなく穴をあけた。中腰になった保安課長が先にたち、3人の看守が左右と後ろから支えて、楠本は歩き始めた。にわか盲のため、足先で1歩1歩たしかめるような歩き方だが、安心しきって誘導に従っている証拠に、歩度に乱れはなく、靴は---それはよく磨かれて艶々と光っていた---規則正しく床を打った。
 前列にいる近木からは隣室の様子が目撃できた。装置は東北のS拘置所で見たのと全く同じである。部屋の中央に1メートルと1メートル半角の刑壇がある。真上の滑車から白麻のロープが垂れている。1人の看守がロープのたるみを小脇にかかえ、もう1人がロープ端の輪を鉄環のところで支えている。ロープの長さは、死刑囚の身長と体重によって微妙に調節されてある。落下したとき、足先が地面より30センチ上に来るようにしなくては、処刑は成功しない。車の手動ブレーキに似た把手2つを2人の看守が一つずつ握っていた。2つのうちのどちらかが刑壇の止め金に連動している筈だ。
 壇の扉を看守が、焼却炉の蓋でもするように、音高く閉めた。いよいよだなと近木は思い、これからおこる情景を順を追って想像しようとした。が、まだ何も考えぬうちに、グワンと鉄槌で建物を打ち毀すような大音響がした。その音が何だかあまり早くしたので、いまのは予行で、これから本番がだと思った。しかし、芝居でもはねたようにそれまで沈黙を守っていた人々が俄然ざわめき立ち、2人の所長と検事を先頭に動き出した。
「行きましょう」と曽根原がうながした。いつのまにか白衣を着て、聴診器を胸に、血圧計を手にさげている。看守たちを掻き分けて先を急ぐのに、近木は従った。
 廊下の端に来て左に折れると、広い階段を見下ろす場所に来た。折り畳み椅子が3脚並べられている。所長2人と検事が座った。振り返ると教育課長や神父はここまで来ずに、先程登ってきた狭い階段から降りていく。近木は迷った。が、検事の横に立って、ともかくとことんまで見ようと、腹を決めた。彼の後に看守たちが並んだ。
 目の前の階段を曽根崎は身軽にひょいひょいと下りた。右側の窓から充分な採光があるため明るい、ちょっとした大学の臨床講義室を思わせる階段であった。下には菅谷部長がストップ・ウォッチを手に立っている。曽根原は奥の白いカーテンを左右にゆっくり開いた。人形劇でも始めるような何気ない動作である。が、むこうには銀のロープに吊りさげられた人間の姿があった。
 それが、今話をしたばかりの人間とは到底思えない。くびれた頸の上では死んだ頭が重たげに垂れ、下では躯幹と四肢がまだ生きていて苦しげに身をくねらせていた。それは釣りあげられた魚がピンピン跳ねるのに似ていた。
 落下の加速度を得たロープで頚骨が砕かれ、意識はすぐに失われるけれども、体はなおも生きようとして全力を尽す。胸郭は脹れてはしぼみ、呼吸を続けようと空しくあがく。腕は何かを掴もうとまさぐり、脚は大地をもとめて伸縮する。おそらく落下と同時にしたのだろうが、手錠と靴が取りのぞかれていたため、手足の動きは一層なまなましく見えた。
 やがて筋肉の荒い動きがおさまり、四肢は躯幹と並行に垂れ、ぐっぐと細かい痙攣をはじめた。前後左右に激しく揺れていたロープが1本の棒となって静止すると、縒りを戻しながらじわじわと回転しだす。顔がこちらを向いた。汗に濡れた青白い肌だ。目が潰れたように引き攣り、開いた口から固い舌先がのぞいている。流涎の幾条かが顎に、切創からはみでた脂肪のように光っていた。そこには精神によって保たれていた表情の気品がかけらも無い。肉体の苦悶が、そのまま正直に、凝固しているだけだ。機をうかがっていた曽根原医官が、背広の上着を脱がし、トレーニング・ウエアの袖をまくりあげて脈をとった。それから血圧計のゴム布を腕に巻きつけた。それだけの仕事が、体が逃げるように回るため、大層やりにくそうだった。ゴム布に空気を送り聴診器を腕に当てて血圧を測る。数値を菅谷部長が手帳に書きとる。脈搏と血圧の測定が何度もおこなわれた。曽根原は禿げ頭をせわしく動かし、白衣の襟を汗で湿して、懸命に仕事を続けた。こうすることがこの場合、最も重要なのだという自信が彼の動作に現れて、私語を交していた看守たちもいつしか黙りこみ、凝っと成り行きを見守っていた。
 ついに脈が触れなくなったらしい。すばやく胸をはだけ、聴診器を押しつける。弱った心臓の最後の鼓動を聴こうとする。曽根原が頷いた。菅谷部長がストップ・ウォッチを押した。
 曽根原は階段上の所長たちと検事に一礼し、「9時49分20秒、おわりました。所要時間14分15秒」と声高に報告した。
 近木の後にいた看守たちが階段を駆け降りた。保安課長が下に姿をみせた。棺が運び込まれ、屍体がおろされた。
 拘置所長が腰を浮かしながらK刑務所長に頭をさげた。
「お疲れさまです」
「やあ、きょうはスムースにいきましたな」赤ら顔の刑務所長は快活に言った。
「先週は、手古摺りましたからね」
「きょうのは、すっかり諦めてた様子でしたな。ああいう風にもってくのは大変でしょう」
「信仰があったんで、こっちは助かりました」
「握手をもとめられた時はちょっとあわてておられた」
「ええ、死人に触られるようなもんですからな、いい気持じゃあありませんや」
「しかし、今度の法務大臣は、まあジャンジャン判子を押すもんですな」
「実は」拘置所長は左右を気にしながら声をひそめた。
「今週、もうひとりあるんですよ。けさ、執行指揮が来ましてね」
「今度は誰ですか」
「それはですね・・・」所長は後にいる近木に気付いて言葉を切った。そんな所に医官がいるとは思わなかったらしい。
 拘置所長は刑務所長を脇に連れていって密談を続けた。事務官が迎えに来て検事が立った。おそろしく無表情な人である。処刑の間、近木は時々盗み見たが、昔自分が求刑し、今自分の意志が実行されている現場を前にして何を考えているのか、ついに読み取れなかった。
 検事が所長たちに一礼した。所長たちは話やめ、3人は頷き合いながら、歩み去った。
 保安課長の指揮で看守たちが立ち働いていた。湯灌がおわり、茣蓙に横たえられた屍体に用意の経帷子を着せている。課長みずから屍体の両腕をとり、掛声とともに白木の棺に移した。髪を撫でつけ、表情を直す。両手を組む。「さあ、がんばれや」「もうすぐおわるぞい」課長は、絶えず陽気に声をかけた。その態度は、すこしでも声を休めると看守たちが働きやめてしまう、それほどこれは嫌な仕事なのだと示していた。(略)
 作業が終わり、棺に蓋をするばかりになって、保安課長が号令をかけた。
「一列横隊に整列」
 近木は棺の中を見るのが嫌で、離れて立っていたが、この時、見えぬ糸に引かれるように、そっと歩み寄った。
「黙祷」
 最前苦痛にゆがんでいた楠本の表情は、なぜかいまは、すっかり安らかな寝顔に変わっていた。死後、血が行き渡りでもしたように、肌がほんのり赤らみ、生きているようだ。唇がわずかにゆるんで真っ白い歯がのぞけ、何か物言いたげだ。憔悴した病人の死ばかり看取ってきた近木には、窶れの見えぬ楠本の顔艶が、どうも納得できない。もしこれが死だとすれば、それは余りにも不自然すぎる。

 繰り返すが、死刑制度の主体は国民である。2000年余り前、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫ぶ群衆のため、イエスは、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカによる福音書23,21〜)と、天に弁護した。
 が、人は自らのしていること(死刑執行)の実際を知るべきではないか。
 大塚公子氏の『死刑執行人の苦悩』から抜粋、転載する。刑務官として死刑執行に携わった人たち(氏名はアルファベット表示)に取材してお書きになった労作である。私はこの本を大塚氏から直接戴いた。

●角川文庫『死刑執行人の苦悩』
p65〜
 心の中で合掌し、任務を果たすことに集中した。
 執行はすばやく行わなくてはならない。Cさんが首にロープをかけるのと、べつの刑務官が膝をひもで縛るのと同時。間髪を入れずもうひとりの刑務官が保安課長の合図を見て、ハンドルを引く。この間、時間にしてわずか3秒ぐらいのものである。
p66〜
 立会いはごめんだ
 ハンドルが引かれると、同時に死刑囚の体は地下に落下する。足下の踏み板が中央から二つに割れ、宙吊りになって絞首される仕掛けになっているのである。
 宙吊りになると、医学的見地からはほとんど瞬間的に意識を失い、死刑囚に肉体的苦痛はない、とされている。処刑されてしまった死刑囚にじっさいに苦しくなかったかどうかたずねることはできない。意識を失ってほとんど苦しむことはないので、死刑は残虐ではないという理屈がまかりとおった。
 憲法では残虐な刑罰を禁止している。
 死刑判決を受けた被告人は弁護人とともに、この憲法をたてに、死刑は違憲であると訴える。
 しかし、裁判所は、吊るされた瞬間に死刑囚は意識を失い、苦しみはほとんど知ることはない、したがって絞首刑は憲法にいうところの残虐な刑にはあたらないと主張する。
 じっさいに意識を失ってしまって、いっさいの苦痛が皆無であったかどうか、絞首された当人にたずねることができないのはいまも言ったとおりである。
 執行現場で見たとおりの話はこうだ。
 宙吊りになった死刑囚はテレビドラマなどで見るように、単純にだらりと吊り下がるのではない。
 いきなりズドンと宙吊りになる。このとき死刑囚が立っていた踏み板が中央から割れて下に開く。その衝撃音は読経のほかなんの音もない静寂の中にいきなり轟くので、心臓にこたえる感がある。たとえかたがうまくないかもしれないが、ぶ厚くて大きな鉄板を、堅いコンクリートの床に思いきり叩きつけたような音だという。
 この衝撃音がバターンと轟くのと死刑囚が宙吊りになるのがほとんど同時。
 宙吊りの体はキリキリとロープの限界まで回転し、次にはよりを戻すために反対方向へ回転を激しく繰り返す。大小便を失禁するのがこのときである。遠心操作によって四方にふりまかれるのを防ぐために、地下で待っていた刑務官は落下してきた死刑囚をしっかり抱いて回転を防ぐ。
 間もなく死刑囚は激しいけいれんを起こす。窒息からくるけいれんである。
 両手、両足をけいれんさせ動かすさまは、まるで死の淵からもがき逃れようとしているかに見える。手と足の動きはべつべつである。
 手は水中を抜き手を切って泳ぐように動かす。
 足は歩いて前進しているとでもいうような力強い動かしかたをする。
 やがて、強いひきつけを起こし、手足の運動は止むが、胸部は著しくふくれたりしぼんだりするのが認められる。吐くことも吸うこともかなわぬ呼吸を、胸の内部だけで行っていると思えてならない。
 頭をがくりと折り、全身が伸びきった状態になる。瞳孔が開き、眼球が突き出る。仮死状態である。
 人によっては、宙吊りになって失禁するのと同時に鼻血を吹き出すこともある。そんな場合は、眼球が突出し、舌がだらりとあごの下までたれさがった顔面が、吹き出した鼻血によって、さらに目をおおわずにはいられない形相となる。
 医官は死刑囚の立っている踏み板が外れるのと同時にストップウォッチを押す。つぎに仮死状態の死刑囚の胸を開き聴診器をあてる。心音の最後を聴くためである。もうひとりの医官が手首の脈をとる。脈は心音より先に止まる。心臓がすっかり停止するまでには、さらにもうしばらく聴診器をあてたままでいなくてはならない。
 しかし、それも、そう長いことではない。ストップウォッチを押してから、心臓停止までの平均時間は14分半あまりである。この14分半あまりが、死刑執行に要した時間ということである。
 死刑執行の始終を見ていて、失神した立会い検事もいたという。失神はまぬがれたとしても、「死刑の立会いはもうごめんだ」というのが感想のようだ。(〜p68)

 死刑の現場は、執行する側にも執行される側にも、凄惨なようだ。ただ苛酷な中にも、通常通りに事が終われば未だしもであるが、以下のような情況に陥ることもあった。


●角川文庫『死刑執行人の苦悩』
p131〜
 死刑執行で直接手を汚す役は刑務官になってあまり年数を重ねない若い刑務官が命じられることが多い。刑場付設の拘置所、刑務所に勤務すると、「執行を体験しなければ一人前の刑務官になれない」と必ず言われるということは、前に何度も書いた。
 その日の執行には、首に縄をかける役を初体験者が命じられた。先輩の刑務官に指導を受けたとはいえ、落ちついた平常心でできるわけがない。あがるのは当然である。先輩の刑務官は、踏み板が落下して、死刑囚が宙吊りされたとき、ほとんど瞬間に失神するよう注意しなくてはならないと教える。ロープをどのように首に合わせるかを説明する。しかし、いざ本番となると、執行するもののほうが頭にカーッと血がのぼる。なにがなんだかわけがわからなくなる。あせる。あわてる。
 絞縄は直径2センチ。全長7.5メートルの麻縄である。先端の部分が輪状になっていて2つの穴を穿った小判型の鉄かんで止めてある。輪状の部分を死刑囚の首にかける。鉄かんの部分が首の後部にあたるようにかける。さらに絞縄と首の間に隙間がないように密着させてギュッと締める。
 ロープをかける役の刑務官の果たすべき役割は下線の部分である。ところがこの日の初体験者はこのとおりにできず、どこかまちがった。
 なにしろわずか3秒間程度の、ほとんど瞬間といってもいいような時間内にやり終えねばならないのだ。
 ロープ担当の刑務官が、規定の方法でロープを死刑囚の首にかける。同時に他の刑務官が死刑囚の膝をひもで縛る。間髪を入れず保安課長の合図でハンドル担当者がハンドルを引く。死刑囚の立っている踏み板が落下して死刑囚が宙吊りになる。この間わずか3秒程度のものなのである。死刑囚が刑壇に立ってから一呼吸あるかないかという早業だ。
 このときも死刑囚は宙吊りにはなった。アクシデントが起こったのはこの後である。
 通常ならば、平均14分あまりで心音が停止し執行終了ということになる。けれどもこのときは大いにちがっていた。
 死刑囚がもがき苦しみつづける。ロープが正しく首を絞めていないのだ。革の部分から頬を伝って、後頭部の中央あたりに鉄かんが至っている。これでは吊るされた瞬間に失神するというわけにはいかない。意識を失うことなく、地獄の痛苦に身もだえすることになる。止むなく死刑囚の体を床に下ろし、24、5貫もある屈強な刑務官が柔道の絞め技でとどめをさして執行を終わらせた。
 死んでこそ死刑囚という考え方があるそうだが、殺してこそ執行官とでもいうところだろうか。
 とどめをさした刑務官に、後に子供が生まれた。その子どもの首がいくつになってもしっかりとすわらない。父親になった刑務官は、かつての自らの行為の、因果応報だという自責と苦悩とから解放されることがないという。
 生まれた子供の首がかなり成長してもしっかりすわらないという話はまれに聞くことである。死刑執行のさい、アクシデントが起きたために柔道の絞め技を用いた刑務官の子供の場合も、因果応報ではなく、偶然のことだ。何百万分の一かの確率に偶然的中したまでである。そんなことは当の刑務官自身にもよくわかっているのかもしれない。わかっていながらも、つい因果説に結びつけてしまう気持にもなるのだろう。止むことなく死刑執行の罪の意識に責められて明け暮れているのだから。(〜p134)


 『死刑執行人の苦悩』は、正に死刑執行に直接手を下した刑務官たちの苦悩を数多く描いているが、本稿では、ごく僅かな引用にとどめた。
 一つ、想起された古い記憶がある。私は藤原(勝田)清孝の生存中、幾度か名古屋拘置所の幹部職員に呼ばれて藤原の事で面接をした。いろんな話題がその時々であったが、「耳」について話されたことがあった。それは「刑務官は日常的に被収容者(元犯罪者)と係わるという職業がら、必ず武道(剣道・柔道)を一つは、やっています。そのため、刑務官の耳は押しつぶされて変形してしまっています」とおっしゃるのだった。
 その話を聞いてから私は、その種の職業の人に会うと、どうしても「耳」に目が行ってしまうようになった。そして、見れば、なるほど、耳が潰れていた。
 上記大塚氏の著作の“柔道の絞め技でとどめをさして執行を終わらせた。”は、私には理解できる。惨たらしいが、ありえる事だ。その刑務官は、いかばかり辛かったことだろう。本来、人を生かすために嗜んだはずの武道だった。
 いま一つ、書いておきたいことがある。
 113号事件藤原(勝田)清孝は、2000年11月30日に死刑執行された。終了時刻は午前11時38分であった。知らせを受けて名古屋拘置所へ車を走らせた。所長や教誨師から最期にいたる藤原の様子を聞いたり、色々なことを拘置所から懇ろにして頂いた後、棺に納まった藤原の後を追って拘置所を出た。既に外は夕暮れていた。葬儀社に到着し、初めて一人だけで藤原と対面した。安らかで眠っているような顔であった。晩年あれほどに苦しんだ腰痛からやっと解放された、そんな表情にも見えた。首に絞縄の跡があったが、私の目にはさほど惨たらしくは映らなかった。また胸に触れてみると、仄かなぬくもりが感じられた。「温かい」と私が思わず呟くと、いつの間にか傍に来ていた葬儀社の人が「とても丁寧に死後の手当て(処理)がされているのです」とおっしゃった。
 上掲の加賀氏や大塚氏が書いておられるように、藤原も、執行直後こそ失禁・鼻血・突出した眼球・だらりと顎の下まで垂れ下がった舌等により、思わず目を蔽いたくなるような「死体」であったに違いないが、私が対面した「遺体」は刑務官によってきれいに整えられ、損傷もなく安らいでいた。
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/tegami1.htm

 ここまで、死刑執行の現場を見てきた。憲法は残虐な刑罰を禁止しているが、執行する側の刑務官について見るとき、背負わされた任務は余りに苛酷である。人間の耐えうる限界を超えている。死刑制度を存続するとして、今後も彼らだけにこの任務を背負わせ続けてよいものであろうか。---死刑制度の主体は国民である。
 残虐な刑罰について、加賀乙彦著『死刑囚の記録』から抜粋したい。少し古くて、1980年12月に書かれた<あとがき>である。


●中公新書『死刑囚の記録』
 ただ、私自身の結論だけは、はっきり書いておきたい。それは死刑が残虐な刑罰であり、このような刑罰は禁止すべきだということである。
 日本では1年に20人前後の死刑確定者が出、年間、2、30人が死刑に処せられている。死刑の方法は絞首刑である。刑場の構造は、いわゆる“地下絞架式”であって、死刑囚を刑壇の上に立たせ、絞縄を首にかけ、ハンドルをひくと、刑壇が落下し、身体が垂れさがる仕掛けになっている。つまり、死刑囚は、穴から床の下に落下しながら首を絞められて殺されるわけである。実際の死刑の模様を私は自分の小説のなかに忠実に描いておいた。
 死刑が残虐な刑罰ではないかという従来の意見は、絞首の瞬間に受刑者がうける肉体的精神的苦痛が大きくはないという事実を論拠にしている。
 たとえば1948年3月12日の最高裁判所大法廷の、例の「生命は尊貴である。一人の生命は全地球より重い」と大上段に振りあげた判決は、「その執行の方法などがその時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬ」として、絞首刑は、「火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆで」などとちがうから、残虐ではないと結論している。すなわち、絞首の方法だけにしか注目していない。
 また、1959年11月25日の古畑種基鑑定は、絞首刑は、頸をしめられたとき直ちに意識を失っていると思われるので苦痛を感じないと推定している。これは苦痛がない以上、残虐な刑罰ではないという論旨へと発展する結論であった。
 しかし、私が本書でのべたように死刑の苦痛の最たるものは、死刑執行前に独房のなかで感じるものなのである。死刑囚の過半数が、動物の状態に自分を退行させる拘禁ノイローゼにかかっている。彼らは拘禁ノイローゼになってやっと耐えるほどのひどい恐怖と精神の苦痛を強いられている。これが、残虐な刑罰でなくて何であろう。
 なお本書にあげた多くの死刑囚の、その後の運命について知りたく、法務省に問い合わせたところ刑の執行は秘密事項で教えられないとのことであった。裁判を公開の場で行い、おおっぴらに断罪しておきながら、断罪の結果を国民の目から隠ぺいする、この不合理も、つきつめてみれば、国が死刑という殺人制度を恥じているせいではなかろうか。


 少し横道に逸れるけれど、ウィリアム・シェイクスピアの喜劇の一つ『ヴェニスの商人』に触れてみたい。この作品のストーリーは、ほぼ以下のような内容である。
 “商人アントーニオは、「指定された日付までに返済できなければ、自分の体の肉1ポンドを与える」という条件でシャイロック(金貸し)から借金をする。簡単に返済できるつもりでいた。ところが、持ち舟が難破し財産を失ってしまう。シャイロックは、契約通りアントーニオの肉1ポンドを要求。裁判所は、「肉を切り取っても良い」という判決を下す。が、肉を切り取ろうとするシャイロックに、裁判官は言う。「肉は切り取っても良い。しかし、血を1滴でも流せば、契約違反にあたる」。”
 血を流さずに肉を切るなどという芸当は、不可能である。必ず血は、流れる。
 死刑執行(絞首刑)の現場では一瞬にして意識が失われる、と理解されている。が、加賀氏によれば、古畑鑑定は“直ちに意識を失っていると「思われる」ので”と、慎重に断定を避けている。物事には、余白がつきものではないだろうか。割り切れることばかりではない。血は流れるのである。

 ところで、加賀氏は、死刑の残虐性について“死刑執行前に独房のなかで感じるものなのである。”と、云われる。首肯できる。ただ、いま少し、死刑執行の現場から見てみたい。
 東京拘置所在監の確定死刑囚坂口弘氏は、次のような歌を詠んでいる。“後ろ手に 手錠をされて 執行を される屈辱が たまらなく嫌だ”。この歌は、1996年4月発行の『しるし』に載っており、私はこの機関誌を故相馬信夫カトリック司教から戴いて読んでいる。けれども迂闊な私は、名古屋拘置所に於ける藤原清孝処刑につき、教誨師から聞かされるまで、前手錠姿で執行されるもの、と勝手に思い込んでいた。藤原は執行の直前、「目隠しをとって下さい。もう一度、先生にお礼が言いたい」と申し出て聴許され、教誨師に「ありがとう」と言ったそうだ。それを私は、(前手錠だから)合掌の姿で、と思い込んでいたのだった。が、そうではなかった・・・。
 「後ろ手錠」と聞かされて、人間としての尊厳を踏みにじる型式だと痛撃を受けた。最後の最後まで「犯罪者」としての姿をとらされた、と感じた。
 人間としての尊厳を剥奪し、「希望」という名の最後の一滴まで奪い尽す究極の暴力が、死刑である。
 この辺りに重なると思うが、加賀乙彦氏は『死刑囚の記録』のなかで次のように書いている。
(註;文中「彼」というのは、バー・メッカ事件の故正田昭死刑囚のことである)


●中公新書『死刑囚の記録』
 彼は、日記に「死刑囚は四六時中死刑囚であることを要求されている」「死刑囚が存在することは悪であり、生きていることは恥である」と書きつけている。死刑囚の死は、絞首という不自然で、しかも恥辱の形をとった死であり、それ故に、一般の人の病床の死や事故による死とちがうと彼は考えている。「死刑囚であるという状態は、悪人として死ねと命令されていることだ」とも書いている。彼は、自分の死を恥じねばならない。いったい、一般の人びとが、自分の死を恥ずかしく思うであろうか。
 だから、死刑囚の死は、私たちの死とは違うのだ。それはあくまで刑罰なのであり、彼はさげすまれて死なねばならないのだ。正田昭のように罪を悔い、信仰をえて、神の許しをえた人間も、死刑囚としては大悪人として、絞首を---実に不自然な殺され方を---されねばならない。彼は、最後までこの矛盾に苦しんでいた。死を静かに待ち、従順に受け入れながらも、自分の死の形を納得できず、恥じていたのだ。
「死刑囚であるとは、死を恥じることだ。立派な死刑囚であればあるほど、自分の死を恥じて苦しまねばならない」とも彼は書いている。
 にもかかわらず、パスカルの比喩は、有効であると私は思う。なぜならば、死刑囚もまた人間であり、人間である以上、彼が死とかかわるやり方は私たちに共通する面が多分にあるからだ。


 裁判員制度では、3人の職業裁判官と6人の裁判員によって審理、判断される。
 勝田清孝もそうであったが、重い罪を犯す人の中には、精神面で満たされない環境に育ち、成人してからも社会からの疎外に悩む人が多いように私は感じてきた。職業裁判官による断罪であれば、それなりに諦めや納得も得られるのかもしれないが、一般市民(「国民」)によって断罪される裁判はどうなのだろう。「全世界」から疎外された感に閉ざされないだろうか。「些細なこと」と思われるかもしれないが、私には妙に気になるのである。
 本稿を起こすにあたって、【「神的暴力」とは何か 死刑存置国で問うぎりぎり孤独な闘い】を再度読んでみた。と胸を衝かれたところがあった。
 上述のように、故藤原清孝は、一度被せられた頭巾を除いてもらい、「ありがとう」と言っている。私はこれを、過去2度もクビにした教誨師への詫びの気持も籠められていたのではないか、また刑務官を代表と見立てて「この世」(で関わったすべての人々)への謝罪と感謝を表明したかったのではないか、などと思っていた。
 しかし今回不意に、「藤原は抱いてほしかったのではないだろうか」との疑念が湧き、と胸を衝かれたのである。抱いてもらいたいなど、到底聞き届けられることではない。しかし藤原は、いま目の前に迫った死刑の恐怖から何とかして身をかわそうとするかのように、「頭巾をとってくれ」と言い、教誨師の目を覗き込んで「ありがとう」と言った。その一言の会話が、一瞬、藤原の心を救ったのではないか・・・そんな気がしたのである。
 そういえば、『宣告』の主人公楠本も、所長に握手を求めている。
 【「神的暴力」とは何か 死刑存置国で問うぎりぎり孤独な闘い】は、末尾で次のように述べる。


 http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/shikei-sonchi.htm
 それにしても、殺人や戦争といった人間の暴力の究極の原因はどこにあるのだろうか? ゴリラの研究で著名な山極寿一は、霊長類学の最新の成果を携えて、この問題に挑戦している(『暴力はどこからきたか』NHKブックス)。無論、動物で見出されることをそのまま人間に拡張してはならない。だが、人間/動物の次元の違いに慎重になれば、動物、とりわけ人間に近縁な種についての知見は、人間性を探究する上での示唆に富んでいる。
 山極の考察で興味深いのは、暴力の対極にある行為として、贈与、つまり「分かち合う行為」を見ている点である。狩猟採集民は、分かち合うことを非常に好む。狩猟を生業とする者たちは獰猛な民族ではないかと思いたくなるが、実際には、彼等の間に戦争はない。ほとんどの動物は贈与などしないが、ゴリラやチンパンジー、ボノボ等の人間に最も近い種だけが、贈与らしきこととを、つまり(食物の)分配を行う。
 暴力を抑止する贈与こそは、「神話的暴力」を克服する「神的暴力」の原型だと言ったら、言いすぎだろうか。チンパンジーなど大型霊長類の分配行動(贈与)は、物乞いする方が至近で相手の目を覗きこむといった、スキンシップにも近い行動によって誘発される。森達也が教誨師や(元)刑務官から聞き取ったところによれば、死刑囚は、まさにそのとき、一種のスキンシップを、たとえば握手や抱きしめられることを求める。死刑の暴力の恐怖を、身体を接触し分かち合う感覚が中和しているのである。

2009/03/12Thu. up

 

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