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http://worstblog.seesaa.net/article/120910247.html
去年こんなことを書いたもんで、見に来る人がいっぱいいます。
久間さんは最後まで無実を訴えて来たのです。物証も自白も一切ありません。動機も不明です。あるのは目撃証言と、「ほぼ一致」するというDNA鑑定です。そもそも「久間さんがやったに違いない」という世評が余りにも多すぎるので、目撃証言の信憑性はそんなに高いものではありません。「ザリガニおじさん」はもともと偏見に晒されていたようです。目撃証言がそのような偏見によるバイアスがかかっていなかったと考える根拠はありません。
DNAについては、科警研の鑑定と帝京大の鑑定が対立しているほか、久間さんの車から発見された血痕についても被害女児のうち1人のものと一致するだけであり、もう1人の分がどうなっているのか、疑問とせざるを得ません。というのもDNA鑑定については「犯人が1人と仮定すれば」久間さんと一致する、としているのです。車から発見された血痕からは被害者のうち1人のものしか特定できていませんから、もう1人の被害者はどこへ行ったのでしょうか。もう1人の被害女児の痕跡が発見されない以上は「犯人が1人」という「仮定」は決定的ではありません。しかし「犯人」と久間さんを結びつけるのは「犯人が1人」という「仮定」以外には存在しないのです。
したがって久間さんは冤罪であるか、すくなくとも共犯が存在することが考えられます。久間さんは不正確な事実認定によって死刑判決を受け、それが執行されてしまったものであります。素人目に冤罪っぽいと思われるのには、このほかにこんな話題もあるせいかも知れません。
本事件の4年前に、やはり同じ小学校の当時1年生の女児が行方不明となることがあり、この女児が最後に目撃されたのが久間さんの自宅で遊んでいたところだったのです。当時久間さんも当然調べられましたが、決定的な証拠は出ませんでした。ところが久間さんが逮捕されてから、つまりこの女児が行方不明になってから6年後になってから急にこの女の子のジャンパーとトレーナーが山道で発見されたのです。
これは本事件の傍証でしかありませんが、以前よく探したのに見つからなかった物証が急に出て来たりするのは、冤罪の世界ではわりとよくあることなのです。ましてやこれは本事件の物証ではありません。以前の事件のものです。本事件の捜査過程で出て来ても不思議ではない、いや、出てこなければならないはずのものなのですが、何故か、久間さんが逮捕されてから出て来たのです。
にもかかわらず福岡地裁陶山博生裁判長は死刑判決、福岡高裁小出享一裁判長も死刑判決支持、最高裁の滝井繁男裁判長にいたるまで一貫して久間さんの殺害を支持しました。これは大変に不自然です。久間さんは無実の罪で殺された可能性があります。あるいは久間さんの死刑執行によって共犯者が明らかになる可能性がなくなったのかも知れません。何があったのか、もはや知る術はないのです。
http://worstblog.seesaa.net/article/108749997.html
当時は「もはや知る術はない」かと思ったんですが、意外とそうでもないようです。
<足利事件>菅家さん釈放 同時期のDNA鑑定、最高検が証拠保存指示 再審請求に備え
菅家さんを釈放した異例の事態を受け、最高検は4日、足利事件と同時期にDNA型鑑定した事件について、被害者の着衣など関連証拠を保存するよう全国の地検に指示する方針を明らかにした。足利事件以外で再審請求が出た場合に備えるためという。
4日、記者会見した最高検の鈴木和宏刑事部長は、保存の対象について「旧型のDNA鑑定をした事件。今の鑑定のような精度の高いものは除く」と述べ、範囲を限定する考えを明らかにした。「一両日中に指示する」としたうえで「何年前のものまで保存されているかは分からないが、残っているものを保存する」と説明した。
また同日、伊藤鉄男次長検事をトップに最高検検事ら数人で構成する検証チームを設置した。鹿児島県議選を巡る買収事件と富山県の強姦(ごうかん)事件で冤罪(えんざい)が判明した07年以来の異例の措置で、全証拠・記録を調べ、原因を究明し問題点を明らかにする。菅家さんは任意捜査段階の91年12月、自白し、1審第6回公判の92年12月、否認に転じるまで自白を維持しており、なぜ認めたかが検証のポイントになる。【岩佐淳士】
2009年6月5日 毎日新聞
もっとも、あまり期待することも出来ないのかも知れません。なにしろ現在の法務大臣は久間さんの殺害を指示した張本人なのです。「検証」ったって、「何故冤罪が発生するか」を調べるのも「検証」かも知れませんが、「どうしてバレちゃったか」を反省するのも「検証」です。
「可視化」足利事件受け焦点に 法相「全面導入難しい」 取り調べに支障
栃木県足利市で一九九〇年、女児が殺害された「足利事件」で、無期懲役の刑執行が停止された菅家利和さん(62)の釈放を受け、森英介法相は五日の閣議後の会見で、捜査手法の見直しに触れ、取り調べの全面的な録音・録画(可視化)の導入について、現段階での検討は難しいとの見解を示した。民主党は全面可視化を求めており、裁判員裁判の開始を前に可視化の問題が大きな争点になりそうだ。
森法相は、可視化の導入に「全面的に義務付ければ被疑者に供述をためらわせて取り調べ機能を損ない、真相解明に支障をきたす。現段階では全面的に容認する方向での検討は難しい」と述べた。足利事件では、DNA鑑定の問題に加え、捜査段階で菅家さんに自白を強要した疑いも浮上している。
足利事件と同じ精度の低いDNA鑑定が有罪の決め手となった事件として、九二年に福岡県で女児二人が殺害された「飯塚事件」がある。実行犯とされた久間三千年死刑囚は無実を主張していたが昨年、死刑を執行された。弁護団は名誉回復の意味合いが強い死後再審の申し立ての準備を始めている。
森法相は、飯塚事件を再検討するかどうかについては「個別事件のことは控える」とした。
2009年6月5日 東京新聞
半年くらい前に日本が世界に誇る冤罪処刑が行われたのはほぼ確実です。ところで日本人の多くが死刑存置を支持しているのは「安全に対する不安」の故であるという説があるようですが、アヤシイものです。犯罪には3つの「不安」があるのです。即ち犯罪に巻き込まれ「被害者」となることへの「不安」、何かに追い詰められて「加害者」になってしまうことへの「不安」、そして全然関係ないのに「犯人」にされてしまうことへの「不安」です。これらは全て、実際に誰かの身に起こっていることです。
ところが森さんをはじめとする日本政府は、死刑を廃止する様子はなく、その一方で冤罪を防止しようという気持ちもないようです。したがって誰にでも冤罪の可能性はありますし、それで殺されてしまう可能性も大いにあります。これは大変に危険なことです。そして「不安」を持つ人は「危険」に対して敏感なはずです。ところがこの点について「不安」を感じている人はあまりいないようです。もし「不安」を感じていたら、取りあえず死刑は止めにしといてもらわないと気が気じゃありません。ところがそういう人は少ないようなのですから、多くの人は別段「不安」など感じていないのではないかと思われます。
そういえば、誤審・冤罪の可能性を強調する死刑廃止派の主張に対して、死刑拡張派としては冤罪を防止する仕組みを作ることによって死刑制度により説得力を与えようとするかと思えば全然そういうことに熱心でなかったりします。死刑拡張派はとにかく死刑の数と範囲を拡大するだけで、質的にもうちょっと立派なものにしようとか、文句のつけようもない程ちゃんとやろうという発想は持たないようなのです。滅茶苦茶な連中です。
どうも死刑はそのような問題意識とは違うところにあるのではないか。拡張派やその支持者はそこに「正義」のようなものは求めていないようです。死刑というのは最初から無実の人が殺されようともヘッチャラな、なんかそういうものです。おそらくそれは単なる「力」であると考えられているのではないか。強い力と共に在り、その力の拡充に奉仕することの喜び。そして力に屈服し、盲従し、諦めることが「美徳」というものです。それでつまりもし仮に人が「お前が犯人だ」と名指されたら諦めて従わなければなりません。「冤罪」とは、その力が自在に力強く働いていることを示す吉兆なのであって、それは死刑とは表裏一体です。冤罪を防ごうとすることは死刑を廃止することと同様に「力」を削ぎ、弱めることなのですから、やるわきゃない。ちょっと手荒なやり方で「強要」した方が良いのかも知れません。