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『世間体利他心、内面利己心』に悩まされる人たち(JANJAN)
沖蔵涼子2009/06/01
親の収入格差が増える中、子供を思う学校に通わせるという当たり前が不可能に近くなっている現状がある。
収入と子供への早期教育と才能次第で、思う学校へ行ける子供も居れば、定時制高校に通うこともままならない学生も居る。そんな中、熊本天草にある通信制の高校が発行する機関紙に校長から心に残る訓辞が添えられていた。
『人は皆思ったとおりの人間になれる』潜在する可能性を発掘する為に、自分自身『ダメだ』と決め付けている『心の世界』へ旅立ってみようと。技術や見かけ、美貌でなく、心のことです。そこには『逃げている自分』へあえて飛び込めという意味合いがこめられていたのだろう。
この校長さんの後日談があったそうですが、生徒さんに毎日接してみると、今の人権教育が『利己心』を増大させ『利他心』を育ててないそうです。それが若者の心を蝕み、ひいては社会を蝕むのだと。
教育の本来の目的は『利他心』を育てることであり今のように塾優先、学歴社会ではないのだと。本来の『利他心』は周囲の反応を見て判断できることだと。
生徒に毎日触れている校長さんは、何らかの理由でこうした通信制の学校に来る生徒さんを見て考えたそうです。誰とも打ち解けない生徒さんは、自分中心で物事を発想するので『自分の壁』を払うことが出来ない。
それを周りの他人に誤解されたり、『利他心』の観念の合わない同世代や同僚に跳ね返されることにより、また『自分の世界』へ引きこもってしまう。生徒さんの『壁』を引き払い、揺るぎ無い『自分』を作らせ、本物の『利他心』を引き出すにはどうすればいいのか。
壁の外に、感情移入できる別の『対象』を作ればいいそうです。きっかけは色々あります。それが現実生活の中で、金銭が絡まない、『生活費も稼げて』と貪欲な考えを起こさないのなら。これを起こすと、折角『自分の壁』を取り払い『利他心』を育てようというのに、また『利己心』に逆戻りだから。それが最終的に『無償、人』になれば。と。
校長さんの考えがきちんと伝わるといいのですが、この『利他心』どこかはき違えて解釈している人も多いことが確かです。
ご自分では『利他心に満ち溢れている』つもりが、観察してみると『利己心の元に生きてるな』というのが判る人がいます。自分を優先させることで精一杯で、『利他心』はあくまで『場合によって使い分ける世間体』と思っている人たちではないでしょうか。
哀しいことに、今の働く世代の考えを支えているのが『世間体利他心、内面利己心』だと思います。そうでなければ生きていけない。
それを見分けるのは簡単じゃないでしょうか。心のバリアを解けずに悩んでいる人たちに接する態度です。
バリアを持っている人たちが『本物の利他心』を持てるように『頑張ろう』と一歩を踏み出しているかです。『元の木阿弥』状態で戻ってきてしまうなら、その人に本物の利他心がないのでしょう。
また、こうした人は同類もひきよせるのか『世間体利他心、内面利己心』も引き寄せてしまいます。気がつかない間に、周りに不満材料をバラまくのでこうした人間が集まったりすると『儲かってるのに不況』『人が大勢入ってるのに一部分しか盛り上がらない』となってしまいます。
自分の心を開くのが怖い人間が、こんな所で盛り上がってるとしても心のどこかで、『違うなぁ・・・』と浮かない顔をしてるならそれは利他心のない人たちが、職場や学校を牽引してるからではないでしょうか。
私の経験からいうと、本当の利他心は、そう簡単に手に入るものでもなく、また環境も左右するかもしれません。『世間体利他心、内面利己心』な人が、職場などで先にギャァギャァ仕切ってると、それでもうやり辛いでしょう。
それをきちんと深刻に考えるあなたに『利他心』があって『心のバリアをときたい』と思う相手がいるなら場所を提供するのもいいのではないだろうか。また、貴方自身が『世間体利他心、内面利己心』でこうした人を導くのにムリを感じているなら、誰か信頼を置ける人の手を借りるといい。
http://www.news.janjan.jp/living/0906/0905294257/1.php