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日本だけが「子どもの貧困」を政府みずから拡大 - 「上層社会統合」に利用される社会保障
(すくらむ
国家公務員一般労働組合(国公一般)の活動をしている仲間のブログです)
http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10253969194.html
4月24日に、「社会保障基本法で貧困・社会崩壊からの脱出を」と題した、都留文科大学・後藤道夫教授の3時間ほどのまとまった話を聞く機会がありました。3時間の講義なので、ひとつのエントリーで紹介しきれませんので、今後少しずつエントリーしていきたいと思っています。
後藤教授によると、「社会保障基本法」制定をめざす運動を大きくアピールするために、「貧困をなくし社会保障を守る『基本法』を考えるシンポジウム(仮)」を今年の9月27日に開催しようと計画中とのこと。呼びかけ人として、後藤教授のほかに、反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さんや、作家の落合恵子さん、一橋大学・渡辺治教授などが名を連ねています。貧困の増大と社会保障の解体を進める新自由主義への対抗戦略として、「社会保障基本法」制定を中心とする新しい福祉国家づくりをめざす運動があるとのことです。
きょうは憲法記念日。生存権の保障を明記した憲法第25条を深めたいという気持ちを込めつつ、後藤教授の「医療・社会保障を利用する『上層社会統合』と貧困・格差の拡大」について紹介します。
構造改革、新自由主義は、社会のもろもろの安定装置を本格的に解体していく。その結果、貧困と社会不安が急拡大せざるを得ない。そのため、政府・財界は、新たな社会統合装置、社会安定装置をつくらなければならなくなる。
この社会安定装置には、2つのタイプがある。
1つは、「上層社会統合」である。これは、@社会の上層、いわゆる「勝ち組」を社会秩序の担い手として育成し(構造改革、新自由主義により、必然的に社会の上層は活性化するためその地盤は固くなる)、A社会の中下層については、2大保守政党制を利用することで、中下層の政治勢力化を防ぎ、さらにB治安維持体制を強化して、中下層の抵抗を抑えるというものである。
もう1つの社会安定装置は、「新保守主義」である。これは、国家、家族、地域、学校などへの国民の尊敬や畏怖を利用して、社会秩序を維持するものだ。権威主義や強制だけでなく、国家などを権威ある「共同体」として描き出すことなどによって、国民の自発的な服従を引き出そうとするもので、「新しい歴史教科書をつくる会」などの登場が象徴的といえる。
こうして、憲法の25条と9条がターゲットになる。社会保障は中下層のセーフティーネットにはならず、社会の上層を利するものへとますます変質させられ、「自虐的」な歴史観をなくし、国内では貧困であればあるほど他国にはない世界に誇るべき日本国家の文化と伝統、日本人の誇りを胸にして、強い国家づくりに日々邁進せよというわけだ。
1つめの「上層社会統合」について、みてみよう。
まず、税制の累進度を大きく後退させ、社会の上層・高所得層には低い負担となり、中下層には高い負担を強いる高額所得者優遇税制、不公平税制がつくられる。現在の税制では、景気が回復しても税収は大きくは伸びず、行財政リストラの圧力、「小さな政府」への圧力は恒常化する。
こうした「小さな政府」路線は、社会保障や公共サービスを毎年大きく削減していく。そして、社会保障削減は、「公私2階建て方式」につくりかえながら行われる。
たとえば、公的医療保険による診療を制限しながら、その上に積み重ねられる保険外診療を拡大していく「混合診療」は「公私2階建て方式」の典型だ。その原型は、介護保険制度でつくられた。介護保険では、障害の重さに応じて保険給付の限度額が決まっているところは「公」の部分で、それを超える介護サービスを受けようとするその分は全額自己負担となる「私」の部分がある。
この「公私2階建て方式」は、すべての国民に提供される「公」の部分は、できるだけ薄く、脆弱なものにして、「公」の部分を支えるための高所得層の費用負担をできるだけ小さくし、その分を高所得層が「私」の部分を購入する費用として使うことを可能にする。これまでの公共サービスを支える税と保険料は、「応能負担」であったから、「公」を薄くして、さらに税・保険料の累進度を弱めるかあるいは定率負担に切り替えれば、高所得層の負担は大きく減る。高所得層にとっての「選択の自由」は大幅に上がり、社会保障が階層別に組み立てられることになる。すでに医療や介護の世界は相当程度そのようになっている。
医療、介護などでの高い窓口負担は、低所得層がそれを利用することを妨げるため、結果として公費が高所得層のために使われる比重を高める。医療の窓口負担3割で受診を抑制する人びとが増えたことは明らかだが、それは、国民健康保険などを成り立たせるための国や自治体の財政支出も、また、低収入階層が努力して払った保険料も、結局は窓口負担に耐えられる人々向けに使われる比重が多くなることを意味する。
2005年の介護保険制度改悪で、特別養護老人ホームのいわゆる「ホテルコスト」が自己負担化された。本人負担は高額になったが、それに耐えられない年金額の人々は、特別養護老人ホームの施設建設に使われた公費の恩恵を受けられない。各種の福祉・医療サービスの利用に際して本人負担が増えると、公的支出の動きがこのように「上方シフト」を起こす。二重、三重の「格差の制度化」である。
貧困拡大・社会不安・社会不信を沈静化するために、社会の上層・高所得層を、社会統合の中心にすえる「上層社会統合」を実現するためには、政府は、つねに、社会の上層・高所得層への利益供与システムを日々つくりださねばならない。その結果、様々な社会領域において、貧困と格差は放置されるどころか、逆に国家財政を用いて、貧困と格差を助長・拡大させる「貧困と格差の制度化」が進み、社会の上層・高所得層への利益供与が拡大するのである。
そうした「貧困と格差の制度化」の象徴ともいえるデータがある。それは、子どもの貧困をより貧しくする日本の歪んだ所得再分配だ。
▼日本政府が所得再分配で「子どもの貧困」を拡大
(週刊ダイヤモンド「あなたの知らない貧困」09.3/21から)
http://stat001.ameba.jp/user_images/20090503/20/kokkoippan/53/79/g/t02050321_0205032110175022131.gif
政府は、市場経済のなかで家族が働いて得た所得に対して、税金や社会保険料を課し、子どもに関する政府からの手当などを給付する。上のグラフにあるように、政府による介入で、日本以外のOECD諸国は、貧困状況にさらされる危険から多くの子どもたちを救っている。2005年の数字で、日本以外のOECD諸国は、政府による所得再分配で貧困率を平均で6割程度に押し下げることに成功しているのだ。しかし、唯一、日本だけが12.9%から14.3%(05年)へと政府の介入により逆に貧困率を上昇させるという、まさに、政府による「貧困と格差の制度化」をまねいている。日本政府による「所得再分配」「社会保障」システムは、貧困層をより貧困におとしいれるものになっているのだ。
(byノックオン)