中核派に償いの意思あるのか 遠山三郎 「前進」に二〇〇九年革命軍アピールが載っていた。その中で中核派による一九八四年一月の第四インターへの襲撃を正当化する主張を行っている。 その要旨は、八三年三月八日の三里塚反対同盟の分裂を第四インターが反革命的に率先して動いた、というものである。この点についてすぐに気がつくのは、なぜ分裂後一年近くたった時点で中核派が第四インターを襲撃したのか、ということである。分裂を克服し、三里塚農民の団結をどう強めるかという視点はないし、三月八日の分裂を避けるためにどう中核派が努力したのか、ということも語られていない。むしろ一方的に反対同盟の人に対して脱落・投降派とレッテルを貼り、反対同盟から追放・打倒したと語るに至っては、彼らこそが反対同盟の分裂を促進したことを自ずから語っている。 私の記憶では、当時の論争は、空港反対闘争をさらに強化するため、一坪共有化運動を推進しようとすることの是非であった。農民の中には土地への愛着から、土地を共有運動に提供することへの心理的抵抗があった人もいたことは理解できる。だがそれは、空港廃港にむけた闘いの前進という観点から粘り強く、話し合いを継続することによって克服できることである。まして、主張の違いが即分裂という組織的亀裂にいくものではない。この点については、当時のことを知っている人が数多くいるし、また、一坪共有化運動が現在の三里塚闘争を、全国の支援者によって守り、空港に大きな圧力となっていることは間違いない。 結局、中核派が第四インターを襲撃したのは、大衆運動上の感情の爆発でもなければ、三里塚闘争の前進のためでもなく、それを装って運動の中で目立った第四インターに物理的、組織的打撃を与えようとする政治技術によって実行されたものであるということである。それが反対同盟分裂から一年近くたって、全国一斉に深夜、活動家の就寝中を襲って、片足切断、両手両足骨折などの重傷を与えた彼らの行動だったのである。 このような彼らの行動は、革マル派との「内ゲバ戦争」の延長上に身につけた政治的欲望の延長上にあったことは明白である。中核派と革マル派双方で、正確な数は知らないが、おそらく六〜七十人の人間が死んだように思う。そして襲われて身体障がい者になったり、負傷した人の数は何百人、あるいは千人以上になるのではないだろうか。 人を殺すこと、人が死ぬことの意味をどう考えているのだろうか。人の命が奪われるということは、いたましいことであり、言葉にあらわすことができない。ただただ両手を組み、土にむかい、ざんげに伏すだけであろう。中核派に、人を殺し続けてきたことの誤りと、天につばする行動への悔いを表明していただきたい。言葉にあらわしても、それですまないことは、誰でもが知っていることだが、それとも中核派の指導者は口をぬぐい、自らの殺人行為を誇るのであろうか。彼らに償いをする意志があるのだろうか。 われわれが運動に参加したのは、きわめて文学的な想いからだった。弱い者や貧しい者、過疎化が進む地方で、不正義や権力に対して立ち向かおうとするものだった。そうした多くの人たちにとって、六〇年安保闘争で亡くなった樺美智子さんや、六七年一〇・八羽田闘争で亡くなった山崎博昭君は、ひとつのシンボルとして自分たちの姿とダブらせてそれぞれの想いを抱いて運動に参加していった。闘いの第一線に立つということと、人間の命の尊さへの無念は誰でもが感じたことだろう。そして茅野寛志や奥浩平の本が読まれたのも、ひとつの世代的風景であった。 その愛惜の念を思う時、中核派の行動は、樺美智子さんや山崎博昭君の志を裏切り、投げ捨てたものであり、その運動を継承しているとはいえない。私見では、中核派、革マル派の「内ゲバ戦争」への到達は、革共同第一次分裂における故黒田寛一氏の理論と行動にさかのぼると考えているが、それは彼らの課題である。ただ言いたいのは、六〇年代末にベトナム反戦運動で小田実氏が訴えた「殺すな!」というべ平連を中心にしたアピールは、運動に参加する者の共通した想いであった。それは、イラク戦争においても、共通した叫びである。「殺すな!」ということが前提にない運動は、いずれも人間の道にはずれているのである。 同様に深夜の襲撃などという行為に対しては、「ひきょう者め、ひきょうな行為はするな」ということである。これは、モラルの問題であり、人間としての必要条件の問題である。仏教の「不殺生」や損得・打算ではない動かない社会正義の心こそ必要である。 今年は六八年一〇・二一新宿騒乱闘争や六九年一月東大闘争から四十年がたち、当時のことを思い起こすにつけ、全共闘運動や「社会主義理論の破綻」など、いろいろ考えることがあるが、今回は中核派が第四インター襲撃を正当化しようとする哀れな試みに対して反ばくした。 中核派の戦争責任を考える S M 「革共同(中核派)再建協議会の自己批判は受け入れられない」という日本革命的共産主義者同盟(JRCL)中央委員会の声明(『かけはし』2009年2月23日号)を読んだ。 声明は、主張する。「彼ら(中核派の再建協議会)は「自己批判」の中で、テロや暴力的脅迫の被害者に何の謝罪もしていない」。「われわれはこの「自己批判」なるものを、真摯なそれとして受け入れることはとうてい出来ない」。「われわれに対する「軍事的せん滅戦」だけ自己批判すればすむことではない。内ゲバ的手法を用いた「共有化運動つぶし」全体が自己批判されなければならない」。「われわれは、一九八三年の中核派からの内ゲバ・テロ攻撃に際して、軍事的報復の道は採用しなかった。もしそうしていれば、三里塚闘争はじめ日本の大衆運動が受けた打撃はもっと深刻だっただろう」。「この「自己批判」では彼らが大衆運動、共同行動、統一戦線の中で二度と内ゲバ・テロを行わないという保証にはならないと考える」。「日本の政治闘争、環境運動、労働運動、女性解放運動、学生運動など諸々の大衆闘争を担うものは、これまでの内ゲバが日本の大衆運動に与えた打撃を深刻に受け止め、再発を防止するために全力を尽くさなければならない。われわれは、さまざまな運動を担っている人びとに、これまで通り、大衆運動、共同行動への内ゲバの持ち込み、内ゲバ主義者の参入を拒否するように訴えたい」。私は、JRCL中央委員会の今回の声明を全面的に支持する。 その上で、言いたい。第一に、内ゲバの問題は、単なる内ゲバ党派間の問題ではない。民主主義の問題だ。「良心的内ゲバ殺人集団」などというものは存在しない。「良心的暴力団」などというものは存在しない。それと同じことだ。非内ゲバ派に対する中核派のテロは、そのことを大衆的に明らかにした。「民主的トロツキストの社会主義」なら、私は支持する。だが、「内ゲバ殺人集団の社会主義」など、私は支持しない。私は、内ゲバ主義には絶対に反対だ。JRCLが中核派に対して軍事的報復を行うなら私は、JRCLを支持しない。第二に、「ユダヤ人虐殺は間違っていたが、ユダヤ人迫害は正しかった。ナチス・ドイツそのものは正しかった」などと言う「自己批判」は、ナンセンスだ。さらに言えば、侵略者が「侵略を自己批判する」と言うなら、「侵略を行った軍隊」は解体されなければならない。「侵略の政治的・軍事的指導者等の責任」が追及されなければならない。「被害者に対する謝罪と補償」が必要だ。「公正な裁判」が必要だ。私は、そう考える。 中核派の再建協議会が、「現在の中核派系革命軍」の解体を要求している。「第四インターに対する軍事的せん滅戦」の政治的・軍事的指導者等の、中核派系組織からの、除名・追放を要求している。そういう話を、私は聞いたことがない。「殺人的襲撃の被害者に対する謝罪と補償」の話も、私は聞いたことがない。「公正な裁判」の話も、私は聞いたことがない。 私は、中核派やその「革命軍」の平和的解体には言及していない。「中核派の身近にいて中核派のテロを黙認した大衆団体の責任」には言及していない。私の考えは、内ゲバ主義に甘過ぎるだろうか。「天皇制やその軍隊の廃止なき・日本軍国主義の解体」は、ナンセンスだ。それと同じように、「内ゲバ党派やその軍事組織の平和的解体なき・内ゲバ主義の一掃」もナンセンスだろうか。この点は、私には良く分からない。 (2009年2月22日) JRCLの発展を祈って 一労働者 中核派って本当にひどい団体ですね。私は大学時代、革マルの連中と関係が有りましたが、卒業した後になって、すごいテロをやっていたことを知ってショックを受け、しばらく左翼アレルギーになってしまいました。 日本に「革命的共産主義者同盟」を名乗る組織が三つもあることを最近知りました。その中でもテロや内ゲバなどに手を染めず、徹底的に批判し、第四インターナショナルにオブザーバーとして参加している中央委員会様のことを知り、トロツキズムを見直すようになりました。資本主義はやはり労働者階級を搾取するもの以外の何者でもないということを最近の社会情勢からつくづく感じています。JRCLの発展を祈って連帯のメッセージをお送りさせていただきます。
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