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フィナンシャル・タイムズ2009年 11月13日(金)09:30
(フィナンシャル・タイムズ 2009年11月11日初出 翻訳gooニュース)
アジア編集長デビッド・ピリング
http://news.goo.ne.jp/article/ft/world/ft-20091113-01.html
南米ボリビアのサンタクルス市近くに「コロニア・オキナワ」と呼ばれる地区がある。奇妙に場違いな、日本人移住者の農業地区だ。ここに住む多くは沖縄農民の子孫。1950年代に米軍にブルドーザーや銃剣をけしかけられ、故郷を追い立てられ、ここにやってきた。沖縄の土地を奪われ居場所を失った住民の多くは、ボリビアで新生活を始めるよう説得された。しかしようやくここにたどり着いた人々の前には、約束された豊かな大地などどこにもなかった。ジャングルに放り出されて打ち捨てられた入植者の多くは、飢えて死んだ。あるいはみたこともない病にかかって死んだ。コロニア・オキナワまでたどり着いたのは、ほんの幸運な一握り。今やこの農村は、ボリビア開発のモデル地区とまで見られている。
日本の歴史(そしてボリビアの歴史)の片隅に奇妙な脚注としてのみ登場するこの物語は、実はもっと大きい物語を浮かび上がらせる。1879年に日本が正式に併合するまでは半独立的な王国だった沖縄は、常に辛い立場に立たされて来た。東京を訪れるバラク・オバマ米大統領は、沖縄にある米海兵隊基地をめぐるややこしい駆け引きをどうするか考えるに当たって、沖縄がそういう土地なのだと熟慮すべきだ。戦後アジア地域の安定を半世紀にわたって裏打ちしてきた日米同盟を話し合う時、当事者は常に二者ではなく、三者いる。大統領はそのことを知らなくてはならない。宴席でマクベスを脅かしたバンクオーの亡霊のように、テーブルの上には常に沖縄が不穏に揺らめいているのだ。
本土の遥か南方に位置する熱帯の島・沖縄を、日本は常に、自分より劣った遠い親戚のように扱ってきた。第二次世界大戦末期、あの悪名高い沖縄戦(英語の呼び名は「鉄の暴風」)では約20万人が死に、民間人の四分の一が犠牲になった。ノーベル賞作家・大江健三郎氏は「沖縄ノート」でこの悲惨な出来事をつづり、旧日本軍が沖縄住民に降伏を許さず自決を強制した様子を記録した。東京の日本政府がこの件に関する記述を歴史教科書から削除しようとした2007年には、10万人の沖縄の人々が抗議行動を起こしている。
アメリカによる日本占領が1952年に終わった後も、米政府は沖縄を手放さなかった。太平洋における最重要な軍事基地だったからだ。アメリカの沖縄支配は 1972年まで続いた。沖縄が日本に復帰した後も、米軍基地としてアメリカに提供した土地は日本の立ち入りが許されない米軍支配下のまま。総面積は沖縄本島面積の五分の一にもあたる。
米軍の駐留によって、経済的な恩恵を受けている沖縄県民は多い。実入りの多い契約を受注する建設・建築会社は特にそうだ。沖縄の地方選で、基地容認派が勝つこともある。しかし県民の大半にとって駐留米軍は、自分たちの安全を守ってくれる存在などではなく、占領軍なのだ。反米感情は折に触れて膨れ上がる。 1995年に米兵3人が12歳少女を集団暴行した時しかり。あるいは2004年に、普天間基地から飛び立った海兵隊ヘリが大学建物に激突して墜落炎上した時しかり。
こうした事件・事故を背景に日米両政府は、沖縄県民が不公平と感じる米軍駐留の「負担」を軽減させるべく合意するに至った。沖縄の面積は日本全体の 0.6%にしか過ぎないのだが、日本国内に駐留する米軍約5万人の半分がその狭い県内に押し込まれている。日米両政府は1996年、普天間ヘリコプター基地の移設に合意。住宅密集地にある今の危険な状態を解消するため、島内のもっと人口の少ない地区に移すことになった。そして両政府はその後、海兵隊 8000人を西太平洋にある米領グアムに移転させる計画を策定した。
しかし8月の総選挙で大勝した日本の民主党は、普天間移設を再交渉すると公約。これを機に日米関係はキリキリ舞いを始めてしまった。中国がますます自信をつけている状況で、米政府はアジアで最重要な同盟関係にわずかでもヒビが入った様子を外にうかがわせるわけにはいかない。にもかかわらず、日米関係は難問を抱えてしまったのだ。とは言え実際には、日米同盟重視とされた自民党政権下でも、普天間移設計画は13年もそのままだった。費用と環境への影響をめぐる果てしない議論が続き、このままずっと実現しないのではという懸念もあった。
オバマ氏を含む米政府関係者は、日本の新政権が日米の「より対等」なパートナー関係を模索する間、我慢強く待つと約束している。一方で、ロバート・ゲーツ国防長官の姿勢は我慢強いとは程遠く、長官は普天間の移設先は交渉不可だし、即実施する必要があると強調している。もし新しい海兵隊ヘリコプター基地が用意できなければ沖縄は、グアムに移転する予定の海兵隊8000人にさよならと手を振ることができなくなる――とまで、ゲーツ長官は警告しているのだ。
今ある計画に代わる実効的な代替案がもしあるなら、日本の民主党は誰にもその秘密を明かしていない。例えば普天間のヘリは沖縄県内にある巨大な嘉手納空軍基地か、あるいは九州のどこかに移すこともできる。しかしおそらく可能性が高いのは、何かごちゃごちゃとした面子重視の折衷案で、また実現までにグズグズ延々と引き延ばしが続くのだろう。
国防総省関係者の多くは、ずるずるとのろのろとしか動かない日本当局のやりように辟易として呆れ返っている。そしてどうして日本政府がこれまで沖縄に何度もそうしてきたように、頭ごなしに命令して問題をおしまいにしないのか、検討もつかないと言う。確かに日本の新政権は普天間移設の議論を再開して、あえて火中の栗を拾いに行った観がある。日米同盟に深刻な亀裂が入るとか入らないとかの奇天烈な議論にも火をつけてしまうかもしれない。しかし日本が沖縄に負う歴史的な負債は巨大だ。日本の民主党は名誉にかけても、沖縄の問題を見直さなくてはならない。
フィナンシャル・タイムズの本サイトFT.comの英文記事はこちら
http://www.ft.com/cms/s/0/af2a1176-cef9-11de-8a4b-00144feabdc0.html
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(翻訳・加藤祐子)