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2009年12月 6日 (日)
権力官僚に狙われた植草一秀さん
警察官僚、検察官賞、司法官僚という、我が国の高級権力官僚は、法や正義の番人であることを止め、腐敗した政治権力や外国の手先機関に堕しているようだ。私は腐った権力官僚を“国家ヤクザ”と名づけた。2004年4月、そして2006年9月、日本が生んだ最も良心的なエコノミストである植草一秀さんは、二度までも彼ら国家ヤクザの卑劣な罠に嵌められた。以下は、1999年5月に刊行された植草さんの著書「日本の総決算」にある「U政府・自民党の大失態」を主に参照して書いた。
植草さんは新進気鋭の若手エコノミストとして、斯界に知られ始めた三十代の頃から、腐敗した国家官僚に目を付けられていたと、最近になって思う。大蔵省に財政金融研究所が誕生したのは1985年(昭和60年)5月である。植草さんは、その2ヵ月後の7月から1987年まで約二年間、大蔵省財政金融研究所の研究官として勤務している。この時期の大蔵省体験で、彼は大蔵省の陰険な体質を見て驚き、怒りを持ったようである。当時、大蔵省内部では、消費税の前身である「売上税」の導入計画が進められていたという。
植草さんが着任した当時はまだ売上税という言葉はなく、その代わり隠語でKBKという物々しい言葉が使われていたと言う。KBKとは「課税ベースの広い間接税」の略語だそうである。彼は売上税導入プロジェクトに関わっていた。大蔵省内部ではTPR(タックスのPR)という巨大プロジェクトが始動した。税制についての大規模な広報活動である。植草さんが所属した「財政金融研究所」はこのTPRプロジェクトの事務局となった。
TPRプロジェクト展開の内容を見て驚く。政、官、財、約4000人のリストが作成され、その全員に大蔵省幹部が説得に行く。増税の意向を了解してもらうためだそうだ。マスコミの増税に関する賛否両論の意見などをつぶさに調べ、問題発言があれば説得に出かける。植草さんは、大蔵省TPRプロジェクトを一種の言論統制だと指摘、その性格は、後の消費税実現に当たっても強い影響力を持ったと言う。
以上の文脈を踏まえ、植草さんは、1996年から1998年の橋本政権の時、大増税政策を熾烈に批判していた。これは当然、自動的に痛烈な大蔵省批判にもなっていたのだ。私は冒頭で腐った権力官僚を、警察、検察、司法の各高級官僚と書いたが、実は各省庁の財務を一手に掌握する財務省の官僚も、権力官僚であることは間違いない。大手メディアにも支配権を揮い、言論統制にも実力を持つ財務省は、TPRの本質を知り抜き、経済状況を無視した増税キャンペーンを張る財務省にも、ほぼ単独で熾烈な批判を繰り返している植草さんを目の敵にした可能性は高い。
植草さんは97年度の増税問題について、96年の1月から反対論を展開し始めていた。たとえば、経団連で増税圧縮の論陣を張った。たった一人の反乱キャンペーンであった。植草さんはマーケット・リサーチからポリシー・リサーチに力点を移し、政策立案本位の考え方をするエコノミストだ。国民生活への影響を第一に考える。大企業や政府に阿諛追従し、国民生活を度外視した御用エコノミストは多くいるが、大きな違いだ。だからこそ、政府や財務省の方針をストレートに批判する稀有な存在である。
植草さんが96年年初に増税圧縮論を展開したのは、財政当局のTPRに基づいた増税キャンペーンを読み取ったからだ。植草さんは経済の動向を単に語るというよりも、その提言や批判は、すでに政策論そのものになっていて、時の政権を操っている巨大な意志に真っ向から対峙して引き下がらない純粋さを持つ。この純粋さはエコノミストの良心と言い換えてもいいだろう。
植草さんは橋本政権時代に、すでに権力官僚に睨まれ、マークされていたと見るべきである。植草さんが鉄道関係でトラブルに巻き込まれたのは全部で三回である。
(1)一回目 1998年1月 東海道線上り電車内
(2)二回目 2004年4月8日 品川駅構内エスカレーターで、
(3)三回目 2006年9月13日 京急電車内
一回目、1998年1月の案件は、普通であれば、ほとんど問題にならないレベルの出来事であった。植草さんはボックス席に座った。座席の暖房が効いてきて、足のももの付け根にあった湿疹が痒くなって掻いた。それを見た向かい側席の女性は、車掌に「この人感じが悪いんですが」と言った。ありのままに女性に説明しても納得してもらえず、鉄道警察に行くことになった。警察は植草さんが女性に触ったことに、強引に仕上げてしまった。通常なら問題視されなかったこの事件で、植草さんが鉄道警察のレベルに上げられた瞬間、彼を狙っていた権力官僚の指令が下った可能性は否定できない。
植草さん自身は「知られざる真実ー勾留地にて」で、2004年の事件は1998年の事件を表面化させるために仕組まれたんじゃないのかと言っている。日本でただ一人「りそなインサイダー取引疑惑」を指摘した植草さんだが、国家ヤクザは彼の効果的な名誉剥奪を仕組み、1998年の事件を隠し玉として抱き合わせ、2004年の国策捜査事件とともに表面化させた。こうすることによって、事実無根の病的性癖説をでっち上げて、事件の連続性を強調した。
1998年当時、大蔵省のTPR(増税キャンペーン)を知悉し、それを批判する植草さんは、財務官僚という国家ヤクザに睨まれていた。植草さんは、小泉政権になって、国家的規模の犯罪であるりそなインサイダー取引疑惑を提起し、マクロ政策を糾弾した。また小泉政権は郵政民営化という米国による日本資産の収奪計画を企て、政権は植草さんの言論活動を放置できなくなっていた。2004年、及び2006年の事件は間違いなく言論弾圧であり、国策捜査事件なのである。
事件を仕掛けたのが権力官僚であるが、この事件を裁いた裁判にも、最高裁事務総局に巣食う司法官僚の意図が鮮明に反映していると思う。二つの事件は国策捜査であり、彼を裁いた裁判は国策裁判なのである。植草事件には日本の国家官僚が国家ヤクザ化している事実が浮かび上がってくる。権力官僚とマスコミの暴走が結びついた今の日本、ここには近代法治国家の極限的な衰退がある。
小泉・竹中構造改革路線という国策は、完全な棄民思想に貫かれていた。植草さんの良心は、それを真っ向から指弾して引き下がらなかった。また、彼は財務省の悪の支配構造を批判した。日本にとって得がたい人物である。不当に毀損された彼の名誉は回復されるべきである。