鳩山内閣になっていろいろおもしろいことが起こっている。政権を代えるのはよい政権を作るためではなく悪い政権を罰するため、と誰かイギリス人が言っていたが、その効果はあったようだ。仕分けもさることながら、貧困率の公表はショックが大きかった。 しかし、結局のところ、鳩山政権は米軍の普天間飛行場(沖縄・宜野湾市)移転問題をどうするつもりなのだろう? 県外という昨日・今日の話はどこまで本気か? 誰もが納得する打開案がないのは最初から明らかだ。一つの解決法を提示するには、反対意見を説得・論破する用意がなければならない。長引けば膠着するのは辺野古案が示すとおり。 このまま海兵隊を普天間には置いておけない。一日も早く移転を、と言う時、「一日も早く」はレトリックではない。明日にも大事故は起こり得る。 人口密集地で、基地直近に十六の教育施設がある。普天間第二小学校・普天間第二幼稚園は校庭・園庭がフェンスで基地に接している。滑走路への進入コースから百三十メートルしか離れていない。滑走路端からわずか四百メートルだから、飛行機は超低空を飛ぶ。真横百三十メートル先、パイロットの顔が見えるほど。あなたはこの環境に喜んで子供を通わせるか? では辺野古ならばいいのか? これもどう小細工を重ねようと沖縄県民を納得させるのは無理だ。本当の話、沖縄はもう六十四年間の長いつきあいで米軍にはうんざりしている。少しでも減らしてほしいと言わない方がおかしい。国にはこの圧倒的な不公平を解消する義務がある。 ここまではたいていの人が抽象論として理解するだろう。国外移転が理想と言うのもわかりやすいが、たぶんアメリカはすぐには出ていかない。自民党政権はさんざアメリカを甘やかしてきた。本来が遠征軍である海兵隊に前進基地はいらないはずだが、占領体制 からそのまま居座らせてしまった。早い話が、なめられているのだ。 それでも、普天間からの移転は焦眉の急である。眉は本当に焦げている。 沖縄県外のどこかという案にはまったく実現性がないか? 仮に北海道に移すという案が出たら札幌に住むぼくはどう応答しよう? 存続が危ういと言われている丘珠空港の跡地だったら、人口密集地という理由で反対する。道東の原野では? かつて沖縄・金武町の県道越え米軍実弾演習が全国何か所かに分散された時、北海道は自衛隊の矢臼別演習場を提供した。 道民として道東案にも反対する権利がぼくにはある。しかし、この権利の強さは候補地から自分の家までの距離に反比例する。近隣の人ほど強い権利を持つ。この総論賛成、各論反対の構造はいかに止揚され得るか? 十二年前、ぼくは動かぬ状況への苛立ちから、「週刊朝日」で具体的な普天間飛行場の移転先を提案した。すぐに地元の人だちから反対意見が寄せられ、ぼくはそれに再反論して、そのまま議論は立ち消えになった。 十二年たっても普天間問題には解決のきざしが見えない。では、仮定の話としてもう一度考えてみよう。 ぼくが挙げた候補地は鹿児島県の馬毛島である。種子島の西十二キロのところにある無人島で、その理由は以下のとおり 1 普天間飛行場の一・七五倍の広さ、地形が平坦で、三千メートル級の滑走路がすぐにも造れる。埋め立て不要。 2 島の形に合わせれば滑走路は南北方向になる。離着陸の飛行機は種子島の上は飛ばない。 3 横方向に十二キロ離れているから騒音は深刻な問題にはならない。 4 島であって。兵士と住民との接触がない。 5 嘉手納と岩国のどちらも輸送機で一時間の距離にある。米軍にとっては魅力的なはず。 6 ほぼ無人島で、ほとんど一私企業の所有で、交渉が容易。 素大のぼくが地図を見て見つけたくらにいだから、専門家たちはこの島のことを知っていただろう。しかし、その時までここが表だって話題になったことはなかった。その後も移転の話は辺野古を巡ってくすぶるばかりで、他の案が真剣に検討された気配がない。だから沖縄人は怒るのだ。 馬毛島案に地元の大たちは当然反対するだろう。しばらく前、米軍の艦載機発着訓練の一部をこの島に移す話があって、反対運動か起こった。当然であるし、今回提案しながらぼくだっていい気持ちはしない。 だが、このくらいショッキングなことを言わないと基地は沖縄から出ていかないのだ。十二年待っても普天間は動かなかった。その間に、二〇〇四年、隣接する沖縄国際大学にヘリが墜落した。無人島であれば墜ちても海の中、というのははたして暴論か。 反対権は距離に反比例すると書いた。フェンス越しの百三十メートルと海を隔てた十二キロは明らかに違う。そこに、反対権は受苦の年月に比例すると付け足しておこう。何度も言うが、沖縄の我慢は限界に達している。 (作家) 朝日新聞 夕刊より
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