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掲示板のネーミングの話です。
しかしそれに留まるものではありません。
ネーミング変更は9月17日に行われました。
第一次鳩山政権が誕生し
列島津々浦々熱気に包まれた日の翌日です。
つまり
「主権者の会(BBS)が存在したのは自公体制の終末期=
麻生政権の時代から8.30民衆革命の感動を経て第一次鳩山政権誕生までの時代
そして「主権者は私たち」と看板を掛け替えたのが
その翌日
つまり異なる時代へ突入した日そのものだったのです。
もっと象徴的な話に高めましょう。
「主権者の会」の経緯をざっと追いますと
メンバーそれぞれがネット上の政治言論の場に参入し始めたのは3.3以降のことでした。
政治状況に対する具体的に可能な行動を模索する中から
幾つかのプロジェクトの卵を抱えたメンバーが集まり
ホームページを立ち上げ
掲示板を立ち上げ
そしてメンバーの一人が実現に向け奔走していた「フォーラム開催」が決定し
6.4緊急フォーラムという形で結実しました。
その後植草氏への判決確定を受けて
メンバー間の動揺・焦燥感、
しかしながら何か積極的な支援のための行動ができないかという
連日の情報交換の結果、
「植草氏を守るプロジェクト」=「BBS+諸提言」が立ち上がりました。
ここまで「主権者の会を振り返るメモを残してきたのは
決して回顧に浸るためでも
自慢話をしたいわけでもありません。
分析を始めます。
自公体制に於いて(特に政府方針に異を唱えようとするものにとって)
市井の一個人の思いを政治家に届けることは絶望的に困難な望みでした。
偶然の係累に頼るか
利益のバーター(票またはカネv.s.地位、仕事、情報)によるかしか無かったでしょう。
いずれにしても市井の一市民には縁のない話で
唯一それを突破する手段が生命を賭した政治テロでしかあり得なかったということです。さもなくば集団としてアピールする。
かつての我が国や、世界中で現在も当たり前に行われているようにデモの形であったり
圧力団体であったり、街頭署名であったり
吾等主権者の会の存在も
その延長で考えて頂くと理解しやすいと思います。
時代が変わりました。
「主権者は私たち」
このネーミングをある方が提案下さった時
一気にパノラマが展開しました。
主権者とはそもそも一人一人の民衆。
新しい時代は
もしかすると一人一人の民衆の思いを
直接に政治家に届けても良い時代なのじゃあるまいか!
じつはどなんとぅは居住する地方都市の中で既にそのことを実践しておりました。
いわば市政レベルでのロビー活動。
結論まで端折ります。
先刻来のどなんとぅが提起している
自らの思いを直接政治家への手紙で!
という呼びかけは
この新しい時代の政治家との関わりをしっかりと基盤化するための
重要な一行動であると受けとめて頂けたならありがたい。
足を引っ張る声に
耳を傾ける必要はさらさらなし。
とりわけその関係(与党と主権者たる民衆)をできるだけ遠ざけてゆくことが役割のよしみG+志民の会の動きは
この運動がうねりとなった時
全く無力なものとならざるを得ないでしょう。
「代弁者」など必要なく
一人一人が直接に
みずからが思いを託す<与党政治家>にその思いを届けるのですから。
この大きな転換を象徴するネーミングを提案下さった”ある方”とは
「雑談日記」主催のSOBAさんでした。
あらためて感謝申し上げます。