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http://www3.nhk.or.jp/news/t10014132451000.html
12月1日19時40分
昭和47年の沖縄返還をめぐり、日本がアメリカと密約を交わしたとしてジャーナリストらが外交文書を公開するよう求めている裁判で、当時、アメリカと交渉にあたっていた外務省の元局長が法廷で証言し、アメリカが負担することになっていた費用を日本が肩代わりする密約があったことを初めて公の場で認めました。
この裁判は、昭和47年の沖縄返還の際にかかる費用を日本がアメリカの代わりに支払うという密約があったとして、ジャーナリストや大学教授などが日本側が保管している外交文書を公開するよう求めているものです。
東京地方裁判所で開かれた1日の裁判で、当時、アメリカと交渉にあたっていた外務省の元アメリカ局長の吉野文六さん(91)が証言しました。この中で、吉野さんはアメリカで公開された、「密約」の存在を裏付けるとされる外交文書の、「BY」というイニシャルについて、自分が署名したと述べ、日本政府が「密約」を交わしていたことを認めました。
文書には、アメリカ軍が軍用地として使っていた土地を元の田畑に戻すための費用400万ドルをアメリカに代わって日本が負担することで合意したことが記載されています。
こうした密約が交わされた背景について吉野さんは、「当時、アメリカの財政事情が悪くなり、金銭を支払うことが難しくなっていたからだと思います」と証言しました。吉野さんによりますと、この400万ドルは、日本が肩代わりしたことがわからないよう、核兵器の撤去費用として日本が支払うことになっていた7000万ドルの中に含めて支払われたということで、1日の法廷でも「相当な額が支払われることになっていたので、その中からねん出することぐらいはわけがなかったと思います」と述べました。
さらに吉野さんは、沖縄に設置されていた、アメリカの短波放送の中継局の移設費用、1600万ドルについても、日本が支払う根拠がないのに、負担する密約があったことを認めました。
一方、吉野さんは、今回法廷で証言すると決断した理由について「アメリカで文書が公表されたので、私もいつまでも隠すことはできないという心境になったからです」と述べました。吉野さんが公の場で「密約」の存在を認めたのは初めてで、当時の交渉担当者の証言はこれまで一貫して「密約」を否定してきた日本政府の主張を覆すものとなりました。
吉野さんは法廷での証言が終わったあと記者会見しました。この中で、吉野さんは証言を終えた感想について「歴史の真実に貢献したわけではないだろうと思うが、ともかく法廷では真相を語ったつもりです」と話しました。
そのうえで、今回、証言した理由について、「過去について忘却したり反対のことを立証したりして歴史をわい曲しようとすると、国民にはマイナスになることが大きいと考えた」と述べたうえで、「アメリカのように、外務省も公文書の公開を行っていくことが、新しい外交を行うのに役立つと思います」と話しました。
裁判のあと、原告団が記者会見を開きました。原告の1人で、琉球大学の我部政明教授は「吉野さんが法廷の場で『400万ドルを提供するという日米の合意は自分が担当した。アメリカ軍の軍用地を元に戻すための費用だった』と証言したことは大きな意義がある」と述べ、吉野さんの証言を評価しました。
また、当時、密約があったとする記事を書いた元記者の西山太吉さんは「吉野さんは、相当な覚悟をもって話したのだと思う。吉野さんと会うのは40年ぶりで法廷で握手もした。感激しています」と話しました。