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以下は「Tokyonotes 東京義塾」さんのConspiracyという記事である。高橋洋一氏が郵政民営化の見直しについて、雑誌VOICE 2009年11月24日に掲載した、「『郵政見直し』国民負担1兆円」に対し、ブログの主催者であるOrwell氏が逐次反駁している内容である。
郵政民営化の屋台骨を設計した高橋洋一氏が、郵政民営化の見直しを批判する論文を書いた。それに対し、郵政民営化問題を知悉する「Tokyonotes 東京義塾」さんが、詳細に反論されている。郵政民営化の何が問題か、各論ごとに対比的に考えることができて、非常に有効な内容となっている。重要だと思うので、全文転載する。
○緑色太字部分はVOICEに掲載された高橋洋一氏の記述
○黒字部分が「Tokyonotes 東京義塾」さんの反論
( _転載開始_ )
Conspiracy
驚くべきことであるが、ブルガリの時計の置き引きの問題を起こした高橋洋一と言う元財務官僚が単行本を出したり、雑誌の記事を書いたりしている。挙げ句の果てに、テレビ番組にまで出演しているというのである。小泉・竹中政治の中で、郵政民営化法の案分作成に、民主政治の基本の適正な手続きを無視して、郵政民営化を強行しようとした人物である。月刊雑誌のボイスに記事が掲載されているが、全く独りよがりの、市場原理主義者の面目躍如のものではあるが、的外れの議論である。特にデフレ脱却論など、全く稚拙な議論である。
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/voice-20091129-01/1.htm
>なぜ齋藤次郎「社長」なのか
亀井静香氏が金融・郵政改革担当相に就任し、さまざまな変化が起きている。10月21日には、日本郵政の西川善文社長が辞任を表明した。小泉改革以来続いてきた「郵政民営化」の取り組みは、これで完全に止まったといえる。いや、「再国有化」へと時代が戻った。さらに、齋藤次郎元大蔵次官が次期社長に決定する光景を目の当たりにして、「再国有化」から「財投(財政投融資)復古」までイメージしてしまう。
郵政民営化の取り組みが、高橋氏の書くように、完全にとまったのであれば、慶賀すべきことである。わずか数年の民営化で、郵政事業は縮小に向かっており、社員の志気は大幅に低下している。国民資産の私物化、外国への持ち出しに狂奔したのが実際ではなかったのか。簡保の宿の不正な転売などは、その背景が捜査されて然るべきである。
>世間では、郵政を民営化された会社だと思うので、齋藤氏を「天下り」、「渡り」だと思うのだ。ところが今回、郵政の実態が「再国有化」や「財投復古」への転換であることを見抜ければ、齋藤氏は「役人再登板」ということだから、皮肉にも理にかなった人事だ。
郵政を民営化された会社と思うこと自体が間違っている。国が100%株を保有している特殊会社であるに過ぎない。誰も、財投復古などと言っていない。役人再登板などと言うのは、冷や飯を食わされて14年間を過ごした、斎藤社長に失礼というものだろう。ブルガリの時計の置き引きの釈明をするのが先ではないのか。全く道徳心に欠けるから、人を中傷するのは得意のようである。
>だが、そもそもなぜ郵政民営化が必要だったのか。その点を押さえておかないと、今回の「郵政見直し劇」を正しく判断ができないはずである。
>郵政民営化が必要だった理由。それは端的にいえば、民営化をしなければ「郵政」収益の柱である「郵便貯金」や「簡易保険」の破綻が必至だったからだ。
破綻は必至であるとのご託宣であるが、址のその理由付けを含めて噴飯ものである。
>以前は、郵便貯金は財政投融資という仕組みのなかで「ミルク補給」されて支えられていた。ごくごく簡単に、この仕組みを説明するとこうだ。郵便貯金から年間数十兆円ほどが大蔵省に預託される。この資金を大蔵省は特殊法人などに投資・融資するのだが、その際、大蔵省は普通の金利よりも特別に高い金利を課していた。なぜか。郵便貯金に大蔵省から直接「ミルク補給」するとバレてしまうから、特殊法人に高い金利を払わせることで「ミルク補給」をしていたのである。
財政投融資をしていたのは、高橋氏が元在職していた、大蔵省理財部なのではないのか。財政投融資が始まる前にも、郵便貯金はあったのですよ。私使う人、あなた集める人として、うまい汁を吸ったのは、むしろ元の大蔵省ではなかったのではないですか。
>この高い金利を払う特殊法人は大変だが、そこは税金を投入して埋めていた。この仕組みによって、郵貯も、天下りの温床である特殊法人も温存されてきたのである。かつて郵政は独立採算で成立していると盛んにいわれたが、それはこの仕組みが働いていたからであった。
特殊法人が天下りであったとしても、天下りは、ほとんどすべてが大蔵省からの天下りだったのではないですか。郵便貯金の天下りなど、特殊法人にはいなかったのではないでしょうか。ミルク補給をしたなどと、おもしろい表現ではあるが、資金を貸している郵便貯金側に金利をつけて返すのは当たり前ではないでしょうか。
>ところが、このような特殊法人の在り方への批判が高まり、2001年4月に「資金運用部資金法等の一部を改正する法律案」が施行され、財政投融資制度の改革が行なわれた。先述のような「ミルク補給」の流れは断たれることになったのである。郵便貯金も、大蔵省に預託するのでなく、市場で独自に運用しなければならないことになった。だが、郵便貯金は政府保証が付き、また、公的な主体ではリスクを取れないから、有価証券の運用にしても原則国債以外はできない。
論理の飛躍ではないですか。自主運用は、長年郵便貯金が求めていたことで、有価証券の運用にしても原則国債以外は出来ない」とすることがおかしいのではないでしょうか。公的な主体ではリスクがとれないとの表現もおかしく、あるいは、カジノにでも、お金を持っていけばいいとの発想でしょうか。政府保証をつけて、しかも限度額があって、国民から貯金を集めて、少額が集まって巨額の資金となって、それを運用したのではないでしょうか。しかも、公共の分野で。
>これは長期的に見れば、必ず破綻するのである。考えてみてもほしい。郵便貯金が国債で資金を運用して「利ざや」を稼げるのは、郵便貯金の金利が、国債の金利よりも低いからである。しかし、長い目で見て、もしずっと郵便貯金の金利が国債の金利よりも低いと皆が気づいてしまったら、誰も郵便貯金には預けず、国債を買うことになるだろう。となれば理論的に、国が政府保証を付ける場合には、その金利は最終的には国債の利率と同じになるはずである。短期的に見れば金利の一時的なでこぼこがあるから、定額郵貯のように解約オプション付きで表面的な「利ざや」が稼げるように見えていても、15年スパンなどといった長期的な視点で見れば必ず金利は平準化するのだから、その「利ざや」はやがて雲散霧消するのは明白なことである。とくに経済が正常化し金利が上がると、郵貯の潜在赤字は顕在化する。
誰も郵便貯金には預けないで、国債を買うとこになるだとのお話も、理屈倒れの世界で、何も投資をしているわけではなく、安心と信頼で預ける国民が大半だったのではないでしょうか。郵便貯金の流動性が高かったこともご存じだとは思いますが。護送船団の銀行行政をしたのはどなたでしょうか。今でも、国債を買っているのは郵貯だけではないのですから。それでも、投機で大損をしたことよりも、国債のローリスクのローリターンで石橋をたたいても渡らなかったことが、良かったこともあるのではなかったでしょうか。特金で民間が大損したときもそうでしたね。
>こうなれば、郵政事業の人件費などの分だけ、毎年赤字が積み重なることとなる。現状では、その額は1兆〜2兆円。これが累積して耐えられなくなったら、そのとき郵便貯金は破綻するということである。ほかの運用方法をやろうにも、役人ばかりでは、どうすればいいかわからない。下手に手を出して失敗すれば、潰れるのが早くなるだけである。
言いがかりの世界である。むしろ、郵政民営化をして、郵貯を潰したわけであるから、銀行になったものを、わざと成績が上がらないようにして、株の値段を安くして、外国に売ってしまうという、いつもの市場原理主義の手口を使ったのではないのか。
>これを避けるためには、民営化して、リスクを取って利ざやが取れる貸し出しなどで資金を運用できるようにしなければならない。だが、そのときには普通の金融機関とのイコールフッティング(競争条件を同一にすること)が問題となる。「郵貯」だけが競争条件で優遇されているとすれば、市場から許されない。
融資の機能がないから、郵貯のコストは、銀行などより、遥かに超すとがやすかったのです。給料もどこかのメガバンクのように、退職金が数億円などと言うこともなく、低コストで経営効率は、民間の金融機関よりも遙かに優れていたのではないでしょうか。貯蓄機能の銀行だったのですが、日本の銀行法は、そうした制度には目もくれず、単に、メガバンクを対象にした規制だけで、ユニバーサルサービスなどは、郵便貯金しかなかったのではないでしょうか。外国の識者は、競争があるのは、銀行協会と郵貯の間にあるだけだとの話があったことをご存じでしょう。メガバンクも寡占化しただけで、競争があるとも思えず、却って、日本の金融の体質を弱体化させたのではないでしょうか。
>だからこそ「郵便貯金」を民営化するにあたっては、ほかの金融機関と同様に「金融法」に則り、同じルールで競い合う必要があった。「金融法」は郵便貯金・郵便事業・簡保事業などが渾然一体となっている経営の在り方は想定していないから、「金融法」の規制をかけるのならば、郵便の各事業を分ける「分社化」を進めることが必須だったのである。
同じルールで競い合うなどと、お役人の発想で、同じものでないものが、同じになると、巨大なものが勝つことが当然であるという論理を認めることになるではないのか。渾然一体と成っていたというのも事実誤認で、分離した会計を行ってきたのではないのか。言いがかりである。
>さらに分社化にはリスク遮断という理由もある。郵貯、簡保、郵便どれをとっても、いずれ破綻するだろう「じり貧事業」ばかりだ。もし郵貯がダメになっても分社化しておけば預金保険でカバーされ貯金者への迷惑は最小限度にできる。
つける薬がないほどの幼稚な議論である。そうではなくて、分社化の背景は、郵貯、簡保の資金を外国に持ち逃げするという背景があったのではないのか。事実、竹中元大臣は、去年の春にも、外国で投資をした方が良いと、テレビ番組で明言していたが、もしそうであったら、大損をして、国損となっていた可能性が強いのではないだろうか。預金保険の穴が開いているのを、郵政を民営化して、その保険を払わせて、穴埋めしたのが実態なのではないのか。郵政民営化前に、預金保険機構がいくらの赤字を出して、郵貯がいくら埋めたかも明らかにすれば、それこそ一目瞭然ではないのか。銀行の赤字の穴埋めのために、郵貯のカネが使われたのではないのか。
>もっとも、分社化といっても、リテール部門は兼業メリット(範囲の経済性)があるので、郵便局会社としてまとめている。これが四分社の理由だ。
郵便局会社を作ったのが、最大の失策であることがわからないらしい。もともと机上の空論で、リテールなどと分からないときには横文字を使い、範囲の経済の誤用である。会計を分離しつつ三事業をひとつの屋根の元で、やってきたことを範囲の経済というのである。分割ロスと言う概念もあることを拳々服膺すべきではないだろうか。
>そのうえで、民間の人を入れて、リスクを取った貸し出しもして、「普通の金融機関」として収益を稼ぐ姿を作り上げなければならなかった。そして株式を売却して、通常の会社と同じく、市場の厳しい目で経営をチェックされる姿にならねばならなかった。
通常の会社ではなく、なにか、市場原理主義の牙城になってしまった。鵺のような存在で、郵政民営化の監視委員会などがあり、民間でも公共でもなく、郵政資産を狙って、売り払うような経営が行われたのではないのか。金融ばかりを話題にしているのは、それをうっぱらうことで、もともと、郵便局は野となれ山となれ、儲からないと言われる郵便事業などは、儲からない民間会社の下請けをやれとの発想だったのだろうか。
>だが、この姿は「郵政ファミリー」の方々には許せなかったのだろう。ついに亀井大臣の下、郵政民営化・四分社化が見直されることになったのである。
郵政ファミリーではなく、国民がNOを突きつけたのである。政権交代すらあった。郵政民営化をはじめとする市場原理主義のいかさまにノーと突きつけたのである。ドイツでも、イギリスでも、そして世界の多くの国で、ノーが突きつけられている。ドイツでは民営化した総裁を外為法違反で逮捕している。所で、世界で、郵便局の郵政事業を民営化して成功した国がありますか。国家の役割についての認識が欠けているようですし、公共の分野の意味合いもおわかりになっていない議論のようです。
>膨大な累積赤字はもはや必定
>民主党の関係者は「民営化自体は否定しない」「国の機関に戻すことを求めているわけではない」という。だがその一方で「四分社化は見直す」というのは、詭弁だ。いま述べたように、じり貧の三事業を自立させ、しかもリテールでの兼業メリットを生かした「民営化」のために四分社化が必須だからだ。これを見直すならば、制度として「民営化」とは程遠い「まやかしの民営化」になる。こうした「まやかしの民営化」は、来年参議院選挙で郵政関係者が自由に政治活動し、民主党を応援してもらうためだ。民営化を進めるために迎えられた西川善文社長も追い出されるように辞任を強いられ、日本通運と日本郵便の宅配便事業の経営統合も目前で頓挫。民営化を行なうことを前提に、民間の金融機関や保険会社から多くの人材も集っていたが、「郵政見直し」の話が出たことで、彼らは皆、元の会社に戻ってしまった。
詭弁はどちらだろうか。4分社化が必須などと言えば、神がかりの話だし、民主党を応援してもらう為田などとは、言いがかりの話だ。宅配の統合が目前で頓挫したのは、むしろ天の助けではなかったのか、元の会社に戻ったと言うが、4人組の行状はご存じだろうか。郵貯の共用カードが廃止され、手数料が毎年50億円払うようになったのはどう説明するのだろうか。
>残っているのは官僚ばかり。もはや、実態としても民営化には戻りようもない姿になってしまっている。こんな状況では、リスクを取って運用益を出すノウハウなどないから、今後、どのような姿になるにせよ、「郵政」はやがて何もできないで潜在赤字を垂れ流すだけの存在になり、いつか累積赤字が顕在化することは必定である。
>たとえば、毎年1兆円の潜在赤字が十数年続き、十数兆円規模の累積赤字となったら、その尻拭いを誰がするのか。結局は国民の税金を投入するしかなくなるだろう。
財政投融資の制度の運用を誤った、元官僚が発言する言葉とは思えない。郵政は、歴史的にも、自立自尊で、税金の世話にならないことを至上命題に制度が運用されてきた。大蔵省の国家財政の尻ぬぐいをしたことは、国鉄の救済のためにも数兆円が上納されたが、未だに、返してもらう話もないのではないのか。
>「民営化」がいけない、「国営」がいいという信念をもつのは自由だが、それを貫くためにはコストが掛かる。そのコストをどうするかまできちっと覚悟を固めて、初めて「見識ある意見」だといえよう。「ゆうちょ」の赤字は税金で負担するというかたちにしたいのならば、そのように訴えて、国民の信を問えばいい。ただしその場合でも、「まやかしの民営化」でお茶を濁すよりも「国営化」ないし「公社化」に戻したほうがはるかにマシであろう。
突然、怖くなったのか、国営、公社に戻した方がましなどと仰る。
>郵政民営化を考えるとき、もう1つ問題になるのがユニバーサルサービス(全国一律に提供されるサービス)である。
>金融部門、ゆうちょ銀行とかんぽ生命については、現行法ではユニバーサルサービスの対象ではないが、今回、金融部門も「ユニバーサルサービスを法的に担保できる措置を講じる」との閣議決定をしている。民営化した一社だけにユニバーサルサービスを位置づけるのは許されるだろうか。もし、農協やいずれかの金融機関が「やりたい」といえば、たとえば一口座当たり500円の手数料を国が支払い、やってもらうしかあるまい。
そんなことはない。前述したとおり、どこかの国の銀行を規制する法律が、ユニバーサルサービスが行えるようにする精神と規制を忘れた枠組みになっていることを専門家として知らないわけがない。だから、小さな郵便局に大銀行の仕事の仕方を押しつけて、郵便局員を下を向いて、ムダなコンプライヤンスを強いて、仕事をするようにしたのではないのか。
>だがそれ以上に、公社化して国営会社にしたほうが、スッキリする。民営化といいながら、ゆうちょ銀行とかんぽ生命にだけユニバーサルサービスを求めるような、「まやかしの民営化」をするなら、国営化してコストを税金で負担するようにしたほうが国民に対し、よほど誠実である。「ユニバーサルサービスを」や「地域のワンストップ行政サービスを」という議論は、本心では「国営化」を望む主張にほかならないのである。
まやかしの民営化がいらないことは同感であるが、公共性の担保があって何が悪いのだろうか。銀行法、保険法だけが法律だと思っているのだろうか。
>モラトリアムは日銀にさせよ
>亀井金融・郵政改革担当相は、中小企業向け融資や個人住宅ローンの返済を3年間猶予する「モラトリアム法案」の導入も打ち出している。この法案に対しては、「銀行経営を圧迫し、むしろ貸し渋りを助長する」「国家権力の不当な介入は、市場経済を甚だしくゆがめる」「モラルハザードが心配」などとメディアでも非難が集中した。たしかに、徳政令みたいなもので、強制的に私人間の契約に国家が介入すれば、問題だろう。
私人間の契約であっても、国家が介入することは十分あり得る。市場原理ばかりではないのだから。
>だが、原則的にいうならば、この「モラトリアム」的な考え方は、じつは、GDPギャップが足元で50兆円もあるような現状を前提とし、中小企業への支援対策として考えるならば、ありうる話で悪いものではない。たしかにこの法案にうまく政策をかませば、力があるにもかかわらず経営難に陥った中小企業にとって、大きな救いになるだろう。ただ、この法案にまつわる一連の動きを見ると、民主党が完全に官僚に丸め込まれていることも確かである。モラトリアム法案では返済の猶予にあたり、信用保証協会などを活用して政府保証を付けるとしている。この場合、法案を成立させるだけでは不十分で、財政措置も必要になる。法案は10月の臨時国会で提出されるが、この法案が機能するためには、補正予算で政府保証についての計上がなされなければならない。
>ところが補正予算案の提出を鳩山内閣は年明けの通常国会としており、法案だけでは、年末の政府保証は口約束にすぎない。それとも、麻生政権での信用保証枠にまだ空きがあるので、それをちゃっかりいただこうという、政治的にせこい魂胆なのか。
>信用保証協会による保証と同じ経済効果をもたらすものとして、銀行の貸付債権について、商工組合中央金庫や日本政策金融公庫といった政策金融機関が買い取る仕組みもある。もっとも、この仕組みはあまり具体化されていない。これは官僚の天下りの巣窟である政策金融機関を利用するので、天下り根絶の民主党としてとりにくいのかもしれない。
>ただし、政府保証を付ける(または政策金融機関が貸し付ける)やり方は、GDPギャップを縮小させるというマクロ経済政策の観点から見て、効果的ではない。政府保証が付いても、全体のマネー供給量はさほど変わらず、金融緩和の効果は薄いからである。
>もっとも効果的なのは、日銀に金融緩和をさせつつ、中小企業対策もやらせるのだ。具体的には、中小企業に銀行が貸し付けている貸付債権を日銀が買い取る。これなら損失は日銀に回り、銀行にとっては政府保証が付くのと変わらない。
なにをかいわんや、詭弁に聞こえる。日銀に中小企業対策を行わせることは必要ない。
>一方、日銀が買うことで、日銀から出たお金が、市中に出回るようになる。すると長期金利も下がり、これは多くの人が自動的に猶予を受けるのと同じ意味をもつ。これはまさに金融緩和策で、デフレ対策にも中小企業対策にもなり一石二鳥政策で、どこから見ても、いいことずくめなのだ。
>いまの日本に、デフレ対策が必要なのは明らかである。GDPギャップが50兆円ほどあり、二番底にでもなれば、80兆円にもなるかもしれない。放置していると株価はいつまでも上がらず、デフレは直らず、名目給与は伸びず、失業率も高くなる。政府や日銀がお金を出して埋めないかぎり、デフレや高い失業率が正常に戻るのに長い時間がかかり、それは経済にとって大きな損失だというのが、経済学の常識である。
デフレ対策と言うが、均衡財政論をやめることなのではないだろうか。
>失業率は、現在とりあえず雇用調整助成金で見掛け上、抑えている。だが雇用調整助成金には、企業と雇用者が支払う保険料以外に税金も含まれている。雇用調整助成金を出すほど、国債の増発にもつながりやすく、そうなれば金利は上がり、これは円高も誘発する。
>つまり、金融政策を使わず、雇用調整助成金だけで解決しようとすれば、いま以上に金利が高くなって、設備投資はいっそう縮小し、さらには円高を招くという、ますます悪い状況をつくりかねないのだ。やはり日銀が中小企業向けの貸付債権を買い取るのがベストで、日銀に中小企業手形を5兆円なり10兆円なり買い入れさせればいい。
金融政策は、限界に近づいて効果がないことがハッキリしているのではないのか。だから、緊急の財政出動なのだ。アメリカの新政権などは、ハッキリと大型の財政出動に踏み切っているのではないのか。デフレと言う言葉を使って、金融政策の性にしているのも意図的ではないのか。
>「デフレでラッキー」の愚策
>それを亀井大臣がやらないのは、1つはそこまで頭が回らないのだろう。たとえ金融庁や財務省が気づいていたとしても、自分たちの仕事ではないから何もいわない。また日銀自体、これをやりたいと思っておらず、そのため自分たちからいいだすこともない。日銀はリーマン・ショック以来、CP(コマーシャルペーパー)や社債の買い入れといった企業金融支援策をとっているが、現在考えているのは、それをいつ解除するかである。
>日銀が現在の企業金融支援策を好ましく思っていないのは、これを「異例の措置」と述べていることからもわかる。日銀が望んでいるのは、デフレ対策とは真逆の方向なのである。実際、日銀は2000年以降、見事に消費者物価(除くエネルギー・食品)をマイナス1〜0%になるように、金融政策を行なってきた。先進国では、消費者物価(除くエネルギー・食品)を1〜3%になるように金融政策を行なっているので、明らかに日本は「デフレ経済」志向の金融政策だ。
日銀がデフレを後押しして、外国への資金持ち出しを助長するような政策をとってきたことが理解できるが、もはや状況は違うのではないのか。
>この結果、足元を見ると、日本とアメリカで、それぞれ名目金利は1.2%と3.2%、実質金利は2.4%と1.5%になる。名目金利は日本のほうが低いが、実質金利は逆に日本のほうが高い。
>デフレ時にCPを買い入れするのは、海外では珍しい話ではない。日本語でCPといえば大企業が発行する手形を指すが、英語でCPは中小企業も含めた手形全般を指す。そのCPをFRB(連邦準備制度理事会)が買うのはアメリカでは当たり前で、中央銀行が中小企業の債権を買うのは、緊急時にはありうる金融政策なのだ。それなのに日銀は、大企業向け貸付債権さえ、買いたくないという。そこには、彼らがもともと「デフレ好き」ということがあるだろう。
>日銀に限らず、公務員は一般的にデフレが嫌いではない。彼らはデフレになっても給料が下がらないし、失業する心配もない。一方インフレになると、民間の給料は上がるのに、自分たちはほとんど上がらない。国家公務員は株の売買を禁じられるケースも多いので、そこから好景気の恩恵に浴することもない。多くの公務員は、インフレ時にわが身の不遇を嘆いても、デフレ時に痛みを感じることはないのだ。ある意味、仕方のない話で、だからこそデフレの怖さを実感できず、本気でデフレを解消する気にもならない。本来なら、そこを無理にでもやらせるのが政治の役割だが、それができないところに民主党の限界がある。
デフレ好きなのは、大企業のサラリーマンもそうなのではないのか。ましてや、金融機関であれば、公的資金の投入を受けた上で、高給をはんできた。それを許容してきた金融と財政の政策が問題なのではないのか。
>そもそも民主党政権には、マクロ政策というものが存在していない。このことは経済財政諮問会議を廃止したことからも明らかである。経済財政政策に関する重要事項を審議する諮問会議がなくなれば、マクロ政策を議論する場がなくなる。マニフェストでは、代わりに首相直属の国家戦略局を設置するとしているが、そのために必要な国会法等の改正法案を出すという話はいっさい聞こえてこない。これではマクロ政策はもとより「脱官僚」すらスローガンだけで、本気で考えていないと思えてくる。
経済財政諮問会議を廃止したのは、経済の話ではなく、民主主義の根幹の問題に触れるからである。一部の経済人が国を牛耳たうえで私腹を肥やし、日本を破壊に導いた責任はどうとるのだろうか。
>マクロ経済の無策で、デフレのまま金利が上がらず、結果として郵貯の潜在赤字を抑えてラッキーという愚策は、やめてもらいたい。
郵政民営化を抜本的に見直して、その他の市場原理主義の政策を徹底的に見直して、政権交代の実を上げて、日本を復活させてもらいたいと、当ブログの筆者などは、祈るものである。マクロ経済の愚策をとって日本を収縮させ、格差を生み出して国民の活力を奪い取った責任は、全くお感じにならず、地方を破壊してしまった責任は、小泉・竹中政治の中枢にいた方の発言とは思えない。さて、さて、潜在の赤字の原因は一体何処にあるのか。少なくとも郵貯ではないのではないのか。市場原理主義の虚妄の、空の城の中にあるのではないだろうか。
最後に、高橋洋一氏が、マスコミに姿を現していることについて、その奇異さを神州の泉氏がコメントしている。ご参考まで。市場原理主義の残党が跋扈しているようだ。http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2009/11/post-0b08.html
( _転載終了_ )
神州の泉
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2009/12/t-0384.html