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第77回コンプライアンス研究センター定例記者レクでの発言概要
[テーマ]
◎「鳩山首相政治献金問題、元公設秘書立件へ」との報道について
○政治献金が実母からの資金提供によるものであった場合の政治資金規正法上及び税務上の問題
○在宅で立件の場合、公判請求相当か略式請求相当か
◎JR西日本コンプライアンス特別委員会報告書(11月18日公表)について
○JR西の事故調からの情報入手及び要請の原因背景についての報告書の記述の意義
○事故調からの情報入手、事故調等への要請、資料不提出は「刑事責任を免れる目的」
で行われたものなのか
○今回の問題が事故の原因究明及び再発防止に与える影響
◎科学技術予算についての「事業仕分け」と予算策定過程の民主化
○スパコン、GXロケット等が「事業仕分け」で否定的評価を受けた原因
○科学技術政策における官僚の役割の限界
○科学技術予算による技術開発の支援を求める企業に求められるもの
【11月25日記者レク概要】
http://www.comp-c.co.jp/pdf/091125reku.pdf
2009.11.25
第77回定例記者レク概要
名城大学コンプライアンス研究センター長 郷原信郎
昨日、今日の記者レクのテーマとして二つご連絡したのですが、昨日の夕方あたりから鳩山首相の政治献金の問題もいろいろ報道されていますので、この問題についてもコメントをしようと考え、急遽テーマとして追加しました。
まず、この鳩山首相の献金問題ですが、「元公設秘書立件へ」と報じられています。このこと自体は前から予測されていたところだろうと思います。お配りしたのは11月の中旬に共同通信の社会部長会で講演したときの、該当部分のスライドなんですが、とにかく元公設秘書の違反の成立は明らかで、しかも、その違反の事実が当初の会見で鳩山首相が認めていた、政治資金収支報告書に寄付者が架空人だとか、亡くなった人の名前で書いてあったということだけではなくて、小口の匿名献金についても虚偽記入であったようだということです。それを含めると、違反に当たる寄附の金額が2億円ぐらいに上ると見られるということですが、このあたりのところはこれまでに報道されているところからも概ね明らかで、とくに予想に反する事態ということではないわけです。
問題はその中身の問題です。お金がどこから来ているのかとか、税務上の問題が発生するのかどうかとか、違反が成立するとして、はたしてこの事件についての処分はどの程度が相当なのか。量刑の問題ですね。そのあたりが焦点になってくるのかなと思います。
この社会部長会で使ったスライドでも、サブタイトルとして書いたわけですが、「検察にとって煮ても焼いても食えない事件」というふうに私は見ているんですが、まさにそういう事件であるというところが、最後の決着のところがどうなるのか、なんとも予想しがたい部分が出て来ている原因ではないかと思います。
金額的には、過去の政治資金規正法違反、収支報告書の虚偽記入の事件と比較しても、相当多額の違反事実であることは間違いないと思います。そして、結局それがどういうことかというと、政治資金がどこから提供されていたのか、ということに関して、実は自分、あるいは自分の親族の方からの資金であるのに、それが他人の個人から小口で政治資金の提供を受けていたように収支報告書に書いていたということです。そういう意味では政治資金の透明性が害されたことは間違いないわけで、政治資金規正法の目的から言うと、許容しがたい事件だという評価になるんだと思います。
ただ、一方で今までこの政治資金規正法違反という事件が刑事事件として、検察の処分の中でどう扱われてきたかというと、政治資金の透明性を害したから違反だ、悪質だというような観点からばかり、政治資金規正法違反が考えられてきたかというと、必ずしもそうじゃないと思うんですね。やはり旧来的な贈収賄事件までは立証はできないけども、贈収賄事件的な事件ということで、初めて犯罪としての悪質性についてピンと来るというよ
うな考え方が行なわれてきたというのが実情ではないかと思います。
そういう観点からすると、なんと言っても今回の事件はそういう第三者の企業とか故人から多額の献金をもらったという事件じゃないものですから、なかなか刑事事件の処罰価値という面でピンと来ない。そして、検察もおそらくいまひとつピンと来ないと思いますけど、なによりも国民の評価もかなり醒めてるんじゃないかという気がします。2億円もの政治資金規正法違反だ、とんでもないと、多くの国民が思ってるかというと、必ずしもそうではなくて、自民党がいくら国会で追及しても、そして新聞が一面で書いても、いまひとつ反応が鈍い。ということで、これは純粋法律的に考えると、けっこうな犯罪だし、それなりの処分をしてもおかしくないのですが、どうもそこのところがピンと来ないし、国民も醒めてる、冷ややかということで、煮ても焼いても食えないということになるんではないかというのが、私の印象です。
ですから結局、問題は税務上の問題というところにかなりポイントが絞られてくるんじゃないかという感じがします。一つは、架空の寄付の事実をでっち上げていた、要するに寄付をしてもいない人から寄付を受けていたことにしていたことに関して、寄付金の控除証明書を寄付をしてもいない人に渡していたという事実があったと言われています。もし、それが最初からそういう人が寄付をした事実がないのに、寄付をしたようにして税金を免れるということに加担する目的で行なわれていたとすると、脱税への加担ということで、悪質な行為ということになります。ここは、今回の行為を評価する上での一つのポイントになることは間違いないだろうと思います。
二番目に、まさに今回、問題になっているところですけども、もし資金が親族から出てる場合です。実のお母さんなどから出てる場合、この場合、税務上の問題はどうなるんだろうか。税務上の問題というのは、課税当局の見解と、最終的に司法上の判断がどうなるのかということ、そしてさらに払わなくちゃいけない税金を払ってなかった場合に、それが重加算税の対象になったり、あるいは脱税というふうに言われるかという、いろんな面で考えてみないといけないと思います。
まず第一に、もしこのお金が実のお母さんから来たお金で、もろにそのお母さんの方のお金がボーンと政治資金管理団体に提供されそれが架空人の名義とか、死んだ人の名義の寄附とされていたというのは、それはちゃんと開示されてなかったという意味で、政治資金収支報告書の虚偽記入であると同時に、その個人の寄付の上限を超えるということで、形式上は政治資金規正法に違反する寄付ということになります。その場合に、税務上の問題がどうなるかということですが、たしかに資金管理団体も、政治団体も法人格がありませんから、権利能力なき社団ということになると。権利能力なき社団であれば、その代表者に対しての贈与というふうに見なされて、贈与税の対象になる可能性があるということにはなろうかと思います。ですから、税務当局としてはそれが贈与税の対象だ、という見解で課税しようとしてくる可能性は当然あると思います。
ただ、その考え方が最終的に司法上の判断として維持されるかどうかというところは、
これはけっこう微妙なんじゃないかと思うんです。過去にも政治資金として提供されたものを個人の用途で使ってるんじゃないかという疑いが出た場合に、それをどうやって所得税の対象にするのかというような問題、いろんなところでこの問題というのは刑事事件の処理に関連しても出てくる問題でした。ここの政治資金と個人の資金の線引きというのは、なかなか簡単じゃないんですね。そうなると、たしかにこれは形式上はその個人に帰属するということなのかもしれないけれども、その実態は政治活動のために資金管理団体に出されて、政治活動のために使われているということになると、それ、本当に個人に帰属させていいのかというところに関して、いろいろ主張する余地は出てくるように思われます。そうすると、そういう判断が微妙な問題については、脱税がどうのこうのという問題にはなりにくいように思います。そういう意味で、親族の資金であった場合の税務上の問題というのが、脱税ということになる可能性は低いような感じがします。
報道によると、母親からの貸付金だったというようなことが言われていますが、これは事実がそうかどうか、まったくわかりません。そうであったら、ほとんど税務署も政治資金規正法上も問題ないわけですが、もし仮に貸付金ではなくて、実のお母さんから資金がボーンと資金管理団体に入っていたとしても、税務上、非常に微妙な問題があるということだと思います。お母さん自体は、提供したお金がどう使われるかよくわからないまま、お金を出していたという場合はどうなるかということになると、話は別になってきますし、この辺は事実関係がわからないと、なかなか簡単には判断ができないという感じがします。
最後にこの事件の量刑をどう考えるかということなのですが、これまたむずかしい問題ですね。形式的に政治資金規正法違反の規模という面から言うと、たしかに先ほども言いましたように、2億円の政治資金規正法違反というのは、かなりの金額です。当然、処分としては、公判請求だ、禁錮刑求刑だというふうにも思えるわけですが、ただ、そこが先ほども言いましたような、刑事事件としての処理価値というのはなかなか微妙な面があることも否定できないと思います。現に過去の政治資金規正法違反の量刑というのははっきりした基準にしたがってやられているわけではなくて、けっこう揺れ動いているわけです。比較的最近の例で言えば、日歯連事件の1億円のヤミ献金問題で、政治家では村岡氏は起訴され、事務局長も起訴された。しかし、大物の政治家は不起訴になったと。とりわけ、たしか野中氏は起訴猶予になったわけです。その量刑と比べると、プラス面、マイナス面といろいろあるわけです。たしかに今回、処分が問題になっているのは鳩山氏の元秘書ですから、レベル的に言えば、日歯連事件で起訴された派閥の事務局長と同じぐらいのレベルですけども。ただ、刑事事件的に悪質性ということからいうと、明らかに日歯連という団体が政治上の何らかのメリットを期待して送ったヤミ献金で悪質ですし、そういったもろもろのバランスを考えたときに、あの事件での起訴猶予という処分があり得たことと、今回の事件の量刑の関係をどう考えるか、ここもなかなか微妙なところかなという感じがします。略式請求なのか、公判請求なのか、最終的に検察がどう判断するのか、微妙なところだろうと思います。
いずれにしても、この事件、私は以前から総理大臣の政治資金の問題が検察の捜査の対象になり、最終的に処分の対象になるというのは異例の事態で、ほんとに慎重にこの問題をみんなで見守らないといけない。民主党側も、そして鳩山総理大臣の側も発言も慎重に行なわないといけないということをずっと言い続けてきましたが、ことここに至ると、改めてそう思います。本当に最後、こういう非常に微妙で、「煮ても焼いても食えない事件」を検察がどう食うかという問題ですから、やっぱり食べ方が信頼できるということじゃないといけないと思うんですね。そういう面で、この事件に対する検察の最終的な処分の判断を静かに見守るべきではないかと思います。
それから、先週JR西日本のコンプライアンス特別委員会の報告書が公表された、福知山線の脱線事故の問題なんですが、ちょうど昨日、『日経ネットPLUS』というインターネットの「法務アリーナ」というサイトにちょっとこの問題について書きました。ただ、これは先週の前半に原稿を書き上げていたもので、ここにはこのコンプライアンス特別委員会の報告書の内容は盛り込まれていません。ここで書きたかったことは、まず一つは、今回の問題を企業コンプライアンスの問題として考えた場合には、JR西の最大の反省すべき点はやっぱり事故直後のあの対応の誤りだった。これは企業社会全体が、一つの大きな反省材料にしないといけないんじゃないかということです。事故直後の会見で置き石説を唱えたり、それから事故車両にJR西の職員が、たしか二人でしたか、乗り合わせていたのに、会社に指示を仰いだら、出勤できるんだったら出勤しろと言われて、事故現場で救助も救援もまったくしないまま出勤した、それによって大変な社会の批判を受けたわけです。
そういうようなことが続いたために、JR西日本はああいう多くの死傷者を出す重大事故を起こした企業というだけで、もちろん大変な社会的な批判・非難の対象になりますが、それ以上に、事故直後の対応上の問題のために、いっそう激しい批判・非難を受けた、ということは否定できないと思うのです。
そして、その後、事故調査委員会の調査が始まった段階で、JR西の態度がどうであったかといったら、やっぱり基本的にあの事件に関して、被害者、遺族とか、社会に対してしっかり目を向けた対応をしたかというと、私はそうではなかったと思うんです。ですから、結局、JR西という会社に対する社会の側からの印象、受け止め方、被害者、遺族の側からの受け止め方があまり変らなかったというか、逆に事故調査委員会の意見聴取会などでのJR西の対応が被害者、遺族を刺激することになって、ますます大きな批判を受けることになってしまった。
そういうようなJR西の対応の誤りが、警察の捜査、検察の捜査という段階になって、今度は法的責任、刑事責任がどうなるかという問題に跳ね返ってくるわけです。本来は刑事責任というのは純粋に、客観的に法と証拠にもとづいて適切な判断が行なわれるべきだと思いますし、刑事局長も国会で聞かれたら、必ず一般論としてそういうふうに言ってき
てるんですけども、最近は必ずしもそうではありません。やっぱり世の中の論調、被害者、遺族の気持ち、意向にものすごく影響されます。やはりJR西日本がそういう被害者、遺族の側から、そして社会から激しい怒りを買っていたということで、検察としては全面不起訴処分が非常に行ないにくい状況に追い込まれていたということが言えるんではないかと思います。その結果、山崎前社長が起訴されるという事態に至りました。
じゃあ、本来あの事故が業務上過失致死傷罪で起訴できる事件なのか、今までの刑事司法の常識ということから考えてみますと、私は、かなり自信を持って断言できると思います。本来、あの事故の事件での起訴はあり得ないと、私は思います。多くの刑事司法の関係者もおそらく同じことを言うと思います。8年前のあの急カーブの現場にATSをつけなかったということと、事故であれだけの人が亡くなったということの因果関係は一応あります。しかし、8年の間、何千台、何万台という電車が安全にあの現場を運行しているわけです。その末に、たまたまあの暴走運転によって、あの電車がひっくり返って。そして、それがマンションに突っ込んで、マンションとぶつかって、あれだけの死者が出たわけです、それが予見可能だというのは、私はちょっとどう考えてもあり得ないと思います。
私はあの事故が起きた当時、我々の機関誌の『コーポレートコンプライアンス』の最新号、ちょうど出すところだったので、折り込みであの事故についてのコメントを入れました。その中で書いたのは、あの事故は脱線事故じゃなくて衝突事故だということを書いたんです。要はあの急なカーブの先にマンションが建ってた。あのマンションが建ってて、あのマンションに激突して、1両目の車両は、あのマンションの下に潜り込んだのです。だから、あれだけの死者が出たんであって、もしあそこにマンションがなければ、おそらく被害は非常に少なかったと思います。あれだけの悲惨な事故に至った大きな要因はあそこにマンションが建っていたとことです。しかも、あのマンションが建ったのはたしか事故の2〜3年前です。
私は、だから急カーブのああいうような現場の先にマンションが建つという立地にも問題があったんじゃないか。やはりああいう市街地に相当なスピードで走る鉄道を運行していくのであれば、周辺の立地との間で安全対策も考えていかないといけないのではないかと。そういう面で、あの事件の原因、誰が、どうすべきだったかというのは、ものすごくその構造は複雑です。8年前に、あそこに別にマンションがまだ建ってない状態で、あの事故、あの暴走運転を予想して、あそこに優先的にATSを付けないといけなかったというのは、私はもう刑事事件で過失を問うような問題ではないんじゃないかと思います。
そのぐらい、常識から考えて、ちょっとおかしい起訴が行なわれたわけです。その起訴が行なわれたことによって、第4幕の、起訴後、公判を迎えるまでの間に、この第2幕で起きた事故調査委員会とJR西側とのやり取りがにわかにスポットライトを浴びることになってきたわけです、なぜか。なぜ、こういう事実が表に出て来たのか。その情報がどこから出て来たのか、私にはわかりません。しかし、おそらく第1幕、第2幕のJR西側の対応の誤り、そしてそれによると思われる検察の刑事司法の常識を越える起訴というのが
なければ、あの第2幕におけるJR西と事故調査委員会とのやり取りが問題として表面化することはなかったと思います。
今回公表されたコンプライアンス特別委員会の報告書の中で、その経緯が調査によって明らかにされています、私はこれは全文を読んで、非常によく調査されているという印象を持ちました。前半3分の2ぐらいのところで、JR西の側が事故調査委員会の側にどういう接触をしたのか。そして、どういう情報を得たのか。どういう働きかけをしたのかという具体的な事実が書かれていて、その原因とか背景についても触れられているんですが、これは非常によく調べられた、しっかりした報告書だと思います。
その後の企業体質の部分とか、井手元社長がどうのこうのというところばかりがマスコミの注目を集めていますが、私が注目したのは、むしろ客観的な事実についての記述です。とりわけ、この原因、背景のところに「なるほど」と思うことがいろいろ書かれています。例えば世の中の人は今ほとんど認識してないんじゃないかと思われる事実です。事故調査委員会が鉄道事故を調査したのは今回のこの福知山線の事故が初めてであったということ、これはきわめて重要な事実だと思います。これまでは事故調査委員会というのは航空事故調査委員会だったのです。鉄道事故はどうしてたかと言ったら、事故を起こした鉄道会社が自分で調査してたんです、自主調査してたんです。それが事故原因の解明のためのもっとも合理的で、効果的な方法だと思われてきたわけです。それが今回は事故調査委員会主体に変ったわけです。
そのため、やはり、JR西の側では、鉄道事故の原因は事故を起こした自分たちが解明するんだというような意識が強かった。そこがこの事故調査委員会の調査に対して、いろんな協力をする。その一方で、調査がどうなっているかということについても、当事者的に、半ば調査に加わっているような意識で非常に関心を持つ、というようなことにつながっていくわけですし、そしてやっぱり調査委員会の調査結果がアウトプットされるときには、ちょっとでも早くその内容を頭に入れといて、マスコミからコメントを求められたときに、適切なコメントをしたいという気持ちにつながっていった。そのあたりがこの報告書に非常に詳細に書かれています。私は「なるほど、その通りなんだろうな」と思いました。
ただ、先ほども言ったように、JR西の側の事故後の対応が適切に行なわれていたら、そもそも刑事司法の常識を超えたような起訴が行なわれることもなかった可能性が高いので、事故調査委員会への接触や情報入手をやっても、そんなに大きな批判を受けることもなかったと思います。そこの対応を誤った企業が自分たちの、それまでの常識、それまでの感覚にもとづいた行動をとったために、それがこれほどまでに大きな社会的な反発を招いてしまうということになるわけです。
そしてもう一つ大きなポイントが、JR函館本線の事故についての資料を、ことさらに事故調査委員会の提出資料から除外した、それを隠したというふうに批判されている点ですが、その点についても、報告書で詳細に分析が行なわれています。「個人レベルで過剰反応して、この資料は出さないほうがいいと考えて出さなかった可能性はまったく否定できない」という限定付ですけども、この報告書全体を見ると、刑事責任を免れるために、あえてこの函館本線の事故に関する資料を、今回の事故の予見可能性を根拠づける資料だと考えて、都合が悪いから外していこうというような目的で除外したものではないということは、はっきりこの報告書の中で認定されていると思います。
そういうような理由で除外されたものではないということは、当時、その責任者である山崎前社長の発言とか、その他の幹部の発言からも、とにかく出せる資料は全部だそうという指示は徹底されていたということが認定されていますし、しかも、その内容からしても、そこの部分を削除したからと言って、結果に影響があるかというと、そんなに影響はないような内容のものでしかなかったということがはっきり書かれています。
そういうふうなことからすると、私はJR西日本の側に反省すべき点は多々あるし、とりわけ事故直後の対応などについて、企業のコンプライアンスの面で問題があったということは否定しませんが、今、この問題で事故調からの情報入手などでJR西が批判・非難されている程度は、客観的な事実を比較して、あまりに過剰ではないか。これほどまでに世の中から一方的に批判されるほどのことだろうか、そういう印象を強く持ちます。
これだけの重大で悲惨な事故を起こした会社ですから、多少叩かれすぎがあっても仕方ないじゃないかというふうに思う、そういう見方もあると思いますが、この問題をそういうふうに扱って、JR西に対する過剰なバッシングを行うことは、今後のこの種の重大事故の原因究明と再発防止という観点からしても、社会全体のためにもならないんじゃないと思います。せっかく、先ほども言ったように、航空事故調査委員会が、航空鉄道事故調査委員会になり、運輸安全委員会になり、その過程で人員もそれなりに拡充されて、権限も強化されてきて、ようやくここまで来たわけです。ここまで来る間には、あの日航の御巣鷹山の事故のたくさんの遺族の人たち、それから信楽鉄道の事故の遺族の人たち、日比谷線の脱線事故の遺族の人たち、それから、そういう被害者・遺族の人たちを支援する、事故調査の専門家、遺族をサポートしている弁護士などがいて、いろんな人たちが事故調査委員会の機能充実を強く求めてきた。それがようやくここまで来たんです。
今回の事故の問題が、情報入手や要請などの点ばかり取り上げられることが、もう今後は事故調査委員会なんて信用できないから、もうやめてしまえ、やっぱり刑事事件として捜査で厳正中立にやるしかないというような世の中の風潮につながったら、今までの事故防止に向けての取り組み、努力は何だったんだろうかという感じがします。私はけっしてJR西日本の肩を持つつもりはないんですが、この問題についてはちょっとみんな冷静になって考えてみるべきではないかと思います。遺族の方々の中にもそういう冷静な考え方の人がたくさんいるはずです。遺族の方々はやっぱりこの事故を社会の中で生かしてほしいんです。将来の同種事故の、悲惨な事故の再発防止に生かしてほしい。そういう意味で単純にJR西日本を叩けばいい、批判すればいい、処罰すればいいという考え方じゃない人が多いと思うんです。改めてそういう事故防止のあり方という観点から、この問題を冷
静に考え直してみるべきではないかと思います。
昨日からですか、事業仕分けというのが再開されたということで、大きな社会的な注目を集めています。私は事業仕分けというやり方自体、予算の策定過程を国民の前に公開していくということ自体、これは非常にいいことだと思っています。今までであれば、財務省の主計官と各省庁の担当者の間で、隠れた密室の中で予算をつける・つけないということが行なわれていたのが、オープンな場で議論していくというのは、大変けっこうなことだと思うんです。ただ、オープンな場での議論にはルールがなければいけない。オープンな場での議論が正しい方向に向うということを期待できるようなやり方とルールというのがなければいけない。そういうことに関して、いろんな問題が出て来ているんじゃないかと思います。
やはり、オープンな場でなかなかいい結論にたどり着きにくいのは、今問題になっています科学技術予算、科学技術政策にどう取り組むかというふうな問題じゃないかと思います。こういったことに関して、今まで密室で、役人たちだけでやっていたのが必ずしもいいということではないわけですけども、オープンな場で、短時間で、不正確な資料にもとづいてパッと感覚だけで決めてしまうのがいいかというと、それはそうではない。事業仕分けというやり方は、地方自治体の住民にとって、身近なところの事業をどう仕分けをしていくかという部分については、私は非常に優れた制度だと思いますがこういう国のいろんな施策、政策に関連する予算の策定の問題は、やっぱりその性格に見合った方法をとっていかないといけないんじゃないか。そういう面で、まだ国の予算についての事業仕分けという方法は始まったばかりですので、これから、いろんな試行錯誤が行なわれていかなければいけないんじゃないかと思います。
私もIHIの社外監査役をやっていますので、GXロケットの廃止というのには、いささか驚いたんですが、なんでそうなったのかと聞いてみたら、事業仕分けで提示された資料に重大な誤りがあったようです。
全体の開発予算の700億円のうちの400億はIHIなどの民間企業が出してるんですが、なんとこの仕分けの場では700億全部が国家予算で出てるというペーパーを前提に議論していたそうですね。それから、1機150億円という金額が、これもまったく不正確で、150億円だったら、たしかに売れそうもないですが、実際今予定している1機の金額は80億円だそうです。そして、IHI側から聞いたところでは、今アメリカ側から、このGXロケットが非常に有望だというような情報が、かなり引き合いが来る可能性が高い。まだなかなか確証まではないんですけども、日本のロケット技術を、大型だけじゃなくて、中型のロケットというのも、まさに大型が打ち上げられる隙間を埋めるものとして重要だということです。専門家に聞いてもらったら、確かめられることじゃないかと思います。そういったものの有用性を、民間企業の側が、これまでのように役所にばっかり目を向けるんじゃなくて、世の中に対して、国民に対してちゃんと理解できるようにアピールしていくた
努力を民間企業の側もやっていかないといけないし、やはりマスコミの皆さんもそういったところをよく理解してもらって、中長期で考えた場合に、どういうお金の使い方をしたらいいのかという観点からも考えてもらいたいと思います。