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【神州の泉―「品川のある研究者」氏投稿(続編)、高橋博彦コメント】
2009年11月28日 (土)
科学事業の仕分けと「ポスドク」問題
(本稿は事業仕訳について寄せられた、「品川のある研究者」氏の続編です)
私のコメントを取り上げていただきありがとうございます。
少し言葉が傲慢になっていたきらいがあったので、お詫び申し上げます。
今回の事業仕分けの問題点について、若輩ながら現場の研究者からの視点で補足させていただきます。
今回の科学技術関連の事業仕分けには、「ポスドク問題」という背景と密接に結びついています。80年代に日本の科学技術を強化するために、多くの学生を博士課程に入学させるような政策がとられました。しかし、博士号をもつ人が増えても、大学等のアカデミックなポストは限られていること、また企業の方でも、年齢の高い博士課程の卒業生を雇う雰囲気がほとんど作られなかったこと(欧米では企業は普通に博士号を持つ研究者を採用しますが)、により、多くの博士号を持つ若者が不安定な任期制のポスドクとして雇われているという現状です。文部科学省が、研究者を増やすという入り口の政策だけたてて(博士課程の学生が多い大学には補助金を交付する等)、出口の対策をまともに考えてこなかったツケが今回っています。
今回の事業仕分けで一番の問題点は、研究事業の予算の縮減や廃止が、研究費が出なくなるということではなくて、若い研究者の大量解雇につながるということです。若いポスドクの人件費の出所は、今回仕分けの対象になった、「事業」なのです。自分の知り合いでも何人かの方が、スパコン事業の予算により雇われています。スパコン事業の凍結により、彼らは解雇の危機に直面しています。これは他の事業についても言えることです。
今回の事業仕分けの通りになされると、多くの若い研究者が失職するでしょう。予算の削減の嵐で、日本の他の研究機関は新しく雇う余裕がありません。失職した中で優秀な人は海外に向かうでしょう。他の人も、せっかく磨いた専門技術を活かせる職に就けるのはほんのわずかでしょう。そうした現状を目の当たりにして、これから研究者の道を志そうとする学生は、海外に向かうか、研究の道に進むことをやめるという風潮が出ると思います。こうして、日本の科学技術研究は空洞化が進んでしまうのではないかと、アカデミック業界に身を置いている人たちは本気で危惧しています。
「一般の多くの人が職を失っている現状で、研究者だけ特別扱いはできない!」という議論もあるでしょう。また、ここでポスドクを大量に解雇して、市場原理によりうまく解決しようという意見もあるでしょう。しかし、研究者はやはり一般の人とは違う技術を持った集団であり、雑に扱って海外に追いやるよりも、うまく利用することを考えた方が国益につながるのではないでしょうか?少なくとも、こうした複雑な問題は、一時間程度の大局観のない議論で解決できるような事柄ではないことは間違いありません。
もちろん科学技術の方に全く問題がないとは思いません。
例えば、毎年年度末になると、研究費を持っている研究室の教授が「なにか欲しいものはない?」と学生や研究員に聞いて回ることが通例となっています。日本の制度上、研究費を単年で使い切らないといけないので、さほど必要のない物品を大量に購入する年もあれば、研究費が足りなくて研究に支障が出る年もあります。こうした部分で削減可能な無駄は多くあると感じますし、解決法もいくらかは考えられるでしょう。
話題のスパコンに関しても問題点は多く見受けられます。
今回のスパコン事業では、「世界一早い計算機を作る」と「今回作った高速計算機を用いることで生物学や物理学等の問題を解決する」の二つがセットになっています。個人的には後者の部分に問題点が多いと感じています。「今回作った高速計算機を用いる」という制約が目的化している現状なのですが、実際には今回の作られる予定のスパコンにグレードアップすることにより初めて解決が可能になるような問題を、事業に携わる研究者たちはほとんど見つけられていないように感じます。
今回スパコンを作っても、それが直接もたらす目立った研究成果はあまり出てこないだろうとも思います。こうした観点から、研究者の間でもスパコン事業に懐疑的な人は少なくはありません。また、日立とNECが撤退した理由を、仕分けの際の文部科学省の役人はまともに説明できていませんでしたが、これはもちろん解明するべきでしょう。
いろいろスパコン事業にも問題はありますが、個人的には私は肯定派です。やはり様々な分野で計算性能がとても重要になってきており、計算機をグレードアップする努力はするべきだと思います。今回のスパコンにより、直接的に目新しい研究成果が出なくても、次世代のコンピュータにより、ものすごい研究成果がでることは十分に考えられます。今回のスパコン事業を凍結してしまうと、そういった可能性が薄くなってしまいます。アメリカが作ったコンピュータを使わせてもらえば良いという意見もありましたが、研究の世界でもアメリカはそんなにお人好しではありません。時代遅れのコンピュータを法外な価格で売りつけられるのが関の山です。
個人的には、現状の科学技術の問題点を丁寧に議論して、日本の科学技術の発展を促す方に無駄を削減するのであれば大歓迎でした。しかし、今回の事業仕分けは明らかにそうした性質のものではなかったので、とても失望させられました。自分は科学技術関連のことしか詳細はわかりませんが、おそらく他の分野でも(医療、農業等?)現場にいる人にしかわからない重要な事業が削られているのではないかと危惧しています。
以上長文駄文失礼いたしました。
これからも貴ブログを拝見させていただきます。
投稿: 品川のある研究者 | 2009年11月28日 (土) 01時37分
(注:ポスドク=ポスト・ドクター、博士研究員、2007-06-22朝日新聞 朝刊によれば、「博士号を取得後、大学教員や研究所の正職員など安定した研究職に就けず、3〜5年の任期付きで働く若手研究者。文科省の調査によると、ポスドクは全国で1万5923人(05年度見込み)。うち4割強が国立大、3割強が産総研などの独立行政法人で働いている」そうである)
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(管理人)
現場で科学研究に勤しむ方の真摯なご意見だと思う。上記でも言っているように、博士号を持つ若い研究者が増えても、大学も企業も受け皿の役目を果たしていないというか、自己実現を果たす場所がないということは前々から言われていることは知っていた。すぐに思い浮かんだのは、小泉政権の司法改革(改悪)によって、ロースクール(法科大学院)が乱立され、若手弁護士さんが急速に増えつつあることだ。
言葉は悪いが、弁護士さんの粗製濫造の感じが否めない。需要と供給の関係で供給が過多になった場合、法曹三者の内の、弁護士さんの品質劣化が心配される。仕事がない若手弁護士さんには職務経験の蓄積が不足して、クオリティが劣化していくのは避けられないだろう。素人の見方で思うところを言わせてもらえば、増員された弁護士さんに望む仕事を与えるために、日本が訴訟社会になることをすでに想定している気がする。
つまり、訴訟天国アメリカのようになれば需給バランスが取れる。裁判員制度は、大元に、日本の訴訟社会実現を目指して制度設計されたように思う。竹中平蔵氏が先導した「年次改革要望書」の実現は、日本をネオリベ構造社会に転換することである。それは米系外資の日本収奪が目的であった。同時に、格差社会を構築して国民に不満を醸成させ、譲り合いや思いやりの精神風土を壊すことも企図されていたに違いない。市場原理主義で日本型のゲマインシャフトを破壊すれば、個人はアトム化して訴訟社会へ移行する。
今は重大刑事裁判が裁判員制度の対象とされているが、やがては民事訴訟に敷衍されるのではないだろうか。そう眺めれば、ロースクール乱立も、裁判の国民参加も、米国の対日収奪の一貫であって、訴訟費用という果実を分捕るために米国が設計したように思う。同様に、日本にポスドク問題が生じているのは、米国の知財独占と似た発想が根底にあり、日本に優秀な科学技術者が育たないように制御しているのではないだろうか。
優秀な若手研究者がのびのびと育つ環境を与えないことによって、日本の科学技術の進歩を頭打ちにする。国力の脆弱化をはかり、常に対日優位を保つとか、優秀な研究者を米国に囲い込むという国家的な戦略があるのだろう。ポスドク問題の背景には、大きくは裁判員制度に共通する米国の対日戦略があるように思える。スパコンについては、絶対に独自技術を目指すべきだと思う。複雑系の要素がますます強くなっている現代科学は、大容量で高速のコンピューターがないと解明が進まないからだ。
思いつくままに言うが、たとえば、イリヤ・ブリゴジンの散逸構造論や自己組織化などの研究にはスパコンは必須であり、それは生物学や社会学など多岐に広がっているように思うからだ。次世代スパコンの可能性は科学の希望とも言えるものだと思う。だいたい、ポスドク問題は政治課題である。国のグランドデザインが確立していれば、生じない問題だと思う。政官業癒着の利権複合体は、限られた範囲の連中が私利を貪る政策デザインを固定化させ、政治献金などによって、それを防衛するシステム作りにしか動かない。科学の可能性とか、希望とかを思いっきり低位に置いている。
事業仕分けの結果が、若い研究者(ポスドク)の大量解雇に直結することがないように目を光らせる必要がある。私は上記のような意見が現場サイドからどんどん出てくればいいと思う。それ自体が国民に対して重要な啓蒙となる。事業仕分けに、各界から賛否両論を出し、国民を巻き込んで国家事業の在り方を考えることはいいことだ。無駄とか、有益だとかいう判断は、国家のグランドデザインをどう考えるかによって変わってくると思う。
ものによっては、目先の対費用効果だけで皮相的な判断ができない仕分けもあるに違いない。教育などもそうだ。しかし、予算編成にどんな利権構造が生じているか、蓋を開けてみないとわからないのもあるようだから、仕分け作業そのものは革命的だと思う。税金が投入されている事業の構造的問題が浮き彫りになることは、政治刷新の意味でも大きい。
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