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カーリング漬け から転載
http://plaza.rakuten.co.jp/gaksuzuki34/diary/200911220000/
November 22, 2009
格安で最高品質を提供してきた日本の医療
この9月にカナダの非営利調査団体The conference board of Canadaより先進16カ国の医療状況の評価が発表された。
http://www.conferenceboard.ca/HCP/Details/Health.aspx
まず、そのデータの引用から。
表 日本の位置日本の位置2 http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/12/0000268412/12/img23a22975zik5zj.png
この二つの表でわかるように、日本の医療は1970年代から世界最高の結果を提供してきた。このことは日本人は認めなくてはならない。これ以上の環境は世界に存在しなかったのだ。
しかし、次の表を見ると医療に携っている私は愕然とさせられた。日本人の健康に対する自己評価が世界でもっとも低いのだ。そこだけDランク。常に健康不安を感じているのだ。
表 日本の位置3 http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/12/0000268412/13/imgb579d010zikbzj.png
世界で最高の結果を提供してきた医療にもかかわらず、患者満足度が極めて、病的なほどに低い。この要因は何だろう?一つ言えることは医療従事者だけが頑張り、好結果をだしても、国民の心は救われていないということ。
要は日本のストレス社会、過剰労働、格差問題、低福祉など、さまざまに国民に高いストレスを与える貧相な社会政策が変わらない限り、自己評価は良くならないのだろう。加えて、マスメディアの健康不安、医療不安を煽り上げる罪も大きい。なぜ、事実に基づいた感情的ではない記事やまっとうな啓蒙や情報提供など、本来、メデイアが果たすべき役割を果たせないのだろう?
世界一の結果を出しているにもかかわらず、国民の飽くなき医療への欲求は国民偕保険の維持を困難にするだろう。どこまでも、無限大に患者本位の医療など提供しようがないのだから。どこかで、国民は我慢をし、妥協をし、限られた予算で、全体としての好結果をもたらすように工夫をしなくてはならないのに。残念ながら、それを説き、説得するのは政治の仕事なのだが、誰も損な役回りをしようとしないのが、日本の医療の悲劇。
たとえば、シッコで取り上げられたカナダやイギリスの医療はほとんど無料に違いはないが、余程の急患以外はかかりつけ医に受診。それから、必要性が認められれば高次病院へ紹介となる。かかりつけ医が全てに対応できるはずもなく、見立て違いもままある。さらにはここで、大きく、高次医療への絞り込みを計っている。日本のように誰でも高次病院へ最初からかかれる物でもなく、ましてや、簡単に病院のハシゴなどもできるものでもない。さらに、精密検査までの長い道のり。それは、ここ、スウェーデンでも似たり寄ったりである。まず、かかりつけ医。それから、余程症状が強ければ、すぐに高次病院で受けてくれる場合もあるが、命にかかわらない、病気は概して専門医に会えるまでは長い予約待ちを強いられる。このように、高福祉といわれる国々は命に即座に関わらない疾患については我慢させる代わりに、高額な移植医療、高額な集中治療、救急医療や白血病薬などの分子標的薬などを含む医療の無料を実現しているわけだ。そして、最低限、病気で国民が困窮しない社会を維持している。
その制度は日本に慣れた私達にはとても不便に感じる。かかりつけ医の診断が怪しいのではないか?セカンドオピニオンが聞きたい。いつになったらCT撮れるんだ?専門医に会えるのだ?と日本の常識で医者に会えると思っていたらとんでもない。きちんと、制度に則り順番を待たなくてはならない。
しかし、どんな経済レベルの国民でも、病気で経済的に困窮することがない、という政府保証は誠に心強い物だろう。
不便な医療アクセスではあるが、平均寿命だけ見れば日本と約1歳程度しか変わらない。 http://www.conferenceboard.ca/HCP/Details/health/life-expectancy.aspx その1歳をさらに伸ばすためにどれだけ医療費をぶち込む価値があるのかどうか。はたして、医療だけで寿命がのびるのか?という疑問は提起される。
それでも、これらの国々は日本より、医療費に公費を費やしているのだ。ここで、GDP費における医療費比較表を見てみる。
表 世界の医療費 http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/12/0000268412/23/imgadea51f3zik9zj.gif
日本は主要国中21位の医療支出でダントツのパフォーマンスをあげてきた。この秘密は医師および医療従事者の涙ぐましい献身があってこそだったことは、残念ながら、日本国民に知られていない。マスメディアは知らそうとしない。
さて、これらのパフォーマンスは医師、医療従事者への尊敬とそれに応える形で働いた医療従事者による成果だったし、そこそこなぁなぁで済んできたトラブル処理に成り立っていた。ところが、長年にわたるメディアを中心とした医師バッシングが成果をあげ、すっかり、尊敬も失われ、トラブル処理は訴訟という形でしっかりと患者権利を、ややもすると過剰なほどに主張されるようになってしまった。それに加え、過剰な医療への関心と不安により、コンビニ受診への期待、コンビニ高度医療への期待、コンビニ往診への期待、複数医師への受診希望、有効性がはっきりしていない治療選択肢への期待など患者ニーズは高まるばかりである。このようなものを、もはや、現在の医療費負担で満たせないのは明白である。
加えて、医療従事者側の意識も明らかに変化している。労働者としての基本的労働環境を求め、訴訟への対策にも敏感になった。つまり、これまでの過剰な時間外労働を改め、訴訟が起きやすい科への敬遠が明らかに起きている。
こうなると、もはや低コストで高級医療を実現することは不可能である。それが、現在進行形の日本の医療現場の姿なのである。
さて、この国民の我がままとも思える過剰な医療への期待に応えるように政府が動くのならば、もはや、国民偕保険をあきらめ、高い要求の部分を自費負担でやってもらい、自由診療や混合診療の道を大きく開けていく動きにならざる得ないだろう。しかし、これらは全ての国民が平等の医療を受けられる、という理念からは大きく逸脱していくことになる。少なくとも有効性のはっきりした治療と時間内診療は皆保険で補償される、という保証なしでは医療格差がなし崩し的に広がっていくことになるだろう。そう、アメリカのように。それは民間保険、外資保険会社などが手ぐすね引いて待っていることでもある。
さて、医療を商品化し、金次第でお望みの高額治療が受けられるアメリカの医療は世界の最先端を歩んでいる。しかし、それを受けられるのは映画シッコで示されたように、ごく一部の富裕そうなのだ。大多数は疾患を抱えると、支払いに怯える経済状況に陥ってしまう。そして、GDPにしめる医療費が16%(何とそのうち自己負担は9%)とダントツに医療に金をかけておきながら、全体で得られた医療のパフォーマンスは先進国中、最低なのだ。
こんな社会を日本国民が希望しているなら仕方がないが、そうでない方達は市場原理主義医療に向かわないように、どの政治家、政策、メディアが市場原理主義を望んでいるか、真剣にみつめ、反対していかなくては大変なことになりそうだと思っていた方が良い。そして、何を我慢しなくてはならないかも考えるべきだ。
まず、事業仕分けで医療費削減を主張する財務省、はっきりいって、皆保険続ける気ないでしょう。それに同調する財務副大臣、終わってるわ。