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1 2009年総選挙の民意 2009年8月の総選挙で、大半の日本人にとって初めての民意による政権交代が起こった。2005年の総選挙では、新自由主義的な構造改革を唱える小泉純一郎首相が率いる自民党が300議席を得て大勝した。わずか4年の間で、日本の民意は強い自民党支持から、強い民主党支持へと180度転換したように見える。 この選挙について、人々は刺激的なシンボル、2005年の「改革」、2009年の「政権交代」に反応しただけで、大衆扇動の政治は継続しているという解釈がある。しかし、2005年と2009年の間には、大きな違いがある。 第一の違いは、社会経済的環境である。2005年は日本経済が長期的な景気回復を遂げている途中であった。市場原理を強調する改革論が支持を受ける環境がまだ存在していた。しかし、2006年以降日本ではしだいに不平等の拡大や貧困問題の深刻化を憂慮する世論が高まった。さらに、2008年秋以降の世界的な経済危機の中で、国民の経済的不安は一層高まった。市場の優越性を強調する政策よりも、市場の失敗を重視し、国民の生活を救済する政策が支持されるようになったのは当然である。 第二の違いは、選挙の際に政党が提示した政策の具体性である。2005年の総選挙は、小泉首相の持論であった郵政民営化を最大の争点として行われた。しかし、郵便局の民営化が日本の経済や国民生活に具体的に何をもたらすかを、民営化を主張していた自民党は何ら説明しなかった。国民も、郵政民営化がどのような結果をもたらすか、理解して投票したわけではない。実際には、2005年の選挙で勝利した後、自民党政権は、医療予算の削減、生活保護の減額など、社会保障、社会福祉の面での小さな政府の実現に邁進した。 これに対して、2009年の選挙で、民主党は具体的なマニフェストを提示した。とくに、15歳以下の子どもに対して一人月額2万6千円の子ども手当を支給すること、農家に対する戸別所得保障を実現することなど、国民に対する支援策を売り物にしていた。国民は、民主党を選ぶことによってどのような政策が実現するか、理解して投票したということができる。 2 日本版「第3の道」の成功 今回の民主党の勝利は、日本における第3の道の実現と評価することができる。第3の道とは、1997年にイギリスで労働党が18年ぶりに政権を獲得した時に打ち出したスローガンである。いうまでもなく、第1の道は第2次世界大戦後、ベヴァリッジ報告に基づいて労働党が実現した福祉国家、第2の道はサッチャー政権が1980年代から90年代にかけて推進した新自由主義的な改革である。ニューレーバーは、グローバル化時代に経済的な効率と両立する新たな福祉国家として、第3の道を打ち出した。 日本でも、同じような展開を発見できる。第1の道は、1960年代から80年代にかけてかつての自民党が展開した利益配分政治である。公共事業、農業や中小企業への補助などの形で財政資金が配分され、弱者の保護や不平等の是正がある程度行われた。しかし、そのような政策は普遍的な制度に基づくものではなく、官僚の持つ裁量によって実施され、不公正や腐敗を伴っていた。この点は、イタリアの南部開発とよく似ている。 第2の道は、2000年代に小泉純一郎政権によって展開された新自由主義的構造改革である。第1の道がもたらした腐敗や無駄遣いに怒った国民は、小さな政府による改革を支持した。しかし、小泉政権は腐敗の是正や行政の効率化ではなく、社会保障や社会福祉の削減、労働の規制緩和、地方政府に対する財政援助の大幅な削減を実施し、日本社会にはアメリカのように、貧困と不平等が蔓延した。 第3の道は、今回民主党が打ち出した福祉国家の再構築の路線である。従来の裁量的な利益配分に変わって、普遍的制度を立て、それに沿って同じ条件にあるすべての市民に対して公平に給付やサービスを提供するという点に民主党の政策の本質がある。子ども手当は、いわばベーシックインカムの部分的な試行である。また、農業についてはヨーロッパに習って、農家に対する個別所得保障を行うことを打ち出している。従来の農業政策が、農村に対する裁量的な補助金や建設事業に偏っていたことへの反省からこのような政策が生まれた。さらに、医療、教育の分野では、それらの分野に対する財政支出がOECDの平均的な水準に達するよう増額することを目指すとしている。民主党政権は、アメリカ型の小さな政府と決別し、ヨーロッパ型の福祉国家を目指すと評価することができる。 このような政策転換について、私自身民主党のアドバイザーとして関わったので、その過程について説明しておきたい。この政策転換は、小沢一郎前代表のリーダーシップによって初めて可能となった。私は、2005年の総選挙の直前から、何度か小沢と話す機会を持った。2005年選挙の大敗はたしかにショックであったが、私にとっては逆に、民主党が中道左派的な路線で政権構想を描く絶好のチャンスが到来したと思えた。そもそも日本の政党は思想や理念を明確にもっていない。民主党は自民党ではないというところにしか共通項を持たない政治家の集まりであった。したがって、中には新自由主義者も存在した。民主党が自民党との対決構図を描いて政権に挑戦する上で、党内の政策的な不一致は大きな障害となっていた。 したがって、2005年選挙において自民党が新自由主義路線で純化されたことは、中道左派路線で民主党をまとめようと思っていた私にとっては大きなチャンスを意味していた。小沢との議論の中で、新自由主義的な路線は必ず行き詰まるから、いまから民主党はその準備をしておくべきだと主張した。とくに格差不平等問題と社会保障の崩壊という大問題について、民主党が政策を出せば必ずチャンスが来ると言うと、小沢もこの点はきわめて的確に理解した。このような認識の下に、2006年3月に代表に就任した小沢が打ち出したのが、「国民の生活が第一」というスローガンであった。以後、民主党は生活第一の下に結束して、2007年の参議院選挙で勝利し、自民党政権を追い込み、今年の総選挙で勝利した。 小沢の力量は、社会民主主義的な勢力、実体的に言えば、労働組合と旧来の自民党支持層を結合したところに発揮された。彼は農村部の選挙を非常に重視していた。地方の選挙運動を実際に担うのは、労働組合であった。旧来の利益団体が衰弱していく中、地方自治体職員を基盤とする労働組合が各地域での選挙戦を支えた。これに加え、地方の建設業者、農民団体、中小企業、郵便局長の組織など、自民党的再分配政治の最大の受益者であった保守層を完全に自民党から引き離し、民主党の支持基盤に組み込んだ。社会民主主義的な勢力と旧来の保守層が小沢を媒介にして提携したことによって、民主党は農村部の選挙区で圧勝できた。この点に勝因があったということができる。 3 民主党政権の課題 鳩山首相は、就任早々、温暖化防止のために二酸化炭素を1990年比25%削減することを国連の場で公約し、核軍縮や東アジア共同体の設立に向けてイニシアティブを取ることをうった、従来の日本のリーダーとはまったく異なった大きな存在感を示している。 国内政策については、前政権が作った予算を再検討し、様々な無駄を摘出している。また、社会保障や教育に対する予算増についても、早速実現している。国民は初めて見る政権交代に対して大きな関心を持ち、政治の可能性を感じているところである。すなわち、自民党政権の時代には政治家も官僚もできない理由を数え切れないほど挙げていた政策提案が、政権交代によって簡単に実現することを、目の当たりにしているのである。生活保護費の増額、巨大なダム建設の中止など、そのような例は既にたくさん存在する。その意味で、政権交代は日本の民主政治の進歩をもたらしたということができる。 しかし、これから政権を維持して行くに当たって、大きな難問がある。それは各種の社会政策の財源をどのように調達するかという問題である。民主党は、今後4年間は消費税率を上げないと約束している。しかし、大規模な社会政策を行うためには安定的な財源が不可欠である。当面、今までの無駄を見つけ出し、節約するとしても、近い将来増税は不可避である。国民所得に対する租税・社会保険料負担の割合は、日本では38%であり、アメリカとほぼ同水準、ドイツやフランスなどよりは20%以上低い。ヨーロッパ型の社会経済モデルを実現するためには、負担の面で国民を説得し、合意を作り出すことが必要である。(ル・モンド11月14日) |