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【神州の泉―高橋博彦】
2009年11月18日 (水)
「キリスト教は排他的・独善的」と断言した小沢一郎氏の真意を考える
最近の小沢一郎幹事長の発言で、すごいなと思ったことがある。この記事を見てもらいたい。
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小沢幹事長:キリスト教連合が抗議文「排他的発言撤回を」
小沢氏は10日、和歌山県高野町の高野山真言宗総本山「金剛峯寺」を訪れた際、仏教を「度量が大きい」と評価する一方で、キリスト教を「非常に排他的で独善的」と批評し、「キリスト教を背景にした文明は欧米社会の行き詰まっている姿そのものだ」などと述べていた。
(毎日新聞 2009年11月14日 19時45分)より一部引用
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この記事は小沢一郎幹事長が、高野山真言宗総本山「金剛峯寺」を訪れた時、管長と会談した時のものだ。日本キリスト教連合会は、この発言に対して抗議文を送ったそうだが、キリスト教側からすれば当然であろう。私が感心したのは、この発言に見える小沢一郎という男の度量の大きさである。通常の政治家は宗教に関し、この手の発言は絶対にやらない。なぜなら、キリスト教圏外、イスラム教圏外にある、非一神教世界の人間は、一神教に対して疑念を持っても、公式の場では問題発言として、口に出さないからである。ましてや世界のキリスト教人口や回教徒人口の多さを思えば、宗教それ自体の批判は避けるのが常識である。
だが、小沢一郎氏の言い方は、一面で、非キリスト教圏にある人間の素直な気持ちを代弁している。宗教そのものの良し悪しと言うよりも、キリスト教の世界伝播と他国侵略が不可分に結びついていることは歴史の真実である。一神教と多神教アニミズムの決定的な違いは、相手を受け入れるか、受け入れないかである。人類史において、一神教の異教徒弾圧は枚挙に暇がない。
この文脈で言うなら、小沢幹事長の「非常に排他的で独善的」とキリスト教を断じたことは間違っていない。大まかに、一神教を砂漠の宗教とし、多神教アニミズムを森林・漁労文化の宗教と単純化すれば、世界の宗教はユダヤ教をベースにした砂漠の宗教が、森林の宗教を侵食・併合して勢力圏を拡大した歴史である。この間、血生臭い消滅を強いられた土着の宗教が無数にあり、浮かばれない思いをしている。砂漠の宗教は血塗られた歴史を有しており、森林の宗教は争いを起こさなかった。
私は、これからの世界は、小沢幹事長の様な発言を堂々としていく必要を感じる。近代以降の世界は、産業革命とキリスト教一神教が結びつき、世界の文明の趨勢を形成した。この文明は物質至上主義を優先し、古くからある良い精神を駆逐していった。戦争と収奪を絶え間なく拡散し、ついには世界を巻き込む大戦に進んだ。経済は金融資本主義が加速的に増殖し、その結果が、世界中に格差社会をもたらし、平和で自立的に生きていた社会をことごとく搾取の対象にしてしまった。金融資本主義が膨張した結果、世界中にフランチャイズ化されたそのシステムは、発祥の国そのものから自滅的に破綻した。
ベルリンの壁が崩壊して以来、こういう不幸な世界パラダイムは、実に多くの国々を苦しめてきた。その深層に一神教的収奪スタイルがあったことは間違いない。つまり、アメリカが体現した文明のスタイルは、欧米近代主義が形成した文明の限界と見ていいだろう。終焉というはっきりした帰着点に向かっていると思う。こういう大きな文明論的視座に立って見た場合、小沢一郎氏の言い分は正しいと思う。しかし、為政者が絶対に避けて言わないことを堂々と言う小沢氏の器量は並大抵のものではない。物凄い度胸だと思う。
この発言は、あの第七艦隊発言とまったく同じ地平に立ったアメリカ批判である。戦後日本はアメリカの豊かさに憧れ、アメリカを無批判に信奉してきた。その結果が、アメリカの収奪意志に翻弄され、今、世界も日本もひどいことになっている。いつか世界は、古くからあった日本の縄文的世界観を学ぶ時が来るだろう。小沢氏の発言が、それを先取りしているように感じたのは、私だけだろうか。アメリカの隷属から脱却するためには、小沢氏のような気概を持つ必要がある。ただ、アメリカは武力と内部工作でどうにでもなるという傲慢で危険な体質を持つから、気概を持ちながらも、慎重に対米姿勢に臨むべきである。
最後に、この宗教論は問題があるだろう。だが、植草さんがセーフティネットの構築を重要視していることは、世界にとっても普遍的なことだと思う。世界には虐げられるものが出ないようにし、虐げられたものが出た場合、救済されるシステムを構築する必要がある。その意味で、違った価値観を持つものを受け入れる多神教の世界観は重要視されるべきである。この文脈において、小沢氏の“問題発言”は強く擁護したい気分である。
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