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外交問題に妙手なし
(2009年11月6日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
急ぐ必要はありません、大統領
じっくりやればいいのだ、大統領。中傷は無視すればいい。急ぐことはない。性急さは、この時代の悩みの種だ。
バラク・オバマ氏が大統領選に勝利してから1年が経ち、大統領と敵対する人々だけでなく、大統領を称賛する人々も次第に気が急いてきた。オバマ大統領は、ホワイトハウスで過ごした時間の成果として、一体成し遂げたのか。高邁な言葉に見合う業績はどこにあるのか、と。
筆者の考えでは、オバマ大統領は相当忙しくしてきた。上首尾の経済対策をやり遂げ、金融システムを強化し、医療制度改革に向けた道のりを4分の3ほど前進し、気候変動に関する政策を書き換えた。それぞれのケースで著しい不完全さを指摘することはできるが、大統領がゴルフのハンディキャップに時間をかけ過ぎたと主張するのは難しい。
迅速な決断と、それ以上に早急な成果を求める声
迅速な決断や、それ以上に早急な成果を求める声は、外交の分野でとりわけ大きかった。ジョージ・ブッシュ前大統領は、イラクで不必要な戦争を始めたことで厳しく非難された。これに対してオバマ大統領の罪は、撃つ前に対話することを好むことでノーベル平和賞を受賞したことだった。
政治の右側にいる批評家たちにとっては、外交と関与は優柔不断と弱さの同義語になった。好かれたいと望むことは、弱いことだ。好かれている相手が無能な欧州諸国である場合は、なおのことである。オバマ大統領はけんかを仕掛けるべきだ――というのである。
ディック・チェイニー前副大統領は、この異世界の最も口やかましい住人だ。チェイニー氏は、ブッシュ前大統領の2期目の賢明な政策転換は自分の与り知らぬことだと言う。曰く、それ以前のまず武力ありきの戦略こそが米国の安全を守る方法だった。
イラクで血が流れることは気にするな。パキスタンでアルカイダが再結集していることは忘れろ。北朝鮮やイランの挑戦的態度は無視しろ、と。かくして米国は、友人をすべて失うほどの毅然とした態度を見せつけた。
オバマ大統領の外交政策に疑いを持っているのは、失地回復主義者のような右派だけに限らない。米国の国際的威信を回復するという考えを好む人たちの多くも、もう少し緊急性を意識した対応を取ってほしいと望んでいる。腹を固めろ、と彼らは囁く。アフガニスタンで何をやろうとしているのか決断しろ ――。
アフガニスタン戦争で決断を急ぐ愚
筆者には、この問題以上に、性急な判断を下すことが愚かしい結果を招く戦略的決定は考えられない。今夏の選挙の大混乱でハーミド・カルザイ大統領率いるアフガニスタン政権の正統性に大きな疑問符がつく前でさえ、オバマ大統領は悪い選択肢の中から選ぶしかない状況に置かれていた。
オバマ大統領は、証拠をしっかり品定めする前に、その中から1つをつかみ取るような馬鹿な真似をするだろうか?
筆者は先月、アフガニスタン駐留米軍司令官のスタンリー・マクリスタル大将が部隊の増派を求める事情を説明するのを聞いた。ロンドンの国際戦略研究所(IISS)で行われたマクリスタル大将のスピーチは、明快さと証拠に基づく分析のお手本のようなものだった。
同氏の結論――本格的な反政府活動鎮圧作戦を展開しない限り、米国とその同盟国はタリバンに負ける運命にある、という趣旨――は、反論の余地がないように見えた。
だが、マクリスタル司令官は部隊を増派しても勝利は確実ではないと考えていた。そして、同氏の主張を構成していた論理――永続的なアフガニスタン国家を建設するという何年もかかる息の長いコミットメントだけが唯一の成功の望みを与えている――は、今振り返えると、その主張の主要な弱点だったように思える。
実際、揺るぎない決意は生まれないかもしれない。有権者には、マクリスタル司令官にチャンスを与えるだけの長きにわたって多くの血と財貨を費やす用意はないかもしれない。国家建設が唯一の選択肢だとすれば、オバマ大統領はむしろ、出口戦略について考えるべきかもしれない。
だが、手を引くことは愉快なことのようにはとても見えない。パキスタンで起きた最近のテロ襲撃事件は、あの核武装国家に対する過激派の脅威を改めて思い出させるものだった。アフガニスタンでタリバンが勝利すれば、パキスタンのイスラム聖戦士にとって勝利の前触れにならないと誰が言えるだろうか。
アルカイダに対するもっと集中的な対テロ作戦はどうだろう。それは魅力的なものに聞こえる――ただし、膠着状態に陥った場合は、勝利への道を半分以上タリバンに明け渡すことになると認識するまでは。
アフガニスタン問題以外に目を向けても、オバマ大統領の対ロシア政策は、大統領が見返りなしに譲歩しているように見えるという不満が出ている。米国政府は、目に見える見返りがないまま、欧州でのミサイル防衛計画を中止した。イランの核開発計画に関しては、オバマ大統領が差し出した手は、イラン政府のさらなる言い逃れによって出迎えられた。
苛立ちの背景にある誤解
性急な成果を求めるこうした苛立ちの背景には、いくつかの基本的な誤解がある。1つは、外交政策は指導者に単純な選択肢を与えるという誤った思い込みだ。
アフガニスタンで戦って抵抗するか、さもなければ撤退する。イランと交渉するか、さもなければイランを爆撃する。同盟国を遠ざけるか、さもなければ頭を下げる。アラブ諸国の間で人気を得るために機嫌を取るか、さもなければイスラエルを支援する――。現実の選択はそれほど単純ではない。
もう1つの誤解は、必要なのは決定だけであり、問題は簡単に、あるいはすぐに解決できるという考え方だ。
これら2つの誤解が重なると、人は次のような結論に至るかもしれない。つまり、短期間の関与(と1度だけの1対1の会談)で米イラン関係の30年間の氷を解かすことができなかったから、イラン政府に強硬な姿勢で臨むべき時だ、という結論である。
しかし、ブッシュ政権は、米国は影響力を振りかざして何でも自分の思い通りにできるという考えを試し、破滅に追いやった。
米国の限界を認め、国際的な支援を求めるオバマ大統領
熟慮して決めるという性格を持つオバマ大統領の戦略は、居心地の悪い現実を受け入れている。現実の世界では、強制的な力と関与の二者択一という状況は滅多に見られず、時には、軍事力と交渉がどちらも機能しないことだってある、ということだ。
多くの問題――アフガニスタンもその1つではないかと筆者は考えている――は、ずっとはっきりしないままの状態が続かざるを得ない。それらは管理されなければならないのだ。
オバマ大統領が本当に異端であるのは、米国の力の限界を認めていることだ。米国は事態の成り行きを方向づける比類なき能力を今も維持しているが、それは不可欠であると同時に不十分な力であることを理解しているのである。
オバマ大統領が新たな世界秩序の構築について語るのは、歴史に記念碑を建てたいと思っているからではなく、米国の指導力を強化することを目指しているからだ。自国の安全保障に対するあらゆる難問に囲まれる中で、米国は、国際的な同意から生まれる支援と正統性を必要としている。
これらはどれを取っても、チェイニー氏のような、米国は好き勝手にできると思っている人々にとっては口当たりの良いものではない。勝つか負けるかという麻薬に酔ったニュースにうつつを抜かすメディアにとっても都合のいいものではない。
筆者としても、オバマ大統領にもう少し決断力を持ってほしいと思う時がある。イスラエル政府は国際的責務に従って行動すべきだと主張したり、ロシア帝国を取り戻そうとするモスクワの取り組みに対してもっと明確な境界線を引いたりといったことだ。
とはいえ、オバマ大統領という存在によって、米国には、物事をありのままに理解し、それらをどのように変えるのが最善なのかを注意深く考える指導者がいる。このことは重要な価値を持っている。筆者が先にも述べたように、じっくりやればいいのだ、大統領。
転載元
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/2094