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[テーマ]
◎日本郵政問題とコンプライアンス
○日本郵政株式会社にとって「社会的要請」とは何か
○「簡保の宿」問題の背景として考えられる企業コンプライアンス問題
○持ち株会社としての日本郵政株式会社の業務の本質
◎公明党が提出した政治資金規正法改正案について
○政治資金規正法の解釈の曖昧さ、実態との乖離と刑事罰に偏ったエンフォースメントの関係
○監督過失だけで政治団体の代表者を処罰することによる影響
【11月12日記者レク概要】
http://www.comp-c.co.jp/pdf/091112reku.pdf
2009.11.12
第76回定例記者レク概要
名城大学コンプライアンス研究センター 郷原信郎
ご存じのように、私は先月の23日付で総務省の顧問になって総務省の所管事項にいろいろとかかわっていますが、その中で1つ、社会的な関心が非常に高い事項が日本郵政の問題だと思います。顧問としての担当が特に決まっているわけではありませんから、その問題についても大臣などから相談を受ければ、私としてできる限りのアドバイスをすることになると思います。
この日本郵政の問題については、2週間くらい前に、「かんぽの宿」などの問題について特別調査チームが設置されるということが報道されましたが、私が知る限りでは、まだそれが具体的に設置されて動いているということはないように思います。むしろ、この問題について過去の事実を明らかにして処罰とか処分をするよりも、むしろ今後、新たな体制の下で日本郵政という会社がどうやっていくのか、どういう考え方で、どのように運営されていくのかに関しても、過去に起きた問題をきちんと検証することが必要だと思いますし、そういう観点から総務省としてどういう調査を行うのかがまず検討されているという段階ではないかと思います。
そういう面の基本的な考え方の整理・検討に関しては、この問題についてこれまで国会などで追及を行ってこられた亀井久興、保坂両議員のほか、私も企業、官庁など組織のコンプライアンスをこれまで自分の中心的な活動領域にしてきた人間として、今後、総務省としてこの問題にどう対応するのか、ということについての検討に関して、これまでの知識経験を活用して関わっていきたいと思っています。
そういう面で、今日は、私がこの問題についてコンプライアンスの観点からどう考えているのかをお話ししようと思います。
お配りしている図ですが、これはいつも官庁や企業、団体などでコンプライアンスに関する講演をするときにいつも使っている図です。私は、コンプライアンスは法令遵守ではなく社会的要請に応えること、適応することだと常日頃から強調してきました。そういう観点から、コンプライアンスを考えるにあたっては、この5つの要素をバランス良く実現することが重要なんだということを言ってきました。この5つの要素を総称してフルセット・コンプライアンスと呼んできました。
(*図は省略です:クマのプーさん)
まず第1に、その組織が社会のどのような要請に、どのように応えていくのかについての方針を明確化すること。第2に、その方針が実現できるような組織体制を整えること、構築すること。そして3番目に、そういう組織が実際に機能して、方針が実現できるように実際に動いていくこと。そういう社会の要請にセンシティブに応えていくこと、センシティブに反応していくこと。それによって方針に反する行為を予防することもでき、というのが3番目の要素。
4番目に、組織としての方針に反する行為が行われた事実が出てきたとか、その疑いがあるという問題が発生したときに、その問題をどう解決し、どうやって再発防止を図っていくのかという治療的コンプライアンス。そこでは、発生した問題に関連する事実を全面的に明らかにすることと、それによって真の原因を究明すること。そして、そういう問題が再発しないようにするための税制措置を講じることが必要です。
そして5番目に、そういう組織の活動をめぐる環境に問題はないのかということです。組織としていくら社会の要請に応えていく、活動していこうと思っても、それを取り巻く環境自体に問題があって、例えば、制度にゆがみがあるとか、あるいはそこでの活動が世の中から誤解されている、というような環境問題があるとなかなか組織が社会の要請に応えていくことができない。そういう場合に、環境問題をきちんと的確に認識するとともに、環境を少しでも是正するための努力をしていかなければいけない。これを5番目の要素、環境整備コンプライアンスと呼んでいます。
私はよく、この5つの要素から組織をめぐる問題を整理して考えると、必ず、それなりに問題の整理ができ、解決の道筋が見つかるということをこれまでも言ってきましたし、
今もそういう手法で官庁、企業などのさまざまなコンプライアンス問題の検討とか、それに対する対応にあたっています。
日本郵政問題は、ある意味で私の漠然とした印象ですが、私にとってもかつて経験したことがないほどの、極めて困難で、極めて大きなコンプライアンス問題の塊だという印象を持っていますが、それを、フルセットコンプライアンスの観点から考えてみたいと思います。
まず第1に、5つの要素の一番最初です。方針の明確化、日本郵政という組織がどういう社会の要請に、どう応えていくのかという出発点のところが非常に微妙で複雑で、なおかつあいまいだということです。
日本郵政という組織はもともとは官業でした。郵政事業庁というお役所で、郵便事業をやるとか、預金を受け入れるとか、保険事業を営むとか、そういうことが官業として行われ、コストということは現場ではあまり考えなくていい、決められた価格で、決められた条件の下にそういうサービスを提供していればいいという官業でした。それが、2004年に、日本郵政公社という、一応独立採算でやっていく組織になったかと思ったら、わすが2〜3年で、今度はまったくの民営会社、株式会社という組織になった。そういう大きな民営化の流れの中で、日本郵政という組織が果たすべき、応えるべき社会的要請というのは一体どういうものと考えられてきたのか。
私も、自分なりに考えてみて、いろいろ読んでみたりしましたが、いまだにあまりよく分かりません。すでに存在している全国津々浦々の郵便局や、大都市の一等地にある郵便局の建物とか、そういう物的資産と、そこで働いている、いまだに公務員意識が十分に抜けているかどうか分からないような日本郵政の役職員の人たち、そういうリソース、物的・人的リソースをどのように活用して、どのように社会の要請に応えていくのかということについての基本的な方針が明確化されていったのか私は疑問を持っています。2005年の総選挙のときの、当時の小泉首相の郵政民営化に賛成か反対かということだけで、根本的な議論がすべて封殺されて、何となく効率的にやることはいいことだろうと。今までの郵政事業が非効率だった、効率的にするためには民営化が不可欠だというところで思考が停止したまま、郵政民営化をめぐるいろいろな動きが続いてきたのではないかという気がします。
そういうなかで、これもまだ私の詰めた考えではありませんが、竹中氏がよく言っている、公然と言っている、日本郵政は300兆円近くもの金融資産を、お金を持っているから、そのお金をアメリカに投資すべきなんだと。これは、リーマンショックの半年も前から公然と言っておられて、リーマンショックの後も、それが間違いだったとは言われていないわけです。そういう竹中氏の見解は、確かに国際的な、グローバルな金融環境ということを考えたときには、どんどん各国間の投資が活発になっていかないと(いけないと)いう一般論は間違っていないのかもしれませんが、だからと言って、日本の国民の貴重な資産である日本郵政の300兆円にものぼる資産を、国際的な競争の激化、そしてアメリ
カの資金不足のために、無限定にどんどん提供することがすべて正しいという考え方は、どうなのでしょうか。言ってみれば、国際的な戦争がどんどん激しくなって、アメリカの兵隊さんが不足しているから日本人をどんどんアメリカに兵隊に送って命を失わせてもいい、という考え方に近いのではないかという印象を持っています。
私は決して、日本郵政をめぐる問題はそんな単純な問題ではないと。むしろ先ほど言ったような、日本郵政が保有する資産をどう活用して、そしてこれから先、日本の国にとって、日本の社会にとって、日本の国民にとって、日本郵政のリソースを使って大切にしていくものは何なのか。それはできるだけその資産を有効に活用してお金をたくさん稼ぐことなのか。日本の国土のバランスの取れた発展が、これまで全国津々浦々に郵便局があることによって維持されてきた面があることは否定できないだろうと思いますが、そういう面も残していくのかという、社会的要請に応えていくことに関するバランスが重要だと思います。コンプライアンスの出発点はまずここです。どのような社会的要請に、どのように組織が応えていくのか。ここをまず明確にする努力をしないことには、日本郵政問題を総務省として適切に対応していくことはできないように思います。
組織体制をどのようにしていくのかに関しても、あまりに雑な考え方がされてきたのではないかという気がしてなりません。ホールディングカンパニーとしての日本郵政株式会社の下に、4つの事業会社があって、その4つの事業会社の株式を日本郵政株式会社がすべて保有するという形態、これはよく民間会社にもあるようなホールディングカンパニーを中心とする企業組織ではありますが、ホールディングカンパニーという、持ち株会社という方法がうまくいくためには、それなりの必然性がなければいけないと思います。企業組織というのが一体的に維持されていて、企業組織で事業内容や目的も明確になっていて、そしてそれなりのガバナンス体制もできていて、それをホールディングカンパニー、持ち株会社と各事業会社に分割する。それによって、それまでとられてきた事業本部制を、ちょっと会社を分けた形にする、という形になるのが普通ですが、日本郵政の場合はそうではなく、そもそも、民営化が図られてきたプロセスが非常に日が浅いです。
2004年に郵政公社ができて、ようやく独立採算のような考え方でやろうと思った途端に、株式会社組織になっている。それと同時にホールディングカンパニー。こういう株式会社形態というのは、いまだかつてないし、そもそもそういう組織形態がうまくいくのか、もともとあまり合理性がないのではないかという気がします。ホールディングカンパニーがどういう機能を果たすのか。各事業会社に対してきちんとした管理を行うという機能を果たすのか、ということが重要なはずで、日本郵政の場合はそうじゃなくて、単に株を持っているだけで、この株は5年以内に売却するんだという話になっているわけです。そういう状況の中で、しかも、例外的にホールディングカンパニー自身が資産を保有して売却するという、不動産売却をその中でやったのが「かんぽの宿」の問題です。そこに、そもそも組織の構造のゆがみが大きな問題を発生させかねない余地があったと見ることができるのではないかと思います。
それから、組織の機能とか予防的コンプライアンスということからすると、これは、民営会社、民間の株式会社などに関しては、その会社の社員、従業員というのは、世の中のニーズに、社会の要請に応えていかなければ、自分たちは生き残っていけないというプレッシャーを常に受けながら仕事をしています。そういうところで発揮される組織の構成員、個人個人のセンシティビティーはもともと非常に大きいです。それがなかなかセンシティビティーが高まってこないのが、公的な組織の一般的な傾向です。そういう意味では、急激に民営化の方向に舵が切られた日本郵政という組織にとって、組織の構成員個人個人のセンシティビティーを高めていくということはまだまだ十分にできていないのではないかという気がしてならないです。それも、かんぽの宿問題などを生じさせたことの1つの背景にあるのかもしれません。
そして4番目に、そういう方針に照らして、問題のある行為が発生したときにどう対応するのかという治療的コンプライアンス問題があるわけですが。これがまさに今、直面しているかんぽの宿問題等について、明らかにおかしい。どう社会的要請をとらえるにせよ、やっぱりこれは問題がある、違法かどうかは別として、規則違反かどうかは別として問題があるという行為があったことは間違いない。それに対してどういう問題解決をして、今後こういう問題が起きないようにどうしていくのかが、まさに治療的コンプライアンスで、これが今、我々が顧問などで入って今後この問題について、どういう調査検討を行い、どうやって今後に生かしていくのかということを、今検討しているところだということです。
そして最後に環境整備コンプライアンスの問題ですが、これがまた非常に複雑でやっかいな問題だと思います。日本郵政という組織をめぐる環境が、この数年の間に大きく変化しているわけです。その環境要因には、アメリカとの関係などという国際的な要素もあれば、日本国内で郵便局あるいは簡易保険、そして郵便貯金、そういったものに対して世の中の人がどう考え、何を期待していくのかという、そういう環境もある。そして、競争関係があるわけです。それぞれの事業に関して、競争業者との間で、どういう競争関係になっていくのかという問題もある。そういう環境の変化をしっかり認識して、これからの日本郵政のあり方を考えないといけない。環境整備コンプライアンスの面からも非常に困難な問題が山積していると言うべきではないかと思います。
フルセットコンプライアンス的に、本当に大まかに整理してみるとこんなようなことが言えるのではないかと、私自身は個人的に思っています。何と言っても単純な民営会社、株式会社とは違う、単純な私企業とは違う、やはり特別の社会の要請を担う、公益的な性格を持った事業というのは、一般的にコンプライアンスが非常に難しい。単純にはいかない。むしろ、本当に単純な私企業の、単純な営利活動、営利事業の方が、自由競争と法令遵守、この2つの単純な組み合わせでやっていこうと思ってやっていって、そんなに大きな不都合がない場合が多いのですが、公益的事業は、常にさまざまな複数の抽象的な価値の実現を図っていかなければいけない。それはなかなか、法律にそのまま書き込めることではないです。組織の構成員みんなが抽象的な価値をしっかり認識して、それらを同時に
実現していくためには、今、直面している問題に対してどう根本的に考えていったらいいのかということを常に考えていかないと、コンプライアンスが絶対にうまくいかない。ある意味では、そういう宿命なんです。
総務省にとってのもう1つの大きな、今、取り組もうとしている問題の放送事業もそうです。放送事業は、さまざまな放送の真実性とか、中立性とかプライバシーの保護とか、放送内容に関していろいろな制約を受けるなかで、一応営利企業として利益も確保していかなければいけない。そして、なおかつ非常に大きな要請として、放送の自由、表現の自由という憲法で保障されている権利をしっかり確保していかなければいけない。いろいろな抽象的な価値の同時実現を求められているという意味で、公益的性格の強い事業です。だからこそいろいろな問題が発生するのです。
私も、そういう意味で公益的性格の強い事業のコンプライアンスの問題にはいろいろかかわってきました。今までの取り組みの中で非常に大きかったものは電力会社です。中国電力のアドバイザリーボードの委員長をこの2年半ぐらい務めてきて、今日たまたま午後、その最終の委員会が予定されていますが、この問題も3年前ですが、土用ダムというところでのデータ改ざん問題という不祥事が発生して、それを機に中国電力という会社のコンプライアンス問題を全面的に見直していこう、企業再生を図っていこうという考え方で始めた活動です。そういう面での公益的事業におけるコンプライアンスの活動が、今回の総務省にとっての大きなマターである日本郵政の問題の検討にも活用できるのではないかと思っています。若干長くなりましたが、1番目のテーマはこのくらいにします。
もう1つのテーマは、公明党が政治資金規正法の改正法を国会に提出したと報じられていました。現行法では会計責任者等が収支報告書の虚偽記入を行った場合に、今も政治資金規正法で代表者の選任および監督の責任が定められていて、選任および監督の両方について責任があると認められた場合には、代表者が罰金刑に処せられることになっています。どうも公明党が提出した法案は、選任および監督ではなく、監督責任だけでも代表者が処罰されるようにしようという案のようです。これはご記憶のことかと思いますが、今年の3月3日に当時の小沢民主党代表の秘書が逮捕されたあの事件です。大久保秘書の事件に関しても、一部の報道で、「選任および監督」というところが十分に認識されないで、あの事件で小沢氏自身が処罰され、議員を失職するということを報じたメディアもありました。それは実際のところあり得ない。選任および監督、この両方が要件となっている現行の政治資金規正法の下では、代表者が処罰されることは極めて考えにくいということを、私は3月8日の『サンデープロジェクト』だったと思いますが、指摘しました。
それ以降、政治資金規正法の代表者処罰規定はなかなか使えないということが明確に認識されたのではないかと思います。この前の、衆議院の予算委員会で、自民党の若手委員が鳩山首相を追及する中でも出ていましたが、総務大臣もそこのところは選任および監督の責任を問うもので、監督責任だけで処罰されるわけではないと答えていました。恐らく
そういう問題意識の下で、公明党がもっと代表者が処罰されるハードルを下げようと、監督責任を行っただけでも、代表者が処罰されて議員失職するようにしようという考え方で法案を提出したんだと思いますが、私は、現時点でこのような監督責任の強化の改正をすることは、絶対に反対です。もしそういう改正をしてしまうと、政治と検察の関係で大変な問題が起きてくると思います。
まず、必要なことは政治資金に関するルールを明確化することです。これは私も委員を務めた政治資金問題第三者委員会の報告書の中でも指摘しているように、政治資金規正法のルールの中身が非常に不明確で、例えば、小沢氏の秘書の問題などに関しても、政治資金収支報告書に寄付者として記載すべきなのが、その政治資金を実質的に拠出した者なのか、寄付という行為を外形的に行った者なのか。これすらはっきりしない。そして、あの委員会の中で総務省の担当の課長補佐に来てもらったのですが、それでも全然はっきりさせていただけない。どこに聞いても分からないという状況になっています。
まず、この状況を何とかしないと、ルールははっきりしないまま、後出しじゃんけんみたいに捜査機関が出てきて、自分なりの考え方に基づいて収支報告書に記載して提出していた人を突然逮捕できる、起訴できることになれば、そして、それによって、その影響が監督責任を通じて代表者本人にも及ぶことになれば、政治家は捜査機関がいかようにも失職させられることになりかねないわけです。その問題も含めて、今の政治資金規制法にはなかなかルールが宙に浮いてしまって、実態と乖離してしまっているところとか、ルールの中身がはっきりしないから、とりあえず提出しているけど、後から訂正せざるを得ないものとか、いろいろあります。そういう状況をまず改めないことには、監督責任による代表者の処罰は決して考えられない。そういうことを行うととんでもないことになるのではないかと懸念しています。今後、この法案がどういう取扱いになるか分かりませんが、私は政治資金規制法の検察での実務にもかかわってきた者として、そういう改正には強く反対したいと思います。
それから、放送事業者の問題。これは原口大臣が、最近はそういう表現を少し控えているようですが、日本版FCCを創設するということに関して検討の場を設けると明言されています。恐らく近々、そういう場が設けられることになると思いますし、恐らく私も以前から申し上げているような、最近、『コーポレートコンプライアンス』という我々の機関誌の19号を講談社から「メディアの倫理を問う」というテーマで出したばかりですが、こういう形で今までもこの問題を、コンプライアンスの研究検討の重要なテーマにしてきましたので、そういう検討の場には加わることになるのではないかと思います。
その前の『コーポレートコンプライアンス』の号は政治資金問題を取り上げていますので、ぜひお読みいただければと思います。私からは以上です。