★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK74 > 813.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
[希望のトポス]資本主義(市場経済)を放棄できぬ以上、いま民主党政権は何に最も傾注すべきか?
<注記0>これは下記◆で既出の内容だが、その“趣旨をより明確化する”ため改題のうえ再UPするもので、若干の加除修正と追加情報がある。
<注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20091114
◆2009-11-12 toxandoriaの日記/いま民主党が最優先すべきは雇用&中小企業に係るコペルニクス的革命の実行、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20091112
【画像】スーベニール2007/京都、晩秋の常寂光寺
[f:id:toxandoria:20091114220835j:image]
[f:id:toxandoria:20091114220836j:image:right]
[f:id:toxandoria:20091114220837j:image]
[f:id:toxandoria:20091114220838j:image:right]
[f:id:toxandoria:20091114220839j:image]
(プロローグ)
●かつて、ブッシュ=小泉時代の日米同盟の本音は、新自由主義思想(市場原理主義)とグローバリズムの普及による「世界総市場化」で千載一遇のビッグビジネス・チャンスが到来したという認識であった。
●そのため必要なのが“(1)市場原理主義型への構造改革、(2)民営化(市場的社会化)、(3)軍事ビジネス強化”の三方向であった。特に、(3)は「総市場化する世界」のリスク管理(米国軍事力による世界市場の管理)の役割を担うとともに、必要に応じマッチ・ポンプでビジネス・チャンスを創出することもできるはずであった。
●従って、その日米同盟の目標は、日本をアメリカの軍事活動の補完が可能で本物の戦争ができる“普通の国”にすることであり、そのための「日本国憲法・九条」の改変であった。
●しかも、その奥には更なる“日米同盟”(ブッシュ&小泉同盟)のファイナル・ターゲットが存在した。それは、日本国民にとって最も重要な「生存権」の制限(または廃止/憲法第25条の『国民の生存権、国の社会保障的義務』の制限(または廃止)ということであった。
●つまり、ブッシュのアメリカと小泉の日本では、冷戦終結で「世界の総市場化」というビッグチャンスが生まれたが、その巨大利益の先行的獲得を目指すグローバル企業にとって最も障害となるのが「生存権」だという認識が共有されていたのだ。
●渡辺 治教授(一橋大学社会学部)によれば、かつて日本経済新聞などのマスコミがハッキリとこのことを論説記事等で主張しており、自民党と日本経団連も同様の主旨を論じていたとされる(雑誌・法学セミナー、2005年4月号)。
●しかし、明らかに世界の環境は変化した。オバマの支持率と鳩山民主党政権の支持率の漸減傾向がメディアで報じられ始め、今の“日米同盟関係”は普天間基地問題などのアポリアを抱えてはいるものの、来日したオバマ大統領の14日の「日米新時代」を意識させる演説は、軍事面の関係だけでなく、核廃絶と人権・生存権重視の理念を明言していた。
・・・以下は、[2009-11-12 toxandoriaの日記/いま民主党が最優先すべきは雇用&中小企業に係るコペルニクス的革命の実行、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20091112]へのコメント&レスの転載・・・
もえおじ 2009/11/13 00:53
オバマの国民皆保険制導入プランに対する反対の大きな理由として、「弱者救済のために膨大な財政負担が発生する」とする批判があります。これは明らかに勝ち組の論理なのですが、必ずしも勝ち組といえない下流中間層の多くが批判に加わっている点に注目べきです。
その意味で、彼らの多くが(強者である富裕 層、医薬会社の)詐欺的な詭弁の論理に騙されているとは必ずしも言い切れないと考えます。実際には、曲りなりにも自立している下流中間層が、さらに自分 達よりも貧しい下流層に対して、「健康保険に入れないのは本人の責任である」とする視点を持っているのは明らかであり、その理由は、あくまで自己責任を重 視する国民性の反映であると捕らえるべきです。
米国の特徴は、一度も、国民が圧制で苦しんだり戦争で本国を蹂躙された歴史がなく、真の意 味で敗者になった経験を持たないことです。米国に敗者の論理を教えることは不可能であり、数百年間にわたって、国民が圧制で苦しみ、戦争でほぼ国土の全 域を蹂躙されてきた欧州とは比べようがありません。今回、もし国民皆保険制が導入されるのであれば、それは、米国において格差が受け入れがたい段階に達 しており、社会全体に与える悪影響が無視できない状態であると理解すべきです。
ひるがえって、日本においては、子育て支援などによる財政 負担の増大から、国債発行高が年間50兆円に達する状況にあります。(米国と比べて)これを批判する勢力が余りにも乏しいのは、逆に不健全であると考えるのは私だけでしょうか。民主党の福祉政策は「ばら撒き」であるとの批判があり、むしろ本当に困窮している社会保障・教育弱者、不況に苦しんでいる中小企業や失業者に焦点を絞った政策を行うべきです。また、国民が本当に望んでいるのは景気対策であることが、理解されていない印象があります。
toxandoria 2009/11/13 17:11
“もえおじ”さま、ありがとうございます。
支持率の逓減傾向が現れるとともに、“友愛”民主党の軸足が表層的なポピュリズムへ傾斜し始めたことが気になります。例えば、「事業仕分け」の手法にしても些かメディアと大衆の視覚を意識し過ぎではないかと思われます。
「事業仕分け」の視点は意義あるとしても、何やら、フランス革命のプロセスで起こった、あの余りにもおぞましい「ロベスピエールによる最高存在の祭典」のような空気が漂い始めています。⇒ 参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20091015
このように些かアノ“小泉型ポピュリズム”を意識しすぎる傾向こそが、その狙いとは裏腹に、結局は焦点が定まらぬバラマキ感覚の批判を呼ぶことに繋がっているようです。
つまり、ネオリベ型とは異なる「高品質の政府」を目指しつつ中小企業や失業者に思い切って傾注すべきところを、いまや“友愛”民主党が浮足立ったように見えることは、ご指摘のとおりです。
アメリカの“普通の人々”(=上・中間層)が、いわゆる“敗者経験を知らぬ大国意識に染まっていること”は理解できます。
が、それが“人権にかかわるダブルスタンダード&一国主義という教条感覚”まで舞い上がったことが問題だと思います。他国の人々の立場からすれば、それを米国が押しつけるのは“余計な御世話だ”という訳です。
そして、遂には、そのような意味での「米国のローカルな大国意識」を世界へ押しつけたことが、イスラム原理主義のテロ化への一つの条件を提供したことにも思いを馳せるべきと思っています。』(2009/11/13 07:07)
・・・・・以下、本論・・・・・
(自由についての誤解を操作する米国型民主主義への警戒の勧め)
いま<政権交代後>の鳩山民主党政権へ多くの国民が求めているのは、かつての「小泉=竹中詐欺劇場」のごとくに米国型の買弁資本主義(“WASP=勝者”型の歪んだ資本・市場支配体制)に媚びへつらい、その“米国流・弱者支配型の社会構造”をソックリ真似ることではなく、古びた“自民党・高級官僚・利権屋の癒着・談合による対米追従&隷属政治からの決別”ということである。
この原点を見失うならば、やがて鳩山総理が掲げる“友愛”なるコトバの“軽さと脇の甘さ”故の不整合・齟齬・不一致の部分だけがクローズアップされて異様に目立ち始め、国民期待の「民主党“友愛”政権」も自己矛盾の氷山に激しく突き当たり、遂には座礁・沈没する運命を歩むことになるであろう。
<注記>WASP(White Anglo‐Saxon Protestant)
・・・白人・アングロサクソン・プロテスタントの省略形。“草の根”の動きが加速して黒人のオバマを民主党系大統領に選んだ陰では、共和党と民主党右派に繋がるWASPが、相変わらず米国の政治・経済・金融を牛耳っている実態が指摘されている。
以前の記事で書いたことだが、ネオコン派の影響と強欲金融市場主義の一掃(チェンジ)を掲げ、それが国民から篤く支持され華々しいデビューを飾ったオバマ大統領であったが、残念ながらその政権中枢には国際金融マフィアとネオコン派の人物らがシッカリ食い込んでいることは周知のとおりだ。例えば、大統領首席補佐官はネオコン派のシオニストであるラーム・エマニュエルが、財務長官は国際金融マフィアの一人であるティモシー・ガードナー(鳩山政権による郵政改革見直しを厳しく批判している!)が、経済顧問は同じく金融マフィアのボス格のローレンス・ヘンリー・サマーズが就くという具合で、オバマ政権の中枢は殆どがネオコン派と国際金融マフィアが占めている。
また、ハワード・ジン著『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』(あすなろ書房)は、アメリカ建国史の恐るべき事実を教えてくれる。例えば、この本によると、人間の平等と自由を謳いフランス革命へも多大な影響を与えたとされる「アメリカ独立宣言(1776)」が、実はごく少数のWASPを中心とする富裕層の既得権を守るための宣言で、先住民のインディアンあるいは黒人・女性らはそれによって守られるべき対象とはされていなかったのだ。そして、更に驚くべきことは、この類の人種差別を当然視する風潮が現代アメリカのポピュリズムにも深く根づいているという現実があることだ。
<注記>ハワード・ジンの“支配された者の視点”で書かれたアメリカの歴史について
・・・Howard Zinn( 1922 - )は、“支配された者の視点”で書かれたアメリカの歴史である『民衆のアメリカ史』(A People's History of the United States: 1492 )の著者として知られる著名な歴史家・政治学者・社会評論家で、ボストン大学政治学科の名誉教授である。『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』は、この『民衆のアメリカ史』を若者向けにコンパクトに書き直したもの。
・・・ジンの著書は、例えば、ごく普通の日本人の目から見ると“なぜ国民皆保険制度のように一般国民の権利を十分に見据えたオバマの福祉・医療制度プランが過半以上のアメリカ人から激しい攻撃を受けることになるのか?”というような疑問へ大きなヒントを与えてくれる。つまり、“今のアメリカはなんだかヘンだ!?”という感じる我われへ一つの答えを与えてくれる。
このようなWASPの既得権を保守する立場からオバマのチェンジに対抗するため米国の超保守派の人々は、サラ・ペイリン(アメリカン・ポピュリズムの象徴たる余りにも軽薄な人物で共和党の次期大統領候補)らの広告塔を動員しつつ“民主党とその仲間たち(彼らによればオバマ一派は環境保護にうるさい共産主義者or社会主義者たちということになる・・・)がアメリカ人から自己防衛の銃を取り上げ私有財産を没収し『自由』思想を抑圧してアメリカを破壊しようとしている!”と激しい批判キャンペーンを繰り広げた。
このため、「オバマの“国民皆保険制”導入プランは共産主義者ないしは社会主義者の発想だ」と共和党や民間保険業界などから猛烈な批判攻勢を受ける始末となり、それにイラク戦争からアフガニスタンでの兵力増派へと軍事戦略をシフトする政策が身内である民主党支持者の中でも不評であることが追い打ちをかけて、米国内では急速にオバマ大統領からの支持離れが起こりつつある(関連参照、下記◆)。しかし、これは謂わばWASPが「差別と格差主義を潜ませた衆愚政治戦略」でアメリカン・ポピュリズムを扇動する悪しき伝統の現れである。
◆NHKクローズアップ現代(11/11)『オバマの試練〜“変革”の苦悩〜』、http://www.nhk.or.jp/gendai/
このような視点でアメリカ社会(WASPへ靡きやすいアメリカン・ポピュリズムが支配する社会)を概観すると、ハワード・ジンが示唆するとおり、ある“恐るべき事実”が見えてくる。それは、“自由原理主義的に自己決定することがアメリカ国民の主権”だという表面的に“麗しい民主的なコトバ”の陰に恐ろしいWASP(あるいは勝ち組)の牙が、恰もヤヌス神のもう一つの顔の如く隠れているということだ。
言い換えれば、アメリカ植民地が18世紀の“暴政国家”であった時代の英国から独立するときWASPが“自らの権利だけを独占的に守るため”に掲げた大義名分が現代アメリカではご都合主義的に対連邦政府へ向けられることに、過半の“善良で、余り十分に物事の根本について考えることが得意でない多くの一般大衆”がコロリと騙され続けているということだ。そして、これこそがアメリカン・ポピュリズムの大きな特徴であることを我われは理解すべきなのだ。
特に、1990年代以降のアメリカではレーガン政権で本格化した新自由主義政策の結果として「勝ち組」と「負け組」の格差が拡大するばかりとなっており、いささか古いデータであるが、2007年8月18日付・日本経済新は、記事「揺らぐ米国経済(下)」で“この10年間でアメリカの経済規模は7割近く拡大したが、多くの家庭の実感に近いとされる家計所得の中央値は1999年をピークに低迷してきた。また、アメリカでは上位1割の国民が全米の富の8割を握るまでの超格差社会へ入ってしまった。”と報じていた。
このため、同年7月中旬の下院金融委員会が主催した公聴会に出席した民主党のペロシ下院議長は“グローバリズムと市場原理主義の融合はアメリカの多くの人々にとって脅威だ”と危機感を表明し、アメリカ政府の貿易政策の転換(=貿易政策の戦略的停止/FTA(自由貿易協定)や新ラウンド交渉の停止)まで訴えていたのだ。つまり、ペロシ下院議長ら良識ある米国民から見れば、 “WASPが確立したとされるアメリカ伝統の国民主権”が、今やアメリカの勝ち組によって彼らが自己利益を図るための道具として使われていることは明白な事実なのだ。
また、アメリカにおける国民主権についての“このような意味で勝ち組のために都合よく操作された曲解”は「患者の権利章典」についてのアメリカ国民の平均的な受け止め方の中でも見られることだ。「患者の権利章典」は、1973年に「アメリカ病院協会」(AHA/http://www.historians.org/pubs/ahr.cfm)が宣言したものである(参照、http://www.arsvi.com/1900/73.htm)が、この章典は二本の柱(下の(1)、(2))で支えられている。
(1)インフォームド・コンセント(informed consent)・・・医師から正しい情報を得た(伝えられた)上での患者と医師の合意
(2)患者の自己決定・・・合意に当たって最重視されるのは患者側の意志による決定(具体的に言えば、個人の肉体の処分権と残りの人生の生き方は、あくまでも患者個人の決定に委ねるべきだということ)
この二つは、たしかに見方次第では人間の本性に則り、理にかなったもののように見えるが、そこには大きな陥穽が潜んでいる。あのランディアン・カルト流(アインランドの自由原理思想については、下記▼を参照乞う)の徹底した「冷酷な利己主義」に最高の価値を置くという立場からすれば、表面的あるいは一面的には「患者の自己決定」こそがベストの解のように思えることも確かではある。
▼“ランディアンカルト感染症“への警戒の勧め、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090825
しかし、よく考えればく『我われは何もすき好んで病気に罹っているのではない』ことが直ぐ分かるはずだ。実は、このことこそ「医聖」と呼ばれたヒポクラテスが、既に紀元前5世紀頃に指摘していた<医学と病気治療のあり方>についての真理に他ならない。つまり、このヒポクラテスの観点に立つならば<病気に罹ることに際限なく<冷酷な自己責任>の原則を当て嵌めるのは誤りだということになる訳だ。
一方、数多の戦乱による苦難と呻吟の歴史経験を噛みしめつつ(…しかも、その戦争・殺戮・紛争の歴史の多くは市場原理主義的な意味での“資本主義の暴走”が原因であった)、今や充実した福祉・労働環境社会を実現し、リスボン条約の批准達成を受けて、これからも戦争への抵抗の意志と社会的市場経済の理念を貫き通そうとするヨーロッパ(EU/欧州連合)では、アインランド流の「徹底した自己決定主義・自由原理主義」の立場は採っていない。
(関連参考情報)
資本主義の誤りに目覚めつつある世界(村野瀬玲奈の秘書課広報室)、http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1506.html
敢えて言うなら、ヨーロッパも「個人主義」で個人の権利を最大限に尊重はするが、そこでは“個々の人間の弱さについても十分に自覚されている”ということだ。具体的に言えば病気・障害・高齢化・事故などによる“人間の不可抗力的で、本人自身には責任がない弱さの部分”まで<自己決定すべき、あるいは自己決定に任せるべき>と考えるのは行き過ぎだという視点がヨーロッパには存在するのであり、そこでは殆どの国民層が、このような価値観を共有しているのだ。
このような意味で<弱者へも平等な権利を認めるという、深い人間観に支えられた眼差し>を伴う価値観はEUの「社会的市場経済」を支えている訳でもあり、野党やマスコミから“軽佻浮薄で意味不明”と揶揄されることもある我が鳩山総理の“友愛から何となく感じるアノ一抹の軽さ”と比較すれば、やはり遥かにその“重み”違うことが理解できよう。つまり、仮に鳩山首相の“友愛”なるものがEU的な意味合いを持つとしても、この両者から受ける決定的な印象の違いは、コペルニクス的革命にも匹敵する相当な意気込みでの<迫力ある意識革命の宣言>の有無がもたらしているのだ。
ともかくも、この部分についての大方の庶民層の決定的な意識の違いが「国民皆保険制度としての医療制度」を採るか、「アメリカ型ビジネスとしての民間医療保険制度」を採るかの分かれ道になるということだ。従って、このことは共和党・次期大統領候補のサラ・ペイリンらが主張する如き共産主義や社会主義とは全然関係がないことである。オバマは共産主義者だなどというデマゴークに体よく踊らされ、深く物事を考えない人々は、このようなWASP(あるいは勝ち組)が仕掛ける詐欺的な詭弁の論理にコロリと騙されやすいという訳だ。そして、我われ日本国民は、そのような意味での騙され易さをもたらす悪性ウイルスが、あの「小泉=竹中偽装劇場」を介して、この日本へ広く散布されてしまったことを想起しつつ十分に警戒すべきである。
(現実社会とヴァーチャル空間を支配する新たな大数法則への理解の勧め)
ところで、人間社会あるいはネットWebのヴァーチャル空間を大数観察すると、そこにはある種の冷厳なる科学的ルールが働いているという現実についても我われは気づくべきなのだ。それは「ベキ法則」の支配と呼ばれ、ウエブ・ページのリンクの仕方(例えば、ブログサイトのアクセス数の大きさ)が決して平等ではないことなどにその典型が現れている。従来の常識では、誰でもがいつでもどこでも参加できるユビキタス化したネットWebのヴァーチャル世界は、それこそ理想的な 「自由の空間」であるはずだった。しかし、現実にはごく少数のサイトにアクセスが集中しており、このようなサイトはノードと名付けられている。
つまり、アクセス数の大きさで考える限り、この「自由空間」で現実に起こっているのは、むしろ独占・寡占・集中のアナロジーで説明できるような現象なのだ。そして、近年の経済物理学の研究によって、この傾向を支えるのが「ベキ乗法則」(その詳細とグラフイメージは下記記事★1を参照/経済物理学については下記記事★2を参照)であることが分かってきた。
★1べき乗法則( Power Law)、http://gc.sfc.keio.ac.jp/class/2004_19872/slides/10/11.html
★2ブログtoxandoriaの日記『日本の“格差社会の拡大”を助長する“情報の非対象性”の問題』、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060315
実は、このように独占的・寡占的・集中的な法則に従う「べキ乗分布」はインターネットのヴァーチャル世界に限らず、多くの自然現象や社会現象に見られることが以前から経験的に知られていた。例えば、イタリアの経済学者・パレート(V.F.D Pareto/1848-1923)が社会観察で発見した所得分布などについての寡占的な経済現象「パレートの法則」がある。それは、当時「全体の2割程度の高額所得者が社会全体の所得の約8割を占めている」ことが観察されたことからパレートが提唱した法則である。
無論、投入パラメータの仮定や母集団の前提次第というところもあるが、この法則が当てはまる様々な現象が観察される。例えば、「品質管理の重点項目について、その最上位2品目を徹底改善すると全体の約8割で品質改善の効果が得られる」、「全体の2割を占める良質の顧客を徹底マークすると、全体の顧客の約8割で売上げ向上の効果が得られる」、「全学生の2割のレベルアップを図る工夫をすると、全体の8割程度で学生の学力水準が向上する」などである。
あるいは、いささかペシミスティックな例を挙げるならば、如何様に民主主義教育に力を入れても、本物の民主主義のあり方を理解し、それを自分の仕事や生き方へ反映させようとする意志を持つことができる、いわゆる民度の高い国民層は、たかだか全体の2〜3割程度しか存在し得ないというようなことである。
また、“企業の連鎖倒産・世界金融危機の拡大・感染症のパンデミック”などへの対処を目的とした近年の経済物理学研究の成果に「企業の“仕入れ←→販売ルート”」のリンク数(結びつき数)のカタチを100万社を対象に解析したものがあり、それによると“企業のリンク数がベキ分布”になっていることが分かった。つまり、ほとんどの企業は数社の企業としか取引していない一方で、何千社もの企業と取引してハブの役割を果たす、ごく少数企業の存在が確認されている(情報源:2009.11.5・日本経済新聞『大西立顕・キャノングローバル戦略研究所研究員/企業の評価=新たな視点で』)。
ここで更に興味深いのは、「企業のリンクのカタチ」に“スケールフリー性”も観察されたことである。簡単に言えば、それは分析企業数を「大⇒中⇒小」と如何様にスライドしても殆ど同じ構造のリンクのカタチが恰も“入れ子”のように観察されたということだ。もっとも、この“スケールフリー性”は、“親しい友人どうしのつながり、インターネットのノード的なつながり、たんぱく質の相互作用”など、現実とヴァーチャル世界に共通する性質であることが既に知られていた(情報源:同上)。
ともかくも、これらの結果から再認識されたことは、ハブ的な役割を担う少数の企業の役割が非常に重要であるとともに、あるスケール内のハブ企業が壊滅的な打撃を蒙っても、その被害は必ずしも即座に全体のスケールへ波及するとは限らないということである。一方、シミュレーション上で、ハブを担う2割程度の企業を除去したところ、突然、中核部分の結びつきが消滅して全企業の流れの滞りが観察されたが、これは恰も物理現象における相転移(凍結・液化・蒸発など)のようであった(情報源:同上)。
また、これは今後の更なる研究が必要とされる内容だが、もう一つ無視できない点がある。それは、企業の結びつき方のカタチによっては、必ずしも大企業だけが重要なハブの役割を果たしているとは限らぬと考えられることだ。そして、この現象にヒントを与えるのがグーグルの「ページランク機能」である。これは、ウエブページどうしのリンク構造を分析し、ページ自体の重要性とリンク先のページの重要性を加味してページを評価するアルゴリスムによる評価で、単純に結び付きの多さだけをランクするノード評価とは異なっている(情報源:同上)。
いずれにせよ、人間社会あるいはネットWebのヴァーチャル空間をこのような観点から大数観察すると、普段に我われが自覚している現実認識とは些か異なる、ほとんど目には見えない一定の科学的ルール(法則性)が我われ自身の行動、生き方、考え方などを支配していることが認識できる。これらの分野では未だ未解明のことが多いが、それは、例えば混迷を極めるアフガニスタンやイラク戦争のマグマとなっている貧困問題とタリバン&アルカイダなど非常に厄介なテロリスト集団らへの対処、各国における内需拡大直結型の中小企業支援&振興策の工夫、あるいはグローバル&ヴァーチャルWebネットワーク時代の世界金融の監視など、これまでの常識の延長で殆ど解決不能と思われるアポリアへの新たな展望とヒントを与えることが期待される。
(民主党が宣言すべき雇用&中小企業に係る“コペルニクス的革命”への取り組み)
これは上で見たことの繰り返しとなるが、「自律的な意味で民主主義意識を持つ国民層」の存在について、ややペシミスティックに「ベキ乗法則」の観点から社会全体を概観すると、我われは日本国民全体の中で高々2〜3割程度しか、これら特別に優れた意識の国民層を保持し得ないと思うべきなのだ。ただ、これらの特に民度が高い国民と、その他多くの一般国民との結びつき(リンク)にかかわる協力関係(アソシエーション)の工夫次第では、我が国全体の民度を底上げすることは十分可能と考えられる。
ところが、今回の<政権交代>前の長期「自民党政権」は、これら少数の「民度が高いまともな国民層」と真剣に対話する気などサラサラなく、むしろ「放置すれば隷属化・動物化・家畜化する可能性が高く、それ故に思いのまま操れそうなヘタレ・ショタレ層の国民」が増えることを密かに期待しつつ、アノ忌々しい「小泉=竹中B層戦略(過半以上〜7、8割に及ぶ善良な国民層を誑かして支持率アップを図る洗脳作戦)」の如き詐欺行為的なポピュリズム戦略とヤラセ・タウンミーティングなどの悪魔的手法に溺れたふしがある。
従って、<政権交代>を成し遂げたばかりの民主党にとって肝心なのは、長期「自民党政権」と同じく約8割を占める善良な国民層に向けて詐欺的なポピュリズム戦略を採ってはならぬということだ。つまり、優先度を意識して民主党が先ずやるべきことは、国民全体の2、3割を占める民度の高い国民向けに十分誠意を示しつつ、自らが掲げた<政権交代の大義>の根幹となる『雇用・中小企業』にかかわる自民党政策からの革新的チェンジ(コペルニクス的革命の内容/例えば、『小沢オピニョン』が掲げる“官・民とも管理職については徹底した自由競争を導入する一方で、非管理職の勤労者については終身雇用を原則とする”など)についての明快かつ論理的なアピールである。
この小沢一郎の視点は、“政治には弱い立場や少数の人々の視点が尊重されなければならない、それが私の友愛政治の原点だ、人の命を大切にし、国民の生活を守る政治の実現を目指す”とする鳩山首相の所信表明演説と矛盾するものではない。つまり、両者が語ったことは、自民党が目指したのが<“平等と効率のトレードオフ”を警戒する社会制度=個人の能力を過剰に無視すると悪平等が生まれることを警戒するネオリベラリズム好みの弱肉強食型の社会制度>であったとすれば、民主党が目指すのは<富の独占・偏在による格差がもたらす“不平等と社会全体の非効率のトレードオフ”への危機感を重視する社会制度=ヨーロッパ(EU)型の社会的市場経済のようなあり方>の方向への変革(チェンジ)であるということだ。
それこそが日本の民主党による“決定的チェンジ”の核心であり、「オランダ・モデル」の“ワッセナー合意”または「デンマーク・モデル」の“フレキシキュリティ”に匹敵する、非常に大きな変革的効果が期待できると思われる。(ワッセナー合意とフレキシキュリティについては、下記◆を参照乞う)。
◆2007-07-23toxandoriaの日記/ 2007年春、ドイツ旅行の印象[ローテンブルク編]、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070723
このことをより平易に表現するならば、大きな矛盾を抱えながらも我われが資本主義社会を放棄できない以上は、180°のコペルニクス的な発想転換を図るべきだということである。つまり、市場経済における「限界効用逓減の原則」のブレークスルーのため“小泉純一郎や竹中平蔵らが好んだマネタリズム”に基づく過剰投機で詐欺的・ポンジービジネス的な虚構への飛翔を煽るのではなく、まず人間(人権・生存権)と労働権(勤労者の権利)を最大限に尊重・重視し、一定の国家の役割行使による資本と市場への信用を確保して「雇用・福祉・医療環境の保全」に安堵できる大多数の国民の“嬉しさ、感動、生きがい”という「質的・人間的効用の増加」によって絶えず未来へ向けての消費拡大を刺激しつつ付加価値増加の加速度を持続的に引き上げる”という新たな市場メカニズムによる内需拡大政策への大転換ということである。そして、それはジェレミ・ベンサム(Jeremy Bentham/1748- 1832)が唱え、ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill/1806 - 1873)が「質」的な意味を深めた“最大多数へ最大幸福をもたらす効用増加”の21世紀的“読み直し”によるネオリベラリズム(新自由主義思想)の否定であり、<資本主義の新たなステージへの深化>ということにもなるのだ。
しかしながら、今の民主党の動向を見る限り、対米外交における自己主張の意志表明などについてはある程度評価できるものの、上で見てきたような意味で肝要な部分、つまり「最も重要な政権交代の核心部分」がグラつき揺らぎ始めており、<180°のコペルニクス的な発想転換>の迫力が消えつつあるようで心もとない限りだ。マニフェスト原理主義を掲げた全天候型の表層的ポピュリズムから、一刻も早く雇用・労働環境の整備と“少なくとも我が国のGDP・総産出額・就業者数の95%以上を占める”中小企業活性化に思い切って焦点を絞った<180°のコペルニクス的な発想転換>を民度の高い国民層向けに強く明快かつ論理的にアピールすべきである。
(関連参考情報)
内閣支持率、54.4%に低下=半数「政治主導と思わず」−時事世論調査、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091113-00000109-jij-pol
そして、その先に見据えるべきは、フランス型アソシエーション(社会からヒューマンエラーのファクターを極力減らすための政府・企業・国民相互のコミュニケーション深化政策)をモデルとした斬新な新社会政策の具体化であり、マスゴミに扇動されて「小泉劇場型のB層向けポピュリズムとマネタリズム(新自由主義=大企業&投機的金融を偏愛するトリクルダウン信仰)」へ流されることだけは断じて避けるべきである。もし、民主党が「この意味での禁じ手」へなびき始めるようなことがあれば、“その十分な意義については未だ不消化”ながらも過半以上の国民層が支持した「小沢・オピニョン&鳩山・友愛」(折角の政権交代の核心部分)と「米国におけるオバマブームの退潮傾向へリンクする形でネオリベ型政策へ回帰せざるを得なくなる現実」との間の矛盾が拡大し、必ずや民主党政権は暴政と瓦解への道をひた走ることになるであろう。
(関連参考記事)
民主党によるアンチ・ネオコン政策の象徴、「中小企業対策」への期待、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090911
続、米日における新たな暴政の予兆への警告(1/3)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20091102
続、米日における新たな暴政の予兆への警告(2/3)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20091107
フランスとアメリカのアソシエーションの違い、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060321
【エピローグ画像】
Celine Dion Pour que tu m'aimes encore
[http://www.youtube.com/watch?v=Qdjt0mWWH_M:movie]
Lara Fabian A Göttingen -Les annees bonheur
[http://www.youtube.com/watch?v=hPPF6I1qpYQ:movie]