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(回答先: Re: 恐るべき法案である。民族のアイデンティティが粉々に打ち砕かれる。 投稿者 仁王像 日時 2009 年 11 月 14 日 18:57:43)
『日本の曖昧力〜融合する文化が世界を動かす』呉善花/php新書‘09年 から抜粋
〔第一回 日本文化の基礎〕
<日本人の距離感を表す「察する」という文化>
・日本人は友人関係を熱くというよりは温かく、激しくというより静かに、末長く交換し続けて行こうとします。そうやって、柔らかで持続する関係を求めていきます。お互いにあまり重い負担を感じ合うことがないようにして、いつも気楽な気分で付き合える関係を生み出そうとするのです。
日本人の距離感のあり方を象徴するものとして、相手のことを「察する」という精神文化があります。
・「察する」という文化が生まれた背景には、日本の風土が大いに関係しています。
<恵まれた風土と地理的な条件>
・緯度としては、寒すぎない地帯にあり、適当に雨が降り湿気があって、しかも春夏春秋がはっきりしている地域は世界広しといえどもそうそうはありません。(また)日本は、一度も侵略されていません。
・日本列島は、国土の大半(七割)が山林地帯です。そこが大陸部での展開とは大きく異なるところです。中国大陸では、広大な平野部に大規模な灌漑工事を強力に推し進めていく必要性から…政治的・軍事的・経済的に強大な専制権力を必要としたのです。(そのため)強固でより普遍的な政治的・文化的統治イデオロギーを必要としました。そのイデオロギーを、やがて儒教が担うことになっていくのです。
<日本人の集団性を生んだ地形>
・大陸では高地、平野、沿岸地方が広大な地域にそれぞれ独立に広がり、互いに連絡の遠い距離を隔てて形づくられています。それに対して日本の国土では、高地、平野、沿岸地方の距離はきわめて近く密接であり、大陸の…地形の縮図ともいうべき景観が形成されています。
日本では、海と山と平地・水田が溶け合って風土がつくられ、山の神様も海の神様も農業の神様も、みな間近なところにありますから、それぞれの民の考え方が融合して文化がつくられていきました。
・日本の地勢も気候もきわめて複合的・融合的であるということは、曖昧であるということに通じるかと思います。日本の地勢や気候という風土は、対立を避けて調和していくことを重んじ、…お互いに「察する」という日本特有な文化の自然的な基礎になっているのです。
〔第二回 日本人はなぜ旅に出るのか〕
<日本語の「旅=たび」の語源>
・日本人は旅に出て旅館に泊まれば、必ずその土地の料理をいただいて帰ります。これはその地域の霊力をいただくという発想が根底にあるからです。タブ(賜ぶ)※ことの真意はそこにあったのでしょう。そして、温泉につかって「極楽、極楽…」という愉しみがある。極楽とは天国の意味ですね。
※旅人はみな同じ「タブ(賜ぶ)する人」(=食べ物などをいただく(人))。
村人にとって、異境の物品、芸能、技術を恵みとしてもたらしてくれる彼らは珍しいお客さんとして貴重な存在であり、その土地で収穫した食物をお礼として渡していました。これが客人接待といわれるものです。また、客人の方もその土地のものを食べることで、自分の生命が活性化されると信じていました。日本人の「旅の文化」の原型は、こうしてできあがっていったといってよいでしょう。
<聖地巡礼としての旅>
・中国にも朝鮮半島にも、こうした日本のような旅文化の発展はありませんでした。儒教国家の下では聖地を巡るような宗教文化が発展することなく、しかも人々の移動を厳しく制限する古代以来の王朝文化の歴史が、近代に到るまで続いたことが最大の原因だったのでしょう。
〔第三回 「美の大国日本」はいかにして生まれたか〕
<欧米、アジアと異なる日本人の美意識の基準>
・日本は何より「美の大国」であるということです。美の国として日本を見ていかないと、なぜ日本は技術大国、経済大国になったのかがわかりません。
日本人の美意識は世界の中でも特異な形をとっています…。欧米あるいは中国や朝鮮半島では、「どんな生き方が正しいか」という倫理観、道徳観が生き方の規範とされています。
しかし日本では「どんな生き方(死に方)が美しいか」という美醜の観念が生き方の規範になるのですね。そうした日本人が持つ特有の美意識は「もののあわれ」「わび・さび」といった言葉でよく表現されます。
日本以外のアジアの国々で共通する美の基準が「鮮やかな色彩」「きらきらとした輝き」「均一に整った美」「完成された不動の美」だとすれば、日本はまるで正反対です。日本人は「中間の色や曖昧な色」「鈍(にび)色に沈んだ美」「左右非対称(歪み)の美」「常に生成変化をやめない未完成の美」「地肌のままの美」こそ、美しいと感じます。
〔第四回 日本人はなぜ微妙な歪みを愛するのか〕
<やきものは魂で鑑賞する>
・日本のやきものに見られる微妙な「歪み」に美を感じてこよなく愛するのは、世界広しといえども日本人以外にいないのではないでしょうか。私はそこに日本文化の独特なあり方を強く感じます。
そして「歪み」の美学のベースには、実に1万2千年前の縄文式土器にあることは、ほとんど疑いの余地がありません。
・信楽焼の「自然釉(ゆう)」「火色」「焦げ」、萩焼の「七変化」「窯変」など、どれほど優れた技術でも意図的には出せない自然美、それはまさに縄文的な人間の自然な魂でしかつくれないもの…。だから日本のやきものは魂で鑑賞するしかないのです。
〔第五 日本の職人はなぜ自然の声に耳をすますのか〕
<自然と人間を一体と考える>
・日本のさまざまな伝統技術者に直接会ってわかったのは、職人さんたちはみな「自然生命の声」を聞く能力を持っていることです。
刀工にとって鉄は生き物、陶工にとって土は生き物、塗り師にとって漆は生き物であります。自然素材の側からの生きた働きに感応して腕をふるう‐そういう気持ちがあるのですね。
<頭でなく身体で刀を打つ>
〔第六回 世界で一番平等で安全な社会を築いた国はどこか〕
<物事の自然のあり方を母型とする>
・日本の「庭」は自然景観をそのまま表現しようとするものであり、自然景観を幾何学的に切り取って整理する西洋のガーデンとは起源が異なるのです。「茶の湯」は日本人の日常の立ち居振る舞いをいかに美しく表現するかというところに、「舞踏」は日本人の習慣的な身体動作の美的表現に、それぞれの様式の根を持っています。
<世界が見習うべき、日本文化の未来性>
〔第七回 なぜ日本人は穏やかなのか〕
・日本文化の基層にあるのは、豊かな恵みをもたらしてくれる自然界への信仰なのです。日本人が気配り上手であり、なるべく相手の立場に立って物事を考えようという穏やかな性格になったのも、豊かな自然に恵まれた南方海洋性アジアの世界を自分たちの故郷として、母なる世界として思慕し続けてきたことから培われるものなのではないでしょうか。(以下、略)
〔臭うぞう〜〕
ただ動物的に生をまっとうするなら、上のようなことに価値を見出す必要はない。だが霊長類の最高峰の「人」として生きていくには、欠くべからざるものだと思う。それぞれの民族・少数民族が個性的文化を相互に尊重すればよい。別に排他的になる必要もないし、交流もすればよい。それにより地球上に多様性が確保される。
それを、日本を実験場として混ぜこぜにしていったらどうなるのか。皆目見当がつかないが、おそらく民族としてまとまる拠り所を失い、「世界権力」のクーリーの価値しかもてない人間集団に変質して(させられて)いくのではないだろうか。空恐ろしいことである。
(明日から留守にするので、しばらくレスできない)