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Re: 【民主党擁護もしておきましょう】 政治が混迷し、国民生活が混乱しているというのは本当か?── (INSIDER
http://www.asyura2.com/09/senkyo74/msg/781.html
投稿者 アルカディア 日時 2009 年 11 月 14 日 13:19:31: jjR5cYzLvBZKE
 

(回答先: Re: 【民主党擁護もしておきましょう】 日銀総裁人事、打開へ── 投稿者 アルカディア 日時 2009 年 11 月 14 日 13:15:56)

http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2009/11/post_428.html
INSIDER No.435/08年4月14日


政治が混迷し、国民生活が混乱しているというのは本当か?──誰よりも迷走状態に陥っているのはマスコミだ!

 このところ新聞はじめマスコミの政治についての論調はほとんど常軌を逸していて、迷走というより錯乱の状態に陥っている。

 日銀総裁人事について、福田康夫首相は9日の党首討論で「民主党は結論が遅いですよ。日銀人事も正直言って翻弄された」と言い、マスコミもそれに調子を合わせて、民主党が武藤敏郎、田波耕治の両元大蔵(財務)事務次官を拒否した上、党内論議の末に小沢一郎代表の主張に従って渡辺博史=元財務省財務官まで拒否したことについて、「民主党内の混乱は目にあまった。これで政権を目指すなどと言えるのか」(12日付毎日、岩見隆夫)といった論調に終始した。

●民主党は混乱していない

 しかし私の見るところ、民主党内は別に混乱も何もしていない。確かに、最初の段階で政府が武藤総裁案を持ち出そうとした時に、小沢がそれを容認するかのことを言ったのは迷妄だったと言えるだろう。が、それについて鳩山由紀夫幹事長や仙谷由人=人事小委員長ら党内の大勢が反対し、2月末に政府・与党が予算案の強行採決の暴挙に出たこともあって、小沢も武藤拒否に転じたのは、まことに健全な民主的党内運営であって、混乱というようなものではない。昨秋に小沢が"大連立"に暴走しようとした時に全党挙げてそれを封じたのと同じパターンで、小沢の独断・暴走が利かなくなっている民主党の成熟をむしろ褒めるべきである。

 小沢は民主党が政権獲りに向かうための一種の政治的凶器であって、その取り扱いに民主党が習熟しつつあるということである。私が3月某日、菅直人に「9月代表選では小沢はもう取り替えた方がいいんじゃないの」と問うたのに対し、彼は即座に「小沢は何をするか分からないから代表にしておいた方がいいんだ」と答えた。小沢の効用とその限界を心得た上で、使える限りは担いでいくというのが民主党のほぼ全体を覆う醒めた合意となっていることが窺える。

 本誌No.432でも書いたように、鳩山は小沢の武藤容認論について3月16日のサンプロで「民主党が近々政権を獲ろうという時に、財務省をそこまで敵に回していいものか」という意味での政局的な判断の問題が悩ましかったことを率直に認めつつ、しかし、予算案の強行採決によってそれを吹っ切って、「こうなれば(財金分離=原則論の)純粋な立場に立ち戻るべきだ」という判断に小沢も含めて踏み切ったことを明らかにした。と同時に鳩山はこの時、渡辺博史=元財務官など財務事務次官出身者でない者であれば許容可能であるとの個人的見解も示した。

 福田康夫首相も伊吹文明幹事長も、その鳩山の言を当てにして、白川方明副総裁の総裁昇格と抱き合わせで渡辺の副総裁登用を提起し、結果的には渡辺を拒否されたことについて、「結論が遅い」「翻弄された」とボヤき、マスコミも民主党の「迷走」「混乱」と書き立てたのだが、これは、
(1)98年の金融監督庁発足と日銀法の全面改正の根本趣旨である財金分離の大原則論に立った上で、
(2)財務省出身者の内で事務次官出身者を日銀総裁に迎えるのはさすがに大原則に反するだろう、
(3)それ以外であれば大原則に反することにはならないのではないか、
(4)いやこの際は中途半端にしないで大原則を貫いた方がいいのではないか、
----という純粋に戦術的レベルの判断の問題であって、しかし福田はじめ政府・与党もマスコミもその大原則の意味を全く理解せずに「武藤のどこがいけないのか」「世界では財務省出身者が日銀総裁になる例はたくさんある」「財政と金融は連携しなくてはならない」といったそれこそ妄言を繰り返している中では、(4)の大原則優先の立場を採ることが必要だという結論に至ったのは、それはそれで妥当な1つの判断である。

●日銀の独立性は未確立

 本誌が繰り返し主張してきたように、明治以来100年余に及ぶ旧大蔵省による金融の護送船団的な行政的支配とその不可欠の一部である日銀に対する組織的支配とを解体することは、この国が成熟先進国としての次の100年に踏み入る上で避けて通ることの出来ない「改革」の中心課題である。

 財政と金融が連携するのは一般論として当たり前だし、諸外国で財務省出身者が中央銀行総裁に就くことも珍しいことではない。しかしそれは、中央銀行の独立性がすでに確立している成熟国での話で、まだ脱発展途上国を達成しておらず日銀の独立性確保の道筋が緒に着いたばかりの日本では、財金分離を曖昧にすることは「改革」を小泉以前のその発端のところまで逆戻りさせることを意味する。

 周知のように日銀は、ベルギー国立銀行をモデルにしたと言われる1882(明治15)年の日本銀行条例によって同年開業し、それから60年を経た戦時中の1942(昭和17)年に今度はヒットラー政権による独帝国銀行に対する支配をモデルにした旧「日本銀行法」によって完全に政府の下に組み敷かれた。内閣----ということは実質的に首相と蔵相が日銀総裁の任命権と解任権を持ち、日銀の業務のすべてにわたって監督し命令し立ち入り検査まで出来るという、独立性のドの字もない政府=旧大蔵省への日銀の戦時統制的な従属を改めようとする試みは何度かあったが、その度に旧大蔵省が決死の抵抗を組織して潰してきた。

 が、銀行の不良債権問題がすでに泥沼化の様相を呈していた97年に第1次橋本内閣の下で、新「日本銀行法」が成立、(1)「総裁、副総裁、審議委員は、衆参両議院の同意を得て内閣が任命する」いわゆる国会同意人事となり、(2)また「法に列挙された事由に該当する場合(破産手続開始の決定を受けた時、禁錮以上の刑に処せられた時など)を除き、在任中、その意に反して解任されることがない」ことが規定され、(3)さらに日銀の日本銀行の最高意思決定機関である「政策委員会」は総裁、2人の副総裁、6人の審議委員からなり、通貨および金融の調節その他の方針を決定するが、そこには政府から財務大臣と経済財政政策担当大臣が適宜出席することが出来るものの、議決権は持たないオブザーバー的な位置に止められた。

 この日銀法改正と、ほぼ同時に裏腹の関係で金融監督庁(2年後に金融庁に改組)が発足し、旧大蔵省は民間金融と日銀への支配権を剥奪され、その自慢の名称も「財務省」に変更させられたこととが相俟って、日本はようやく「中央銀行の独立性」確立への道に踏み出したのである。霞ヶ関に君臨する旧大蔵省の権力をこのように削ぐことは、単に金融の官僚支配からの解放というに留まらず、明治以来の発展途上国型の中央官僚支配を廃絶する「官から民へ」の大改革の決定的とも言うべき第一歩だったのであり、実際、このことがあって初めて、98年秋の「金融国会」での不良債権処理も可能になった。さらに小泉内閣に至って、半身を削がれた財務省に残された2つの機能の1つである郵貯を原資として財政投融資を行う機能を剥奪するために「郵政改革」が断行された。もう1つの機能は税を集めて省庁別予算として配分する機能だが、これもいずれ徹底的な地方分権によって税源の大半もまた地方に委譲される運命にある。このようにして旧大蔵省権力を完膚無きまでに解体していくことこそ「改革」の本筋であり、それに最後の抵抗を試みつつ、金融庁の人事に手を突っ込んだり、日銀支配を復活させようとしたりして悪あがきしているのが今の財務省であり、その象徴的人物が最後の大蔵事務次官であり最初の財務事務次官だった武藤なのである。

 福田がこんな人物を日銀総裁候補として提示すること自体、彼が「改革」について何も分かっていないどころか、まさに財務省のマインドコントロールにまんまと引っかかって、この国を発展途上国状態に引き戻すための走狗と成り下がっていることを示す。それをまた(本来あれほど「改革」好きであったはずの)マスコミが大いにバックアップして「武藤でどうしていけないんだ」というようなことを書きまくったのは、これまた財務省に操られた結果としか考えられない。

●ガソリン暫定税率問題も同じ

 ガソリンの暫定税率が期限切れで少なくとも一時値下げになる問題でも、福田政権とマスコミは完全に歩調を合わせて、「そんなことになれば国民生活は大混乱に陥る」と、野党と国民を脅迫しまくった。今では誰でも知っているように、実際には何の混乱も起こらず、せいぜいが給油所が持つ在庫の量によって数日間、値段がバラバラになったというだけのことである。年間2兆6000億円の財源が失われて特に地方が大変で、道路建設を凍結したところもあるとも言うが、仮に福田が望むように4月末に衆院で再議決して暫定税率を復活させれば、失われるのは1カ月分の2200億円だけで、こんなものは税収変動の誤差程度でしかなく、何もあわてて予算執行を止めなければならない事態ではありえない。

 これまた本誌が何度も指摘したことだが、暫定税率復活が本当に必要なのかどうかは、政府・与党が昨年12月に決定した「10年間59兆円」というドンブリ勘定が妥当なものであるどうかを精査して、不急不要の道路計画の排除もしくは次の10年計画への先送り、道路財源から国交省役人のヤミ給与や児童手当まで出していたり、職員の遊び道具の購入に充てていたりする乱脈の切開、天下り法人の廃止と水増し発注の監査などを進めていかなければならない。それで本当に必要な金額が確定して初めて、ではその財源をどうするかの議論になるはずで、それを抜きにして「大変だ」「大混乱だ」と騒ぎ立てるのは、何が何でも59兆円を死守せよという、今度は国交省と自民党道路族のマインドコントロールにマスコミが脳を侵されていることを意味する。

 福田首相が追い詰められて道路財源の一般財源化を言い出したのは、それ自体は歓迎すべきことである。が、問題は2つあって、1つは言い出したとたんに道路族による巻き返しが始まっていて、曖昧極まりない「政府・与党合意」だけに留まっていて自民党総務会による議決をしないことになった。これでは骨抜きになるのは避けられない。もう1つは、ここでもまた財務省が出てくるのだが、一般財源化はこのままでは単に国交省の独自財源を剥奪して財務省の管理に移すということしか意味しない。各省庁が持つ特別会計などの形の独自財源を召し上げることは財務省にとって宿願であり、福田はただその手助けをしているだけである。とすると、どこへ向かって一般財源化するかこそが問題で、財務省に向かってか、それとも地方自治体に向かってかという重大な選択が浮上する。道路財源を地方に委ねて、地方の判断で道路以外の目的にも使えるようにすれば、地方分権=旧大蔵省権力解体の方向に合致するが、福田にはそのような考えは全くない。

 このように、暫定税率と一般財源化をめぐる議論も倒錯的な混乱に陥っていて、その意味では大混乱しているのは1に福田はじめ政府・与党、2にマスコミで、民主党が非難されるべきだとすれば、そのような混乱ぶりを正しく整理して議論を前に進めるだけの力量を欠いているという点である。

 いずれにせよ福田政権は今月末、暫定税率の再議決を巡ってにっちもさっちもいかなくなる公算が大きい。そこで内閣総辞職という事態を何とか切り抜けたとしても、精一杯もったとしてサミットまでが限界で、それを花道に退陣。後は仕方なく麻生太郎で、彼の下で秋には総選挙、どこまで負けないで済むかという展開となるだろう。▲

 

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