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http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2009/11/post_428.html
民主党政権が元大蔵事務次官を日本郵政社長に就けたのを手始めに、次々に元官僚を主要ポストに登用し、10日には江利川毅=前厚労事務次官を人事院人事官に任命する国会同意人事の審議も行われた。これについてマスコミは批判的で、例えば朝日新聞11日付は第2面の半分を費やして「『脱官僚』看板倒れ/人事官にも官僚OB起用/天下りの定義翻す/郵政人事以降ずるずる」と、侮蔑的とさえ言える表現を連ねて非難した。が、天下りに関して定義不明のまま迷走しているのは、むしろマスコミのほうである。
●脱官僚と反官僚は違う
まず第1に、初歩的な問題として、民主党が言っているのは「脱官僚体制」であって「反官僚体制」ではないし、ましてや官僚OB個々人の人格・能力の否定でもない。
「脱官僚体制」というのは統治システムの根本に関わることで、本論説でも繰り返し述べてきたように、明治憲法以来120年間、天皇の権威を背景にその直参の薩長藩閥から主に任命される首相・内閣とその直下の官僚体制の縦一線で国家を経営し、国会はあるにはあるが太陽に対する月のような関係であって、実質的な薩長・官僚権力の周りをグルグル回って、時にいちゃもんをつけ時に擦り寄っておこぼれを頂戴するような存在でしかなかった。もちろん過去に立派な政治家もいるけれども制度の本質としてそういうことだったということである。
プロイセンのビスマルク体制をモデルとしたこのシステムは、発展途上国=日本が欧米列強による干渉や侵略を防ぎつつ、急速に産業国家として成り上がって「追いつき追い越せ」を達成するための官僚社会主義的な総動員体制としてはまことに有効であったとはいうものの、1980年に前後してこの国が米国に次ぐ世界第2の成熟経済大国の座を得たからには、内発的にそのシステムを解除して、先進国と呼ばれるに相応しく、国民の投票によって選ばれた「国権の最高機関」(憲法第41条)たる国会が国策を決定し、その国会から行政部のトップに進駐する首相・内閣が、「行政権は内閣に属する」(第65条)との規定に忠実に従って官僚体制を支配するよう、抜本的に変革されなければならなかった。
蛇足。今「内発的に」と言ったが、日本人が自らこのシステム改革を成し遂げられなかったために、それに付け込む形で米国から主として経済面から様々な「対日要求」が突きつけられた。そのため、後に小泉=竹中が(部分的・擬似的にではあったが)「改革」に取り組もうとした時に、主として守旧派から「米国に国を売り渡すのか」といったハゲタカ論型の反発が生まれた。しかしそれは倒錯で、米国から言われようと言われまいと、日本は改革に踏み出さねばならなかった。それが政権交代によって今ようやく始まったのである。
が、自民党政権は、その本質において、過去120年の官僚主導体制の随伴者であって、この抜本的改革を担うことは出来なかった。「小泉改革」とは何であったかと言えば、本来は民主党の主張であった「脱官僚体制」を部分的に簒奪して、「自民党をブッ壊せ」という過激なスローガンの下、野党ブリッ子をすることで実は自民党の延命を図るという、ほとんど最後の手段というか、禁じ手に手を染めて自民党政権の存続を図ろうとする幻惑的なマジックであったわけで、その成果は自ずと限られていた。そこで、脱官僚体制を全面的に達成する仕事は民主党政権に委ねられることになった。
すでに述べてきたように、この政権は、取り敢えず過去の中央集権体制が存続している下で「脱官僚」のせめぎ合いを始めているものの、その成果は自ずと限定されていて、むしろこの体制下での脱官僚作業では出来ることと出来ないことがあることを浮き彫りにさせながら3年間ほどを戦って、「だから中央集権体制そのものを解体して地域主権国家体制に転換する必要があるのだ」と言って4年後の総選挙でそれへの国民的合意を求めることになるだろう。
この「脱官僚体制」作業は、「反官僚(体制・個人)」になってしまったのではダイナミックな展開が難しい。逆に官僚体制の内部やOBたちの間に守旧派と改革派の亀裂を拡大して味方となる改革派を増やして行くことこそが成功の鍵である。菅直人が橋本内閣の厚労相になったとたんに、「ない」ということになっていたエイズ感染関係の資料が出てきたのは、官僚の中にこのような隠蔽工作を不快に思っている正義感の持ち主がいて、それを菅が目敏く見いだしたたからで、物事はそのように進めなければならない。
坂本竜馬は倒幕の最後の段階で「維新革命に一滴の血も流すなと言い、鳥羽伏見の戦いの勃発を極力避けようとした。『幕府みなごろし』を腹中に入れつつ、一滴の血を流さずすべてを生かして新国家に参加させようとしたのだろう」(司馬遼太郎『竜馬が行く』第4巻)。皆殺しにするのは幕藩体制であって、佐幕派個々人ではない。そこが、人を殺せば世の中が変わると思って刀を振り回すばかりだった並みの志士たちと竜馬の違うところで、それがつまりはただのテロリストと真の革命家との違いである。
●官僚OB活用と天下りは違う
第2に、官僚OBを適材適所で登用することと、天下りを容認することとは違う。天下りは、役所の人事・報酬制度に組み込まれた強固なシステムであって、次官経験者ならこの財団の理事長、次官と同期の局長経験者ならこの財団の専務かこの企業の常務、技官ならここ、ノンキャリならここかあそこという具合に、長年の慣行によって「指定席」が確保され、さらにそこから先の「渡り先」までがコースになっていて、それを差配するのは各省庁総務課の重要業務の1つである。しかもそうやって送り出された天下りOBを食わせ、また後々の世代のために指定席を永続的に確保するために、年々なにがしかの予算の割り振りが付いて回る。このシステムのために、無用な財団法人や独立行政法人の存続とそれへの無駄な予算配分が必要になるわけで、破砕しなければいけないのはこのシステムである。
これまた以前に書いたことだが、例えば例の八ッ場ダムの場合、04年時点で、関連する7つの財団・社団に25人、37の工事落札企業に52人、57の随意契約企業に99人、合計176人の国交省OBが天下りしている。もちろんこれらの公益法人や企業は八ッ場ダムだけで成り立っているわけではないけれども、一度天下りが受け入れられれば、この人たちを食わせ後々までそれを指定席として確保するために、何が何でも事業が継続されて予算が付けられて、その一部が団体・企業に流れてこの人たちを食わせる一助となり続ける。しかもこの人数は04年時点で切った場合の断面であり、これが57年間も継続されてこれまでに3200億円が費消されたにもかかわらずまだダム本体は工事も始まっていないということになると、恐らくは通算で1000人を超える国交省天下りがその何分の一かを食い物にしてきたと推測される。話は逆さまで、事業が本当に必要なのかどうかはそっちのけで、事業が始まって天下り先が確保されれば、その利権維持のために事業は継続しなければならないことになるのである。
このようなシステムを壊すという問題と、個々の官僚OBをどこのポストに登用するかどうかというのは、全く次元の違うことで、そんなことを言えば、官僚OBが政治家になることも天下りということになってしまう。官僚は、国民の立場からすれば、基本的には、公費を使って育て上げた優秀な人材の宝庫であって、それを政治家なり政府の要職なりに起用することは公益にかなうことである。
●日銀総裁人事はどうだったのか
第3に、そこで上述の朝日記事を含めマスコミが盛んに言うのは、08年3月に福田政権が日銀総裁候補として武藤敏郎=元財務次官を国会同意人事として持ち出した時に、野党=民主党は「官僚OBだから」と言って反対し、結果的に総裁の座が3週間も空白となったではないか、ということである。が、これは当時も今もマスコミが全く問題の本質を理解せずに言い散らしているタワゴトにすぎない。
武藤が日銀総裁に相応しいかどうかは、彼が官僚OBであるかどうかの問題ではなく、彼自身の過去の経歴と資質に関わることであって、絶対に同意出来ることではなかった。
当時、INSIDERはこれについて詳しく論じていたので、以下に再録する。(ホローアップにて投稿します)
私は高野氏支持者ではないですが脱官僚については支持しますね正論と思います