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http://eisaku-sato.jp/blg/2009/11/000025.html
2009年11月12日
経産省からの保安院の分離とプルサーマル推進は全く別の問題である【2】
承前。
原子力安全・保安院が経産省から分離されることと、プルサーマルを推進することが何やら関連しているかのような論は全く焦点がずれていると言わざるを得ない。
日本の政策決定は一度決定着手したらブルドーザーのように前進するのみで、何があっても後に戻る仕組みがない。私は、その経路依存の体制が問題であることを指摘してきた。
民主党新政権は八ッ場ダムを始めとして、140余のダム建設の意味と実効性・必要性、コストを再評価し見直しを進めている。これは日本の仕組みを変える革命的な作業である。
プルサーマルの問題は核燃料サイクルという、日本の原子力政策の方向性の問題であり、ダム・公共工事同様、国民の生命と負担、環境と将来という観点からはむしろダム以上に立ち止まって議論し、見直していく必要がある。
これから十年後には現在稼働中の原子炉も次々と寿命を迎える。
廃炉になった原子力発電所、使用済核燃料も含め、高レベル放射性廃棄物の最終処分の問題はまだ解決していない。トイレがない場所で、それを知りながら延々と飲み食いを続けているようなものである。
プルサーマル検討の際、福島県に来た資源エネルギー庁長官が初めて法律を作ることを表明した。最終処分に関する法律は出来たものの、実際にその「場所」の問題を本気で考える者はおらず、一時的に青森県に押しつけたまま問題は先延ばしにされている。
また日本では「原子炉施設には特定の設計寿命は設定して」いない。一方で、各所で施設の老朽化は指摘されている。つまり、原子炉が駄目になってから、その後のことを考えるとでもいうのだろうか。これまた、問題と議論を先送りにする非科学的で極めて無責任な態度である。
日本が健全に進んでいくことを考えた時、問題の解決を先送りすることで費用や危険性が雪だるまのように膨らんでいく核燃料サイクル問題こそ今、早急に解決しなければならない。
再処理は、使用済み核燃料をたらいまわしにすることで、最終処分場の不在を一時的に隠す詭弁である。しかも容易に核兵器転用可能なプルトニウムを生み出す。核不拡散の観点からも特に日本はより敏感であるべきであろう。
最終処分法の確立と処分場の確保がされるなら、プルサーマルなど積極的に推進する必要はない。ほぼ世界的には捨てられた高速増殖炉の夢を追って生成されたプルトニウムの言い訳としては、あまりにも国民にかかる負担は大きい。
費用便益で考えても安全性を考えても、莫大な費用のかかるプルサーマルではなく、通常の原子力発電所をワンススルーで運用したほうがよっぽどいい。原子力発電は枯れた技術であり、プルサーマルはそうではない。
最近は、CO2の削減にあたっての原子力発電の有効性がしきりに言われている。百歩、いや千歩譲ってそれを受け入れたとしても、プルサーマルを敢えて行うことは全く関連がない。
先進国で唯一、核燃料サイクル路線の推進を模索していた米国は、先ごろオバマ大統領がブッシュ政権下の再処理施設建設計画を中止とし、核燃料サイクル路線の大幅な見直しを行った。
高速増殖炉、プルトニウム、枯渇なく生み出されるエネルギー、こういった概念、夢、政策はもはや20年前のものである。
拙著「知事抹殺」でも書いたが、フランスが16年、ドイツが20年かけ国民的議論を経て決定している原子力政策を、たった2、3回の会議で決定してしまっている − 原子力委員会長期計画策定会議部会で、私はそう申しあげた。重大事に拙速な決定を迷わず行えることに対して、「あなた方は誰かに刷り込まれている」と指摘したら、タレントの住田弁護士は「失礼ね、失礼ね」と叫び、憤慨していた。
私は辞職の3ヶ月前、欧州地方自治体会議に招かれた。テーマの一つ、チェルノブイリの20周年という議題にあたり、国家を超えて地方自治体関係者達が自分の問題として真剣に討議している姿を目の当たりにした。日本なら「お国の問題」として地方は触れない事柄だ。
欧州の人々はエネルギー政策を民主主義の仕組みの中で論議している。自分たちの命と安全がかかっているからである。
国民的議論を経て、問題の所在を真剣に見つめた結果、しかし国際公約を守るため、高速増殖炉の夢の残滓として出来てしまったプルトニウムを消費し尽くすために、数年間の期限付きでプルサーマルを行う、という選択肢も当然あってよい。
その決定は自分が担当している間の2〜3年だけ、問題を顕在化させず先送りにすることに腐心する官僚・役所に任せるのではなく、我々の手で考え、結論を出すべき話だ。我々の未来なのだから。
既にプルサーマルは始動している。新政権には、核燃料再処理、サイクルの問題を世界的な観点から見直し、ダム同様、国民的議論を尽くしてくれることを切に願う。
一つの記事を2回に分けた体裁をとったが、読んでいただければわかる通り、議論としての繋がりは薄い。
前回言及した福島民報紙の見出しを引用する。
「保安院の在り方 平行線
『プルサーマル』の焦点に」
「保安院の在り方」が「プルサーマルの焦点」にはなり得ないことは明白である。
原子力発電にかかる安全管理の問題と核燃料サイクルの問題、次元の違う2つの問題を混同して、どちらかを一方の前提条件ととらえることは大きなミスリードである。そのミスリードがなぜ生じるのか、そこを掘り下げることこそがジャーナリズムではないだろうか。
佐藤栄佐久
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