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11月12日7時56分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091112-00000074-san-pol
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の移設問題で、意思統一ができない鳩山民主党政権。ぶれる閣僚らの発言を揺さぶるように、8日には沖縄県内で「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」(主催・同実行委員会)が開かれるなど、県内世論の大勢は日米合意に基づくキャンプ・シュワブ沿岸部(同県名護市辺野古地区)への移転反対に傾きつつある。ところが、一番の当事者である辺野古地区を歩いてみると、全く違う反応が返ってきた。現場の声をリポートする。
(那覇支局 宮本雅史)
◆アップルタウン
那覇から北へ約60キロ。
県道329号線から辺野古地区に入ると、「WELCOME APPLETOWN」と書かれた看板が目に飛び込んでくる。
「キャンプ・シュワブ」開設から間もない昭和33(1958)年、丘陵地帯だったこの地域を民政府土地課長のアップル中佐が中心となって開発したことから、米軍と辺野古住民との友好の証しとして「アップルタウン」と呼ばれるようになった。
街は区画整理されていて、15分ほどで一周できる。スナックやクラブなどの看板が目につくが、人けがない。飲食店が入っているとみられるビルも英語のロゴが消えかかり、外壁が崩れ、朽ちている。
53年前に移り住んだという金城秀夫さん(59)=仮名、自営業=は、米軍統治時代からの辺野古を身近に見てきた。
「ベトナム戦争(1965〜75年)のころは、スナックやクラブなどの飲食店が60軒近く並ぶ米兵相手の繁華街で、ホステスも1千人は超していた。当時の辺野古の人口は1500人ぐらいだったから、合わせると3千人近い人が住んでいたことになる」
◆「1晩で3千ドル」
金城さんは、当時を思いだすように話し始めた。
「街全体が活気に満ちていた。どの店にもホステスが7、8人はいて、1日の稼ぎも3千ドルはあった。当時、私の家は25坪の瓦ぶきの一軒家だったが、2千ドルで建てられた。それが1晩で3千ドルのあがり。25セントあれば、子供とバスで名護(市中心部)まで行き、そばを食べて帰れた時代に、ですよ」
ベトナム戦争が終わると同時に、米兵の数も減って、街は急激に寂れていった。
「辺野古はこれといった産業がない。米軍基地相手の商売しかない。基地と一緒に育ったわれわれは、トラブルもあったが、同時に大変な恩恵を受けながら生きてきた」
◇
■反対派、多くは県外から
◆米軍が守った「環境」
辺野古の街から浜辺に下りると、有刺鉄線が張られている。その向こう側が海兵隊の訓練基地だ。有刺鉄線には、普天間飛行場移設反対を訴える紙が幾重にも巻かれている。他県の団体の名前が多い。
「反対している人の大半は、県外の人。辺野古の住民で反対しているのは指で数えられるぐらい」
反対派はサンゴの絶滅など、環境問題を反対理由のひとつに挙げる。だが、金城さんは続けてこう言う。
「米軍のおかげでサンゴが守られてきたともいえる。民間企業が造成したり開墾していたりしていたら赤土が海に流れ出し、サンゴや海藻類は絶滅していたでしょう。私有地がゴルフ場に造成され、流れ出した赤土でサンゴが絶滅したところはたくさんある。米軍が管理していたからサンゴは守られてきたんです」
そしてこう付け加えた。
「滑走路ができると被害を受けるかもしれないが、あくまでも一時的。ジュゴンが絶滅するという人もいるがそれも一時的な話だ。工事の後は反対にきれいになると思う」
復帰前、10年間、キャンプ・シュワブでガードマンをしていた比嘉武さん(61)=仮名=も、「基地と関係ないところの住民が迷惑料として補償を求めているケースもある。8日の反対集会も辺野古の住民で参加したのは数人いるかどうかですよ」。
◆基地依存経済
沖縄県では、基地内で働く日本人従業員の給与や土地を提供する地主の軍用地料、基地に所属する軍人や軍属とその家族らの消費活動などが大きな収入源で、その額は2115億円(平成18年)にも上っている。なかでも不労所得の軍用地料は700億円を超す。
名護市も例外ではない。キャンプ・シュワブで年間約25億円、辺野古弾薬庫で約1億8千万円が、自治体や地主に支払われている。インタビューに応じた比嘉さんは年間83万円、タクシー運転手の伊波義男さん(58)=仮名=は70万円を得ている。住民の中には、軍用地を貸すだけで年間1千万円前後の収入を得る人もいるという。
今回予定されている滑走路は海上のため、この軍用地料は発生しないが、辺野古への移転について、住民はどう考えているのか。
金城さんも比嘉さんも、「滑走路ができると米兵が増えるから、飲食店なども増え、ベトナム戦争のころより活気を帯びるのは確実だ。われわれは、米軍基地とともに育ち、生活してきたから、普天間飛行場が移ってきても全く違和感はない」と歓迎する。
もちろん、不安がないわけではない。伊波さんは、「騒音対策は着工時に決めてほしい。後々、騒音問題が起きるとやっかいだから」と話す。
金城さんも、自身は賛成だが、住民投票をすれば賛成派と反対派は半々だとして、こう注文をつける。
「辺野古に移設するのは決まったことだから、それでいい。ただ、一つお願いしたいのは、米軍基地での仕事。移設後は、辺野古の若者が優先して働けるように、政府に斡旋(あっせん)してほしい。はっきり賛成と言わない住民も、本音は活気が戻ればと考えている。政府が移設後の対応策を確約さえすれば100%近い住民は賛成する」
独自の産業がない辺野古住民は、移設を生活するための手段ととらえ、早期決着を望んでいるのだ。
◆一刻も早い決断を
鳩山由紀夫首相は先の衆院選で、辺野古への移設反対を訴えた民主党が大勝したことをとらえ、移設反対が沖縄県民の総意だと主張している。だが、民主党の勝利は自民党の敵失であって、移設問題は直接関係なかったとみる県政関係者が多い。首相が来年1月の名護市長選の結果を重視する姿勢にも反発が強い。
ある長老の地方議員は、「鳩山政権は選挙の時、国外、県外を強調しておきながら、その意思を明確にしないばかりか、名護市長選で再度、県民に踏み絵を踏まそうとしている。早く補償問題などに話を進めるべきだ。県民大会は鳩山政権に決断を迫るのが目的だった」と本音を明かした。
国防上の理由からも早期決着を求める声がある。
元保守系国会議員は「日米同盟は辺野古移設を前提に成立している。中国だけでなく、朝鮮半島やインド洋対策で、沖縄の米軍基地は今まで以上に重要になっている。民主党政権は、東アジアにおける沖縄の役割は何かを明確にすべきだ」と警告する。
(那覇支局 宮本雅史)