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小柄な一学年の女子大生が行方不明となっていた事に気がかりで注目をしていたのだが、
「いきなりの斬首・遺棄」という事になってしまった。
展開に飛躍がありすぎる。
性犯罪の疑いの有無を考える前に「いきなりの斬首」とは余りにも不自然ではないか。
行方不明になっていたのが女子大生であることから、一応は今までに日本国内で起きていた女児殺害事件(千葉県・栃木県)や女子高生殺害事件(愛知県・京都府)の性格とは同一ではないのでは?と考えてきてはいた。
これ等の事件は、被害者達を「生贄」として捧げる事を目指したものと考えられる。
従って当然の事ながら「犯人達」は上がらない。祈念を行うプロ集団による仕業であれば、権力機構にもそれへの協力者達は配置されている訳であり、捜査への妨害も行われるだろう。
しかし、女子大生ではあっても一学年のしかも小柄な清潔な印象の人であったらしい。
そうであれば被害者になりうる条件は備えている。
さらに彼女は英語が得意であったらしく、米国でのホームステイの経験がある。
さらに国際的な援助活動にも関心があったらしい。
このような彼女は犯人グループ又はその遠い協力者達と知り合っていた可能性があり、彼女は被害者(即ち生贄)として選ばれた上での事件であった可能性を疑う事が出来る。
◎実は先月(10月)の26日は、イラクで香田さんが斬首されてから五年が経過した日であったのです。
イラクでの日本人の被害者の方々の遭難日からの経過については私は忘れる事無く覚えてきている。
阿修羅においては年月の経過によりくどい印象を与える可能性があるので伝える事はしないようにしてきているだけである。
香田さんの斬首はファルージャ戦での戦勝を祈願してのものであった、他にも祈願を込めてのものであったと考えてきている。
香田さんはキリスト教徒であった筈だ。
しかしこれ等の祈願は実らなかったであろう。戦勝は出来なかった筈だ。
米国軍はイラクを平定出来ない。
イラクよりも自国が分解だ。それがお望みだろう。遂に自国内の基地で反乱的乱射事件が発生した。
さて女子大生の首を香田さんのように切り落として、
本当は誰の首を落としたかったのか?
◎それは「広島出身の亀井大臣」であろう。
島根県で拉致して首は御丁寧に広島県側に遺棄した。
近い地域間での犯行を装い、広島県への拘りを隠そうとした。
広島で拉致して広島に遺棄しては川口順子のワンパターン頭脳のように判り過ぎて具合いが悪い。
◎西川善文の首切り(自分で辞めたことにはなっているが)に怒りが収まらず、亀井の首を切り落として恨みを晴らして、「郵政再民営化」の道を切り拓かなければ目の前にある「ジパングの黄金(国民の金)」を掴み取る事が出来ない。
ジパングの黄金(郵政の金)は新政権と言う金庫の奥に仕舞われてしまった。
奪い取るには金庫を壊すしかない。金庫(新政権)を壊す事は日本国民以外には出来ない。
従って日本国民を新政権に離反させようと必死になって大判振る舞いしているのであろう。元々自分の金でないものをばら撒くのだから腹は全く痛まないだろう。
マスコミ(糟塵)と自民党はじめ野党の各党、さらに自民党的息がかかった沖縄知事と神奈川知事や検察をはじめとする官僚達、さらにアルバイトとプロの工作員達ネット工作を命じ、工作資金(元々は日本国民の金をとりあげたもの)を大判振る舞いして買収し民主党連立政権の足を引っ張る努力を重ねてきているが、日本国民はそれには乗ってこない。
物理的暗殺は出来ないがソフトに呪い殺す事は出来そうに思える。
確かに魔術は存在してきているし、条件を整えさえすれば有効に作用するだろう。平たく言えば”効く”と言う事だ。
しかし、いつでも効くわけではないし、いつまでも効くわけでもない。歴史が変われば賞味期限も切れる。
ソロモン王が絶好調であったらしいが今では既にそうではないようだ。
http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20091107003.html
悲しきDNA型鑑定一致 切断頭部 不明の女子大生と確認
平岡都さんの頭部が見つかった臥竜山の現場付近を捜索する捜査員
Photo By 共同
島根県境に近い広島県北広島町の山中で女性の頭部が見つかった事件で、両県警は7日、女性を10月下旬から行方不明になっている島根県立大1年平岡都さん(19)=同県浜田市=と確認した。DNA型鑑定で一致した。
頭部には殴られたか遺棄された際にできたとみられる傷があることが捜査関係者への取材で新たに判明。両県警は死体損壊、遺棄容疑で浜田署に合同捜査本部を設置し、何者かが別の場所で平岡さんを殺害、遺体を切断し車で運んで捨てたとみて、司法解剖して死因の特定を急ぐ。
捜査本部は7日午前、頭部が見つかった北広島町の臥竜山山頂付近を約200人態勢で捜索。遺体のほかの部分や遺留品などがないかを調べる。
また、浜田市から現場付近に向かう国道186号を中心に目撃情報を収集して行方が分からなくなった後の足取りの解明を進め、平岡さんの交友関係も含めて捜査する。
捜査本部は100人態勢で、浜田署の後藤良美署長は7日未明の記者会見で「必要な捜査は全部やっていきたい」と強調。現時点で、平岡さんからのストーカー被害などの申告は把握していないことを明らかにした。
大学によると、今年5〜6月ごろ、キャンパス周辺で「車に乗った若い男」の不審者情報があったが、夏以降はなくなったという。
捜査本部によると、遺体は、死後それほど時間はたっていないとみられる。臥竜山の入り口から約4・5キロの林道終点にある車両転回場付近で、約10メートルがけ下のなだらかな斜面に積もった落ち葉の上で見つかった。
平岡さんは香川県坂出市出身。島根県警によると、平岡さんは10月26日午後9時15分ごろ、浜田市内にあるアルバイト先の飲食店を出た後、行方が分からなくなった。県警は事件や事故に巻き込まれた可能性があるとみて今月2日に顔写真を公表し、情報提供を呼び掛けていた。
なぜ…まじめな女子大生 得意の英語を生かす夢が散った
島根県警、事件解決に決意「必要な捜査全部やる」
平岡さんの両親がコメント「ショックで言葉にならない」
島根県立大の学長が会見「最悪の結果、極めて残念」
静まり返る香川の実家…元担任「憤り感じる」
200人態勢で捜索再開…何とか手掛かりを
[ 2009年11月07日 08:21 ]
http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20091107006.html
なぜ…まじめな女子大生 得意の英語を生かす夢が散った
広島県の山中で遺体の一部が見つかった島根県立大1年の平岡都さん(19)。親元を離れ、女子寮で一人暮らしをしながら、得意の英語を生かし海外留学を夢見ていた。自立心が強い半面、家族に「寂しいよー」「お母さんのご飯を食べたい」とメールを送り、甘えることもあった。
娘の無事を祈っていた母親は、遺体が発見される前の取材に「一人暮らしにあこがれていたが、家族と離れ寂しかったのかな」と話していた。
平岡さんは今春、高校時代まで過ごした香川県坂出市を離れ、島根県浜田市のキャンパスに近い寮に入居。貧困や飢餓問題を考えるボランティアサークルに所属し、授業を休むことはほとんどなかった。
同じ寮の女子学生によると「門限に遅れることもなく、無断で遊びに行くこともなかった」。アルバイトをしていたアイスクリーム店の店員は「まじめな性格で仕事もしっかりしていた」と話す。10月末から働き始める予定だった別の店の面接では「留学のためにお金をためたい」と夢を語っていたという。
家族によると、平岡さんは小学生のころからラジオの英会話講座を聴き始めた。寮の部屋には英語の本や覚えた単語のメモも。海外の友人と手紙のやりとりを続け「将来は海外で仕事をしたい」と国際文化への興味が尽きなかった。
3人きょうだいの長女で面倒見が良く、弟が撮った写真をメールで受け取ったり、年の離れた妹と買い物に行ったりしていた。連休やお盆休みには、家族が待つ実家へ帰省。普段から母親への連絡を絶やさず、近所の人によると、祖父母は「自慢の孫娘だ」とうれしそうだった。
今年3月まで通っていた香川県立高松商業高校では語学研修で米国へのホームステイを体験。応援部に所属し、昨年夏の高校野球県大会でははかま姿でスタンドから懸命に声援を送った。
大学入学からわずか半年余り。平岡さんの部屋には今も、荷物が残されたままだ。
悲しきDNA型鑑定一致 切断頭部 不明の女子大生と確認
平岡さんの両親がコメント「ショックで言葉にならない」
静まり返る香川の実家…元担任「憤り感じる」
島根県立大の学長が会見「最悪の結果、極めて残念」
200人態勢で捜索再開…何とか手掛かりを
[ 2009年11月07日 08:32 ]
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200911060308.html
▽有力な手掛かり得られず(11月5日)
浜田市原井町、島根県立大1年平岡都さん(19)が10月26日から行方不明になっている問題で、浜田署などは5日も大学周辺の山を捜索したが、手掛かりは得られなかった。
機動隊員を含む25人態勢で午前11時から午後5時まで捜索した。同署には、公開捜査に踏み切った2日以降、同日夕までに計24件の情報が寄せられたが有力な手掛かりはないという。
6日は浜田海上保安部と協力して海岸部を捜索するほか、情報提供を呼び掛けるチラシを街頭配布する。
また、県立大の本田雄一学長らは同日、浜田市役所、石見交通浜田営業所、県飲食業生活衛生同業組合浜田支部を訪ね、それぞれ街灯の整備、夜間のバス増便、アルバイト生の就業時間の配慮などを要望した。
▽周辺の山を捜索、浜田署など(11月4日)
浜田市原井町の県立大1年平岡都さん(19)が10月26日夜から行方不明になっている問題で、浜田署などは4日、大学周辺の山をあらためて捜索した。同日夕までに有力情報は得られていないが、平岡さんは不明になる3日後にアルバイト先を変わる予定にしていたことが分かった。
浜田署と隣接の川本、江津両署の署員計40人は4日、午前と午後の計5時間、平岡さんがアルバイトから帰宅する時、通ったと思われる道を中心に捜索した。公開捜査に踏み切る前にも浜田署が何度か捜索しているが、同日は機動服を着た警察官が雑木林などをかき分けて歩いた。
県立大は2日夕、学生と教職員全員に一斉メールして状況を説明し、夜道への注意などを呼びかけた。3日から大学管理の二つの寮の門限を午前0時から午後10時15分に繰り上げた。
一方、同署や関係者への取材によると、平岡さんは28日までは市内のショッピングセンターでアルバイトし、29日からは別の居酒屋に変わる予定だった。
▽学友の心配高まる 有力な手掛かりなし(11月3日)
浜田市原井町の県立大1年平岡都さん(19)が行方不明になって1週間が過ぎ、学友たちの心配が高まっている。浜田署は2日から公開捜査し、市民に情報提供を呼びかけているが、3日現在有力な手掛かりはない。
平岡さんが入居する学生寮は県外出身の1年女子を中心に約60人が個室住まい。寮生は平岡さんのことを「すれ違うと笑顔であいさつする明るい子」「門限(午前0時)を破ったり授業を休んだりしない子」と言い「なぜいなくなったのか。1週間たち心配」と口をそろえる。寮には防犯機器が完備され、平岡さんの部屋は整然としていたという。
消息が途絶える10月26日午後9時まで、同市内のショッピングセンターでアルバイトをしていた。店の関係者は「欠勤も遅刻もなかった。早く見つかってほしい」と祈る。
平岡さんは、週2、3回のバイトの時は徒歩で約1・5キロ離れた寮に帰宅していた。途中の市道には交通量の少ない暗い場所があり、寮の周囲では今春、不審者の出没情報があったが、浜田署は「事件を疑う痕跡などは見つかっていない」と話す。
トラブルを抱えていた様子もなく、同署は聞き込みや夜間検問などで目撃情報集めを続けている。
▽浜田の女子大生が不明 公開捜査(11月2日)
浜田市原井町、島根県立大1年生の平岡都さん(19)が10月26日夜から行方不明となり、浜田署は2日、公開で捜査を始めた。事件に巻き込まれた可能性を含め慎重に調べるとともに、広く情報提供を呼びかけている。
浜田署の調べでは、平岡さんは26日午後9時15分ごろ、市内のショッピングセンターでアルバイトを終えて退店後、連絡が取れなくなった。この夜、大学近くの寮に帰宅した形跡がなく、携帯電話は電源が切れたままになっているという。
香川県坂出市出身。身長147センチ、細身で髪はセミロング。26日は横じま模様のフード付きワンピースを着ていた。ショッピングセンターと寮は約1・5キロ離れ、通常は徒歩で帰宅していた。
26日も授業に出ており、午後4時半ごろ出勤。同大によると、トラブルなども把握していないという。
28日午後、家族から捜索願が同署に出された。同署は、行方不明になり1週間たち、両親の了解も得たため写真を公開。両親は同署を通じ「一日も早く娘の顔を見て安心したい」とコメントした。
黒ミサについて
http://d.hatena.ne.jp/mminazuki/20050825
2005-08-25
23時の時を告げる合図とともに儀式は始まる。そこは多くの場合、荒廃した教会の跡地である。司祭は 乾いた血の色の衣装をまとい現れる。ふくろうは、ホーホーと鳴きながらうろつき、破れた窓の外では 蝙蝠が飛びかう。汚された祭壇には、逆さ十字と山羊の頭が飾られた。黒い蝋燭に火が灯されると司祭は 地獄の典礼文を逆さから読み上げるのだった。
現代に知られる黒ミサは、教会が異端を迫害していた14世紀に遡る。1307年、テンプル騎士団は、キリスト教を捨て 詰め物をした人間の頭部を偶像として崇拝し 十字架に唾を吐きかけた罪および 黒猫の姿をした悪魔を崇拝する不敬な儀式を行ったかどで告発された。この裁判により 騎士団は崩壊した。
1647年 ルヴィエの修道女たちは 魔法にかけられ とり憑かれ 礼拝堂つきの司祭に強いられ 黒ミサに裸で参加し十字架の神聖を汚し 聖体を踏みつけにしたと同修道院 修道女から告発を受け 裁判にかけられた。
17世紀末、ルイ14世の治世において黒ミサの興隆は頂点に達した。ルイ14世が呪術師に寛容であったことで貴族たちは司祭を雇い しばしば地下室でエロティックな黒ミサを繰り広げた。魔女カテリーヌ・ドゥシャイは、儀式を組織し媚薬を売り 運勢を占っていた。彼女は、黒ミサを司祭する多くの堕聖職者を金で雇った。この中には、最も邪悪なギポール神父の名もあった。
マルキーズ・ド・モンテスパンは、ルイ14世の愛人であった。彼女はルイ14世の愛が冷め別の女性に興味が移っていることに知りカテリーヌ・ドゥシャイの礼拝を受ける事にした。司祭ギポール神父は、裸体のモンテスパンを祭壇に横たわらせ、サタンとその配下の不実の悪霊たちを呼び出したモンテスパンの願いを叶えるべく一心に祈った。傍らでは 子供の血液と小麦粉が混ぜあわせられ、聖体が作られる。ギポールは、モンテスパンの身体にキスをし たかれた香が漂う中 聖体をモンテスパンの裸体の上で聖化し、その一部を彼女の内部に挿入した。この黒ミサは3度執り行われたあと発覚したが 逮捕者246名の男女のなかには 多くのフランス最高位の貴族が含まれていた。貴族は裁判にかけられ地方追放で処刑を免れたが 36名の平民は カテリーヌ・ドゥシャイとともに処刑された。なお カテリーヌは生きたまま火刑に処された。
黒ミサは、カトリックのミサを猥雑にパロディー化したもので 人を呪いで殺すなど、邪悪な目的で教会のミサを堕落させた司祭が有罪宣告を受けた事実が既に7世紀に見られる。黒ミサは、悪魔崇拝をめぐる民衆の考えに根ざすものであり 儀礼では カトリックのミサをさかさまに行う事が原則だったと伝えられている。同時期 黒ミサと妖術との関係が取りざたされ 魔女狩り人、異端審問官は、異端的儀式と黒ミサを混同し悪魔が司祭を務める淫猥な儀式として次々とサバト(夜会)に参加する者たちを告発した。魔女について当時信じられていた考え方に異端審問官が無理やりに当てはめたふしも見受けられるが一方では、教会から酷い迫害を受ける異教徒の反抗的表れとして 悪魔を讃える儀式を行ったとしても不思議ではない。
悪魔を崇拝する事のない現代の魔女たちは 黒ミサを執り行う事はない。また過去数世紀の魔女と呼ばれるものたちが 少なくとも意味のある数で黒ミサを実際に行ったかは疑わしい限りである。
魔女と魔術の辞典
モンタギュー・サマーズの黒ミサ「妖術と悪魔学の歴史」
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