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2009年11月 6日 (金)
企業団体献金全面禁止後の政治資金のあり方
昨日の本ブログに、
「新政権を叩くのでなく厳しく見守る姿勢が肝要」
と題する記事を執筆したのは、『カナダde日本語』の美爾依さんの11月5日付記事
「小沢幹事長が「企業団体献金禁止」を率先して実施したにもかかわらず・・・・」
を読ませていただき、一部の共産党支持者の言動に素朴な疑問を感じたからだった。
美爾依さんは、11月6日付記事
「共産党はきれいごとばかり」
に、その続編と言える記述を示されている。とても説得力のある主張を展開されている。
私たちが根本的に認識しなければならないことは、政治の主役、この国の主権者がこの国に住む市民であるという基本である。政治家も政党も、主権者である市民の意向を代表して行動しているにすぎない。政党や政治家が主権者である市民の意向とかけ離れて、政治をもてあそぶことは慎まなければならない。
政権交代が実現したことについて、その解釈はさまざまに存在するだろう。民主党を軸とする現与党による政権樹立を快く思わない人々は、政権交代は民主党を軸とする新政権の樹立を国民が求めた結果ではないとする。国民は単に自民党政権にお灸をすえただけであって、民主党政権を希望したのではないとするのだ。
これに対して、政権交代に大きな意義を認める見解も存在する。55年体制構築以来の「自民党支配政治」、明治憲法発布あるいは明治維新成立以来120年、140年にわたり継続した「官権政治」に終止符を打つことが政権交代の意義であると考える。
私は「官権から民権」、「大資本と政治権力の癒着排除」、「対米隷属外交からの脱却」が政権交代実現後の三大課題であると考える。多くの市民が政権交代に日本政治刷新の期待を寄せている。日本政治を根本から変革しようという市民の意志が政権交代の原動力であったのだと私は思う。
この主権者の意志を実現することが重要なのであって、政党や政治家が主権者である市民、国民の意志と離れて行動するなら、そのような政党や政治家は基盤を失うだけである。
政治権力と大資本の癒着を排除する上で、企業団体献金の全面禁止は最重要の施策である。民主党は小沢一郎前代表の秘書に関連する政治資金規正法違反容疑問題を契機に、企業団体献金全面禁止の方針を明示した。画期的な提案が示されたのである。民主党は総選挙においても企業団体献金全面禁止を政権公約として明示した。
主権者である国民は民主党の政権公約を国民との約束として認識している。衆議院の任期4年中にこの公約が確実に実行されることを信用している。民主党がこの最重要の政権公約を実現しないなら、国民から厳しい批判を受け、その代償を払わされることになるだろう。それだけの意味を持つ政権公約である。
だが、一方で政治活動にお金がかかることも否定できない現実である。総選挙に立候補して当選を果たすには、一定の資金が必要になる。すべての有権者に対して政治活動の門戸を開くためには、誰でも政治活動を実行できるための資金的な環境を整えることが求められる。
政党を中心に政治活動が展開されている現実を踏まえれば、政党が正当に活動資金を確保できる環境を整える必要がある。個人献金を活用することもひとつの方策であるが、個人の資金力には大きな個人差がある。政党活動が個人献金にのみ依拠するようになれば、大きな資金力を有する個人に支持される政党が有利な環境を得ることになりかねない。
この点を踏まえれば、政党の政治活動に要する資金を国民が国費として負担することには、大きな合理性があると判断できる。現在、政党交付金が政党活動の最重要の資金源となっている政党が多く存在するが、政党交付金をさらに拡充することも検討に値すると考えられる。
共産党は政党交付金を受領していないが、その分、共産党の支持者がその意志に反して重い負担を強いられているという現実も存在するのではないか。
企業団体献金を全面禁止したあとの政治活動を支える資金のあり方について、建設的な論議を活発化することが求められる。政治資金を個人献金や個人資金にだけ求めることになれば、富裕な個人でなければ政治活動に従事できないとの新しい歪みが生まれることも十分に予想される。
鳩山政権には企業団体献金を全面禁止する法整備を早期に実現することを強く要望する。同時に、企業団体献金全面禁止後の政治資金確保のあり方についても、明確なビジョンを示してもらいたいと思う。
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