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[新暴政の予兆]民主党に取り憑く「新たなポピュリズム型暴政」への誘惑
<注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20091105
[副 題] 続、米日における新たな暴政の予兆への警告(2/3)
【画像】映画『沈まぬ太陽』
[f:id:toxandoria:20091105231031j:image]
・・・この画像はhttp://ascii.jp/elem/000/000/462/462954/より/映画の公式サイトはコチラ → http://shizumanu-taiyo.jp/ 現在、全国でロードショー公開中。
『沈まぬ太陽』Trailer
[http://www.youtube.com/watch?v=yL-PxsVK2Xk:movie]
・・・山崎豊子・原作を映画化した作品で、ジャンボ機墜落事故を引き起こしたナショナルフラッグ(1985年8月12日に「御巣鷹の尾根」にジャンボジェットが墜落した頃の日本航空がモデル)の経営上の構造問題を抉りつつ、真摯で責任感があり矜持を持つ人間としての主人公・恩地の生き方と深い人間愛・家族愛を謳いあげた3時間22分の大作。
・・・恩地を演じる渡辺 謙の熱演が光るが、族議員・閣議決定などを巧みに操りつつ政治の道具としてナショナルフラッグを弄ぶ政治権力と腐敗した高級官僚、そして権力の走狗(マスゴミ)と化したジャーナリストの狂態などがリアルに描かれており興味深い。
・・・フィクションを謳うものの、この作品は渦中の「日航経営問題」の根源を十分に連想させる。その要諦は、いかにフェールセーフ(fail ‐safe)経営を誇ろうがホスピタリティ(人間への眼差し)の喪失(=ヒューマン・エラー)が凡ゆる意味で大事故を呼び込むということであろう。
(関連参考情報)
映画『沈まぬ太陽』の反響、http://www.jalcrew.jp/jca/public/taiyou/asahi-shintyou.htm
「沈まぬ太陽」、社内報で批判=客離れ誘発に危機感−日航、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091102-00000225-jij-bus_all
・・・・・以下、本論・・・・・
英国「エコノミスト誌・アジア版」(2009年10月22日号)が“民主党は多くの大衆受けする変革を進めているが、それは、また人々を不安にさせている”と鳩山政権の現状を総括したことについては、あたらずといえども遠からずの感が増しつつある(情報源:2009.10.30・日本経済新聞)。
例えば、鳩山政権の表看板であった「脱官僚依存」の修正が進み、10月29日に“官僚による首相や閣僚の国会答弁メモの作成を禁ずる一方で、“参考資料の作成”は容認するという苦し紛れに見える、まことに“涙ぐましい”実務ルールの修正が行われた。一方、民主党は地方自治体や各種団体から政府・与党への陳情の窓口を党(小沢幹事長)に一元化することを決めており、政府や“族議員”に要望を直接伝えることは原則禁止された。
このように異様な事態となりつつある背景には「日本航空の経営危機」、「八ッ場ダム中止」などの問題に象徴される“自民党・族議員と特定地域&特定利益集団”の癒着・談合・共犯関係、あるいは“国民一般を誑かして日本の議員内閣制そのものを私益ツール化”してきた自民党・暴政の悪辣極まりない腹黒さなど様々な要因が考えられる。しかし、小沢支配体制への警戒感が、たとえそれが誤解であるとしても、一般国民の間に浸透すると肝心の「民主党」への支持率低下に結びつく懸念もある。
(関連参考情報)
政治の質が変わった・・・、これまでの議院内閣制は"偽装"だhttp://news.www.infoseek.co.jp/special/j-is/commons0911_001
民主党:陳情処理、党が窓口 県連が要望吸い上げ−−党役員会で決定、
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20091103ddm005010076000c.html
陳情窓口を幹事長室に一元化、小沢支配強まる、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091103-00000236-yom-pol
「八ツ場ダム」工事中止の衝撃 メディアも旧来型政治報道からの脱皮を 池田龍夫(日刊ベリタ)、http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200911022050141
しかし、更にそれよりも特に留意すべきは(これはあまり知られていないことだが・・・)、鳩山政権のチェンジをアピールするキャッチコピー作りのアドバイザーを「トレンド・フォロー」(元々は通貨ごとのトレンドを読む為替投資の一手法で、いわば次の熱狂を帯びる可能性が高い勝ち馬への着実な乗り換え作戦)、「ブティック・イシュー」(賞味切れトピックや不都合なトピックに煙幕を張る目的で、作為的に刺激的な話題を次々と仕掛ける手法)、「メディア・イベント」(いわゆるヤラセ報道)などポピュリズム扇動戦略を得意とする大広告会社の博報堂が務めてきたということだ。我われには、民主党が広告代理店の知恵とノウハウを大いに活用すること自体をとやかく言う謂れはない(情報源:日本の総選挙:政権移行の困惑、
http://gensizin2.seesaa.net/article/127806896.html)。
しかし、問題は肝心の原理原則的な部分、つまり過剰な市場原理主義と決別するための「CPU=演算装置 (論理)と制御装置(一般国民へ分かりやすく説明するプロセス)」まで博報堂へ丸投げしていいのかという懸念が残ることだ。今回の民主党による政権交代の大きな眼目は「小泉=竹中ハードコア・ポルノ劇場=国民騙しのイカサマ詐欺劇場」にビルトインされていた「赤剥けに露骨でハードで過剰な市場原理主義」からの脱却であったはずだ。そして、それは決して「ヤクザな小泉純一郎が“改革の一丁目一番地”と位置付けた郵政民営化からのチェンジ」だけを意味するものではない。
よく考えてみれば、何故にネオリベラリズム一派(例えばブッシュ・ジュニア、小泉純一郎、竹中平蔵ら)が「自由原理主義=ランディアン・カルト」を過剰なまで好むかというと、愚かならぬ彼らは、その経済社会と市場の中に“「不正や不公平」が成り立つ可能性を密かに紛れ込ませざるを得ないという冷厳なる現実”を恐らく熟知しているからなのだ。
まことに残念なことではあるが、弱肉強食のダ―ウイニズムをひけらかすまでもなく、我われが生きる社会と自然環境の実相(=我われが生きる世界は複雑極まりなく錯綜した因果律に支配されているという現実)は、そのように過酷な世界の実相(冷厳なありのままの姿)を我われに突き付けている。それは、仮に不正や不公平が成り立つ「可能性」を完璧かつ徹底的に経済社会から排除すれば(そのような意味で社会を無菌状態にすれば)、最早、それは自由・平等の世界とは言えなくなるからだ。
しかも、「自由・平等」とは、それを異なる角度から見れば「多様性」を人々が相互に認め合うということに他ならない。しかし、それにもかかわらず、「多様性」の中から選ばれたある一つの立場は、必ずや、それと異なる立場に身を置く者たちからすれば不正や不公平(=マイナス部分、つまりエントロピー析出部分としての負の社会現象/チェコ風の象徴表現で言えば死の女神アスラエル(Asrael)が司るおぞましき領域)を主張する怪しからぬ立場となり得るのである(女神アスラエルについては、下記◆を参照乞う)。
◆オバマのアメリカで聞こえる新たな暴政への序曲、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20091102
言い換えるなら、我われは、一部の原理主義者たちが狂信するが如くに“現実社会を無菌状態=完全無欠の自由・平等状態にしたり戦争・紛争の根絶あるいは病気や死の存在を否定したりする”ことは不可能だが、寛容・信用・安全の確保を理想としつつ“衛生管理面と予防措置的な手法とプロセスの絶えざる創意・工夫”によって社会的な意味での健康体の維持と一層の健康&体力増進(平和で健全な社会と持続的な経済発展)を図ることは可能なのだ。
ところが、そのような意味で完全な自由を実現するには市場の中に“「不正や不公平」が成り立つ可能性を密かに紛れ込ませざるを得ないという冷厳なる現実”を熟知する悪意に満ちたネオリベラリズム一派は、この過酷な機序を逆手に取って、善良な一般国民層を手玉にしつつ誑かすという悪意に満ちた意図を隠しているふしがあるのだ。そして、その“悪の華”の開花こそがあの「小泉=竹中ポルノ劇場」であったことは言うまでもない。
従って、冷静かつ論理的に考えれば、現代の民主主義社会における「望ましい自由・平等」のあり方は下記◆の(3)ということになる。それは、(1)は論外として、(2)では、上で述べたとおりのことだが、その場に「不正や不公平」が成り立つ可能性(=それが過剰に繁殖すると健康被害を拡大しかねない悪玉の雑菌に喩えられるファクター)が密かに紛れ込む余地を認めざるを得ないからだ。
◆「甲乙・二者間の話し合い」における自由・平等のあり方についての三つの可能性
(1)絶対的な強制権力によって上から与えられる自由・平等(市民革命以前の自由・平等)
(2)甲乙・二者間の話し合いによって実現する自由・平等(ポスト市民革命時代の自由・平等)
(3)客観性を成立させる第三者の監視・調停によって確保する自由・平等(より深化した民主主義社会における自由・平等)
また、このような意味で無限の「多様性」を許しあう「寛容」の中でこそ、「限界効用逓減の法則」をブレークスル―し、絶えず、ユニークな「外部経済」を発見しつつ新たな経済付加価値が創造できる「真に経済学的な意義と可能性」が展望できるのだ。従って、鳩山民主党が“社会経済の善玉菌”への視線を重視する意味で単に「友愛」をアピールするだけでは、社会経済の全体像と実像へ目配りをしたことにはならず、ただ一般国民の感情面へソフトにアピールしつつ、ポピュリズムを煽っていることに過ぎないことになる。
それは忌まわしい「小泉=竹中ハードコア・ポルノ劇場」をただ“上書きで消すこと”か“ごみ箱へ入れて消去”したに過ぎず、そのハードディスクの奥には、あのオゾマシイ「小泉=竹中ハードコア・ポルノ劇場」の画像がシッカリと息づいており、このままでは今よりも更に悲惨な状態(デストピア)の入口へ国民を導く可能性すらが予感される。
更に、もう一つ留意すべきは、ネット社会化の急速な進展とともに、“ポピュリズムのパンデミック型への質的変化”が急速に進みつつあることだ。その“質的変化”とは、例えば“市場価格の情報量が1990年代後半の約100万倍”にも達したという現代Webネット社会の驚くべき特性に見合ったものに変化したと見なすべきだ。喩えるなら、この倍率は「“肉眼”と“ウイルスが見える電子顕微鏡”の違い」に相当するほどの驚くべきスケールの大数観察となる(情報源:高安美佐子・東工大準教授『自然科学(経済物理学)で行動を解明、2009.11.4・日本経済新聞』)。
当然ながら、その倍率こそ些かは違っても、その傾向は現実社会にも大きな影響を与えるはずだ。民主党のキャッチ・コピーを請け負うのが大広告会社の博報堂であることと考え合わせると、そこで駆使されるであろう「トレンド・フォロー」、「ブティック・イシュー」、「メディア・イベント」など、いわゆる現在の“科学的ポピュリズム操作”の効果は、もはや10年前のそれとは比較にならない。それは、象徴的な意味で“科学的フェールセーフ(fail ‐safe)”を騙りつつ、恰も1985年8月12日に「御巣鷹の尾根」に墜落した日本航空123便の余りにも悲惨な大事故にも匹敵する地獄絵図を善良な一般国民層へもたらす恐れがある。
映画『沈まぬ太陽』の主人公・恩地の立場への共感ではないが、今こそ民主党・連立政権には一般国民層の「誠実と勤勉さ」に真剣に応えるホスピタリティ(国民の生命と主権を安全に保守する政治という原理原則)を厳守するという「強烈な意識革命」が求められているはずだ。従って、鳩山の「友愛&マニフェスト原理主義」と小沢の「官僚答弁禁止」もよかろうが、それに先立ち、まず彼らが、この「意識革命の原則」を自らのコトバで国民へ向けて真摯に明快に語るべきではないか。
さもなければ、おそらく鳩山民主党政権は、次々と襲う瑣末な諸政策・諸発言&諸不始末の不整合に足をすくわれ、再び地の底(ハードディスクの奥)から自民党ゾンビ議員とその仲間(=魑魅魍魎)らの手が伸びて、我が日本は奈落の底へ引きずり込まれる運命になるであろう。
(関連参考情報)
鳩山内閣支持率=10ポイント減の61%、
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/319466/
人事官に官僚OB、「天下り」巡り与野党論戦、
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091105-OYT1T00141.htm
亀井大臣「政治資金」2億円問題、
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_shizuka_kamei__20091103_2/story/03gendainet02043452/
鳩山首相の地元で発見!「日本一危険なダム」、
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_dam__20091103_5/story/03gendainet02043453/
鳩山首相「公約実現できなければ解散」 衆院予算委開会、←これは意味不明で無責任な発言?、http://www.asahi.com/politics/update/1102/TKY200911020165.html
【エピローグ画像】CELINE DION - The Power Of Love
[http://www.youtube.com/watch?v=xTz4YQnNVf8:movie]