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独立行政法人がどのように国民のために仕事をし、貢献しているのかは絶えずチェックされなければならない。
このチェックの仕組みは今でも存在する。が、問題はその実効性である。
事実上、チェックの仕組み・手続きが十分には機能していない。というのも、チェックを受けるべき独立行政法人が自身を評価するという仕組みだからである。
和歌山大学も昨年度、国立大学から国立大学法人という独立行政法人移行に伴う初の中期的な「自己評価」を文部科学省に提出したはずである。
これは国立大学法人の発足時に、各大学、各学部がそれぞれ定めた中期的目標を基準にして、どれだけの成果が達成されたかを、自己評価し、所管の文科省に報告するというものである。
この「自己評価」のために、各教員それぞれにも、それぞれの研究・教育の実績を申告することが求められた。
私は、この「自己評価」=自己申告票を作成しなかった。自己申告をしても、それを学部内でとりまとめる、言い換えれば、事実上評価する役割を与えられた教員が、評価する能力を持っていないと判断したからである。さらにインチキをやっている連中が自己をインチキを申告するはずがないからである。
結局、言われるままに、「自己評価」票を提出することによって、不正を容認し、その隠蔽に荷担することになるのを避けたかったからである。
そのころには、すでに上野教授による「経済理論」投稿論文問題を学部の経営陣には伝えてあった。
同じ「経済理論」に上野教授のインチキ論文と並んで自身の研究成果が掲載される者の身になって考えてもらいたい。私自身がインチキを見抜けない馬鹿者とされたくない。自分が馬鹿だと宣伝する者は愚か者だ。そうはなりたくなかったからである。
大学という商売の一面は教育である。これは教員の学生に対する知的優位を前提にした商売である。だから、教員が馬鹿では、この商売は成立し得ない。
そこで、わたしは、「経済理論」の編集者に対して、事態が改善されるまで投稿を控える旨の連絡をおこなった。
だが、この申し出もかかわらず、上野氏の定期便投稿論文は掲載され続けた。「経済理論」編集委員会は「問題なし」と判断したわけである。
で、私は辞職願いを提出を決めた。アホにものを習うアホはそう多くない。ということはこの大学の商売の命もこの先そう長くない。そう考えたからである。
紀要「経済理論」は学部の「顔」の一つ。そこが汚されている(あるいは少なくともその可能性がある)のに、何もしない学部執行部はプロの学者じゃない。素人だ。学部長は、どういうわけか、私にただ頭を下げることでこの問題を収拾しようとした。また先に紹介した「研究者等の行動規範」の提案でお茶を濁そうとした。よほど後ろめたかったのであろう。
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平成21年3月9日
教授会資料(意見聴取)
国立大学法人和歌山大学における研究者等の行動規範(案)
国立大学法人和歌山大学(以下「本学」という。)は,本学の学術研究の信頼性及び公正性を確保することを目的として,本学において研究活動を行うすべての者(以下「研究者」という。)及びこれを支援する者が遵守すべき行動規範をここに定める。
1.研究者は、専門知識・能力の維持向上に努めると共に、自らが生み出す専門知識や技術の質を担保する責任を有し、さらに自らの専門知識、技術、経験を活かして、人類の健康と福祉、社会の安全と安寧、そして地球環境の維持に貢献する責任を有する。
2.研究者は、学術研究の自主性・自律性が社会からの信頼と負託の上に成り立つことを自覚し、常に誠意をもって誠実に行動するものとする。また、学術研究成果の正確さや正当性を、社会に示すよう最善の努力をすると共に、自らの専門領域における研究者相互の評価に積極的に参加するものとする。
3.指導的立場の研究者は、研究者倫理の向上のため、若手研究者や学生に対し研究活動の本質を理解させ、研究倫理に関する教育や啓発等を積極的且つ継続的に行うとともに、自らも認識し、倫理観の研鑽に努めるものとする。
4.研究者は、自らが携わる研究の意義と役割を積極的に公表し、その研究が人間、社会、環境に及ぼし得る影響や起こし得る変化の自己評価に努め、その結果を中立且つ客観性をもって公表するものとする。
5.研究者は、自らの研究の過程において、本規範の趣旨に沿って誠実に行動し、研究・調査データの記録・保存などの適正な取扱いや研究費の適正な使用を徹底しなければならない。捏造、改ざん、盗用、不正使用などの不正行為をなさず、これらに加担しないことはいうまでもない。
6.研究者は、研究の実施、研究費の使用等に当たっては、法令や関係規則及び本学が定める関係規程等を遵守しなければならない。
7.研究者は、自らの研究、審査、評価、判断などにおいて、個人と組織、あるいは異なる組織間の利益の衝突に十分に注意を払い、公共性に配慮しつつ適切に対応しなければならない。また、他者の知的成果などの業績を正当に評価し、名誉や知的財産権を尊重しなければならない。
8.研究者の研究活動を支援する者は、本規範の趣旨に沿って誠実に行動しなければならない。特に、研究費の管理等においては、不正行為を為さず、また加担しないことはもとより、不正行為の発生を未然に防止するように努めるものとする。
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この提案は、こんないわなずもがなのル−ルを守らない奴が存在することを証明するものである。
ともあれ、上述のような事実を踏み越えて和歌山大学経済学部の「自己評価」は作成され、提出されたのである。
私に言わせれば、この自己評価は、二名の教授のインチキの暴露を含んでいない限りにおいて、インチキだ。
大学の自治は、和歌山大学経済学部には今や存在しない。自治はself-governである。不正の発見、その排除は自治の重要な要素の一つである。しかも研究活動は大学の命。その方面での不正行為及びその隠蔽は大学の自殺行為と見るべきである。
私の提起した問題は、独立行政法人の「自己評価」の信頼性にもかかわっている。文科省が私の提起した問題に、どのように対処するのか注目したい。
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和歌山大学経済学部の事務長さん、こんちは。お元気ですか? 監視活動ご苦労さんです。でもメ−ルアドレスは変更された方がよろしいかと思います。こちらからでもお訪ねになっていることがすぐわかる。
それはそうと、面白い資料を一つ。
文部省の外郭団体でJ-globalという法人があります。ここには各大学に所属する研究者の課題、実績等が公開されています。
そこでは、公開可能な論文数の上限は99に設定されています。100本を超えて論文を書く研究者はまずいないだろうとの読みからそうしたのでしょう。
ところで我が上野教授はペ−ジは、
です。
このサイトで掲載されている彼の論文は2005年分まで、そこで99に達してしまった。
予定外の論文数だったわけですね。J-Global(READ)もびっくりの論文数。
他に99本、打ち止めになった研究者がいますでしょうか? 見つけたらお教え下さい。
なお、彼の論文数は、2006年以降の分を足すと130本を優に超えているのではないでしょうか? もしかしたら、140本? 150本? すごいですね。異常ですね。nobel賞をとってもらわなきゃいけませんね。他の大学にもこんな人がいるか、問い合わせてみてはいかがでしょう?ともかく監視活動ご苦労さんです。
2006年以降の上野教授の論文: http://www.eco.wakayama-u.ac.jp/keiken/dbphp/riron/riron_list.php
「てめぇ−いい加減にしろ!」って誰か言わなきゃ・・・。
ではまた。