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研究と詐欺とは全く異なるカテゴリ−である。
しかし、最近ではこの境目が曖昧である。Turnitinというソフトをご存じだろうか? (たとえば http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp1-20080701-378588.html の記事をご覧頂きたい。)
学生がネット上にある他人の論文等をコピペし、自分の書いたレポ−トであるかのように装って提出するのをcheckするためのソフトである。もともとはアメリカで開発されたものらしいが、昨秋には日本語版も登場している。
これで研究と詐欺とが意外と近い関係にあるかもしれないと感じていただけただろう。
さて、研究上の詐欺行為をはたらくのは、何も学生だけとは限らない。
大学教員のなかにもこれ以上に悪辣な詐欺行為をはたらいている者がいる。
それぞれの大学や大学院には定員が定められている。最近では文部科学省が各大学に定員の充足を盛んに求める。そういうこともあって、大学院入学は以前に比べて極端に簡単になった。
事実上受験することが入試の合格条件になっている地方大学も多い。私が勤務していた大学でもそうであった。
こういう時代だから大学院に入るのは簡単である。そして、経済学の大学院では研究しなくても、修士や博士を得ることも不可能ではない。誰かに論文を書いてもらえばよいのである。
論文が誰のものかは、提出者によって決まる。経済学などの場合、試験のときのように書いているところを監督者が見ているわけではない。提出された論文に提出した者の名前があれば、それは提出者の論文となる。「これは君が書いた論文ですか」なんて絶対に聞かれることもない。こういう悪質な輩がいることを大学は予期していないからである。
この方法で、博士となり、某国立大学教授になっている者を私は知っている。彼は、ドイツの金融恐慌にかんする本を書いたことになっている。そしてその業績によって教授になっている。和歌山大学「教授」・東京大学経済学博士・加藤国彦である。いわゆる”宇野派”の一員である。
だが、彼は実はドイツ語が読めない。ドイツ語の資料が読めないのである。だからドイツ金融恐慌の論文や本がかけるはずがない。彼との会話などから判断すると、ドイツ語はおろか、英語の能力も中学生程度だろう。そして経済学の専門的な知識もない。語学ができないから「外国書講読」という外国の経済分析をやっている教員にとっては一番楽な講義はやらない。20年近く同じ大学にいながら、一度もやっていない。できないのである。
嘘みたいなはなしだが本当である。私はドイツ語が一応読めるから、といっても実際に読むのはほとんど「資本論」ばかりであるが、彼が読めないのは話していてよくわかる。素人大工がプロを装っても、プロの大工はすぐにその嘘を見抜く。それと同じで、疑いをもったら、すぐわかる。
研究会でドイツ経済について発表するときでも、ドイツ語で書かれた原資料を使って説明したことがない。全ての資料は日本語で書かれたものだ。これで「ドイツ経済の専門家」なんだから、世の中は面白い。最近は中国経済の専門家もやっている。もちろん彼は中国語も読めない。これは周知の事実。その彼が突然、中国経済の論文を発表したのには驚いた。「えっ、嘘だろう」。世の中には、不思議なことがあるものだ。
彼はもちろん講義を受け持っている。新聞、エコノミストなど経済関係の週刊誌記事を解説するという講義だ。学生は容易に騙される。まさか講義をしている博士でもある教授は実はただの素人じゃないか、なんて疑わない。
彼は研究能力がないからもちろん研究はしない。それでも名目で1000万円を超える研究職の俸給を得ている。今の日本は狂っている。毎年、詐欺師に年金1000万円が国税から払われているわけだ。すでに2億円程度の研究職の俸給が彼に支払われているはずである。「特別会計の無駄遣い」の隠れた一部だ。
学生が聴いているのは詐欺師の講釈である。年間55万円ほどの授業料を払って。滑稽だけど悲惨な図だ。55万円払わされている親も惨めなものだ。
この国立大学法人の経済学部にはもっとスゴイ奴がいる。ペンシルベニア大学院Phd.上野皓司である。
http://jglobal.jst.go.jp/public/20090422/200901023866635372
これまでこいつが論文を書いた領域、したがって彼の専門領域は4つ。一つは「マルクス経済学」。この分野の著書がある。「資本論の研究」というタイトルの本だ。
二つ目の研究領域は、国際マクロ。貿易、資本移動(直接投資)などを取り扱う分野だ。
三つ眼はファイナンス。ミクロ経済学のファイナンス理論。
最後が、リ−ジョナル・エコノミ−。昨年ノ−ベル経済学賞をもらったP.クル−グマンも元来はこの分野の研究者だ。
これだけでも十分あやしい奴だ。四つの専門領域。それぞれで20ないし30本、あるいはそれ以上の論文。
スゴイのは彼の論文数だ。130本ぐらいは書いている。正確には、書いたことになっている。4つの分野で130本を超える論文、ノ−ベル賞をあらそう勢いだ。たぶん論文の数でなら日本の経済学分野で一、二を争う存在だ。
でも研究者としての彼の名前はほとんど知られていない。なぜか? 論文が論文として認められていないからだ。130本の論文が、それぞれはなくそほどでも創造的な内容をもっている名目通りの論文ならば、彼は立派な研究業績を達成した人として認められるはずだ。
はっきり言って、彼は素人だ。多少ともプロなら、4つの分野それぞれで30ないし40本の論文を発表するなんて危ない橋は渡らない。怖いもの知らずの素人じゃないとできない業だ、130本の論文を「書く」なんて、自分が犯罪行為を犯していることを宣伝しているようなものだ。
彼が書いたとされる論文のほとんどは日本語で書かれ、大学の「紀要」「経済理論」に発表されたもの。そしてそれらの論文の参考文献にあげられているのは、99%が英語の論文。日本語の論文、経済書のタイトルはほぼ皆無である。日本に居住し、日本語で論文を書いている研究者の論文に、日本語の論文、著書が参考文献としてあげられないと言うことは普通はあり得ない。いずれの分野にも必ず同業者の日本語で論文を書く日本人もいるからだ。
さらに面白いのは、130本の論文のうち、著名な経済ジャ−ナルにレフリ−の審査を経て採用された論文はゼロということだ。この条件を満たさない新古典派の研究者は、通常、彼らの世界ではまともな研究者としては認められない。その意味でも彼はプロじゃない。
では、なぜこのように不思議な現象が生ずるのか? それは彼が論文を書いているのではなくて、論文を買い、それに自分の名前を付けて「紀要」に投稿しているからだろう。それ以外には考えにくい。
この素人の教授の場合も、年収は税込みで1000万円を優に超えている。年金の国負担分を除いてである。この学部は狂った状態にある。この問題は学部が研究を評価する能力を持っていないことをも表しているからだ。そのことによって、税金が無駄に使われている。税金と支払われた学費が詐欺師どもの「年金」に化けているわけだ。
けっしてこのような素人「研究者」が教える大学に子供をやるものじゃない。金をドブに捨てるようなものだ。
私はこの問題の学部にこの春まで勤めていた。が、こんな「羊頭狗肉」の学部に愛想が尽きて辞めることにした。詐欺師たちの同伴者にはなりたくないものである。
以上によって、詐欺師と研究者とのあいだには、意外と近い関係が存在する場合があることがわかっていただけたであろう。
なお、以上の告発内容は文部科学省にメ−ルで連絡済みである。また、和歌山大学に対しては、仮に私がBLOGで告発している内容が「虚偽」とみるのであれば、名誉毀損などの罪状で告発するように求めている。
法廷でしっかり勝負して、この学部と「宇野派」のインチキをきっちりと納税者の前で暴いてやろう。乞うご期待。
元・和歌山大学経済学部教員 前原芳文
Blog: http://tabbreaking.blog76.fc2.com/ (日本社会の経済的再生のために )
homepage: http://book.geocities.jp/gongon_basen (『資本論』のあらすじ)