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本当に消費税は未来を明るくするか(JANJAN)
赤松峰男2008/09/30
消費税率を上げるだけでは現在の財源不足と将来の財政需要を満たすわけにはゆかないと思う。その前に国民が両手を上げてしまうことは容易に想像がつく。消費税以外に税金無しというような騒ぎは是非とも御免被りたい。
現行消費税は、まさに天下の悪法だ。
そう呼ぶ理由は「最低生活そのものを税源にしている」ことである。生死を分ける最低生活を営む人も、この税から逃れることはできない。だから、そのレベルで税収は安定すること間違いない。生活の限界にまで課税して「安定収入がほしい」という国の税制と、封建制の完成者徳川家康の「百姓は生かさず殺さず」の政治と何処に違いがあるか。
民主主義国家にあっては、税は能力に応じて負担することが大原則である。原則を逸脱した苛政があってはならない。『苛政は虎よりも猛し』というが、たとえ虎が居ようが逃げる所があればまだよい。日本には逃げる所もない。
所得税は納税者と税負担者が一致するから、これを直接税と呼び応能原則が適用される。所得税以外の税は他人に税を転嫁させることが可能で税負担者は間接的に納税していることになるから、間接税と呼び、応益原則が適用されるのが普通だ。
一般消費税導入の理由に利用されたのが不公平税制だった。不公平とはトーゴーサンピンとかクロヨンと呼ばれた所得の把握率に大きな格差があったことである。
そこで出てきたのが直間比率見直し論である。これは、所得把握の不公平を前提とした応能税を少なくして、確実に所得に比例する消費行為に課税すれば、つまり応益税を多くすれば、より公平ではないかという考え方である。この考えは半分は正しいとしても、半分は間違っている。具体化が間違っている。
当たり前のことであるが、他人様の懐なぞ正確に分かろう筈はない。公平を求める方が無理というものだ。不公平があっても何の不思議もない。それを最終的には公平になるように尽力するのが税政策ではないか。
商品は階層化している。日常品、中級品、高級品、奢侈品と分類が可能である。日常品にも安価な物もあれば高価な物もある。高級品にもやや高級品から超高級品まで階層化していることが分かる。
確かに消費は所得に比例する。所得が増えるにつれ消費物品は上の階層に移動することが分かる。使い切れなかった所得は最後に何等かの資産に姿を変えるだろう。
所得税はより公平性を期待して累進制を採っている(採っていた、と言う方が適切かも知れない)。消費税がこの消費の階層化に目をつむっては公平性が保てない。以前は物品税という消費税があって公平性を確保する努力がされていた。現消費税はそれを廃止してしまった。具体化に間違いがあったと言う由縁である。
最終的に、所得は何等かの形で資産に姿を変えるから、たとえ所得の把握に格差があろうと、必ず不公平が姿を現す機会はある。申告不要な分離課税制度は、せっかく姿を現した不公平を霧の向こうに隠してしまった。
そういうわけで、たとえ所得の把握に格差があろうと、その解消は可能だったのだが、できなかったのは労を厭ったからではなかったろうか。
消費税の導入で不公平税制は解消どころか更に溝を広げた。その結果、資産の形成に大きな格差が広がった。これから先の格差の広がりについては所得税の累進制を元に戻すことと消費税に累進制を導入することである程度の解消は期待できる。しかし、既に確定してしまった格差を解消するには資産税の導入しかないではないか。
消費税率を上げるだけでは現在の財源不足と将来の財政需要を満たすわけにはゆかないと思う。その前に国民が両手を上げてしまうことは容易に想像がつく。消費税以外に税金無しというような騒ぎは是非とも御免被りたい。まともな議論が欲しい。
http://www.news.janjan.jp/government/0809/0809217774/1.php