よく聞く話だが、小沢一郎が独裁者だとか闇将軍だとか権力二重構造だとか等々だが、ピンとこんな。そもそも評論家や報道機関に携わる者は簡単に恣意的な言葉の使用は慎むべきである。どうしても使いたいのならきちんと言葉の定義を起こして論理的に論評すべきである。 独裁とは「組織や個人が全権力を握り自分らの意志を完全行使することである。」としたら、小沢は果たして独裁者か。否である。これで森田爺の主張は破綻である。 民主主義国家の政権党が組織上運営上から独裁者を抱えるのは不可能である。 ある役職についてその職を全うしようとして他に働きかけたとして、役柄、実力からその意見が他者より優れている場合は、その意見が通るのは健全な民主主義の社会では至極当然のことである。 最近の小沢氏の意見が通った事例では、行政刷新会議の新人起用事例がある。 小沢氏の抗議が正しい。仙谷氏は事前に小沢氏に話しを通していない。 新人の多用には問題があり、しかもその前にやるべき新人研修がある。 直近では衆議院での民主党議員の代表質問の廃止である。これも至極当然である。 前政権のこの手の代表質問は、自政権の太鼓たたきの八百長質問で、聞くに堪えられないものであった。民主党がやったとしたらこれの二の舞であろう。 まあ、自政権の宣伝には役立つが・・・・・・。 反対に国会で自政府を追及・批判するとしたら、これは筋の通らぬ話し 追求・批判はまず組織の中でやることであって外(おもて)において直接やるべきことではない。 参議院での質問は、参議院の本来の役柄を思うと意義はある。 しかし、今日の輿石氏の質問を聞いた限りでは、前政権の太鼓たたき八百長質問と大して変わりはなかった。まあ、民主党の大宣伝にはなったが・・・・・・。 以上の事例から、小沢幹事長は幹事長の立場で議会改革を視野にしながらまじめに取り組んでいると解釈できる。 ついでながら、またまた週刊誌に庶民には何の役にもたたぬ評論、小沢批判を執筆した頭脳派・立花隆も恍惚の仲間入りをしたみたいである。
2009/10/29 20:11
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