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阿修羅の各板は、いわば表の顔でありそれなりの品性を備えている。コメント欄は裏の顔だが、参加者の本音が良く現われていると思う。阿修羅世論は表の顔だけみていては間違ってしまうのではないかと思うようになった。そこでとりあえず荒い議論を提供しネット諸氏の見解も伺いたいと思っている。(レスは論議板へどうぞ)
阿修羅世論は大きくは二層構造になっていると思う。これは筆者の限られた経験からの類推である。
@ まず、森田実氏をアップするとものすごい反発の洪水である。圧倒的に森田氏を批判している。感情の激発も多い。森田氏はもう引退が良い、老害だ、認知症の寸前だ などなど。
森田氏が小沢一郎や民主党の体質を批判すること自体に、根本的な疑問を持っている。森田氏の変心は信じられないといった類もある。これらの人々は頭ごなしに丸ごと民主党を信じ、ほぼ無条件に支持しているように見える。
そしてこれらの人々がは皆「わる気」はなく、また真剣である※。工作員の影をみることはないと言っていい。
まず民主党をほぼ無条件に支持している厚い層があると見る。
A 次に事業仕訳や外国人参政権になるとがらりと様子が変わる。個々の政策については覚めた目で的確に批判している勢力がある。これらの諸氏は、おそらく民主党政権誕生直後から数歩距離をおいて覚めた目で民主党の行動を静観してきた勢力だったと思われる。つまり始めから民主党フィーバーをしていなかった。それが、政権発足後二カ月ぐらいで、具体的に所見を表明し始めてきたのではないかと思われる。別に反民主党の立場に明確に立っているわけではない。
個々の政策を是々非々で判断しようとする勢力である(筆者もとりあえずこのグループか)。
@の厚い層の上に、これらの層がある。定性的に言えば(これ以上の定量的なことは言えない)阿修羅世論は、基本的にこのような二重構造になっていると考えられる。
さらにこの二重構造の上に、民主党の体質(とりわけ小沢一郎)を根本的に疑う薄いベールがあると見る。コメント欄をザッと見た感じである。またこの薄いベールと表裏に「小沢独裁」を公然と認め、それでよいのだとする意見がある。一例を挙げる。
【「独裁だファッショだと騒ぐのは児戯にひとしい」
民主党政権の構造と小沢一郎幹事長の党権力構造とは何か。
「民主党ファシズムの匂い」と「小沢一郎氏による独裁」の萌芽とは何故なのか。
将来の危機にそなえることは重要である。
自民・公明政権に出来なかったことをやるのが、「民主党政権」の任務であることは、政治的感覚がある人間ならば予測できることである。
「情報化が進んだ社会」とは徹底的に国民がコントロールされる社会である。
民主党政権は「混乱につぐ混乱」となるであろう。
日本の相対的貧困率はすでに6人に1人である。政治は存在に規定される。
動乱の時代はすでに幕を切って落とした・・・・下からの情念と激情と怨念が現出する日本社会となることは間違いないであろう。
小沢一郎幹事長はすでに「動乱の日本」を予感し予測している。
そこが善悪を飛び越えた小沢一郎幹事長の優れた政治的動物感覚である。
やがて来る「動乱の日本」を鎮圧し、システムを安定させるためにこそ現在、小沢一郎幹事長は党権力の集中を図っているのである。
アングロ・サクソン民主主義が「新自由主義」と共に、すでに世界で破綻したことを小沢一郎幹事長は鋭く洞察している。
小沢一郎幹事長がめざしているのは、党権力が国家を運営している中国社会主義システムである。
やがて来る絶対的貧困からの「動乱」と「暴動」を鎮圧するためには中国システムこそ有効である。
将来のためにこそ小沢一郎幹事長は現在、党権力を構築しているのである。
2009/11/04 18:55】
(根拠;日本郵政人事に見る小沢流官僚掌握術、民主党の脱官僚政治も自民党系官僚を排除する目的であり、党主導の権力構造を築く。投稿者 TORAのコメント欄)
http://www.asyura2.com/09/senkyo74/msg/415.html
上のようにあからさまでなくても、これに近いものは散見されよう。上のコメントはファシズム体制の到来を予見しているようにも見える。
以上が現時点で筆者の目に映った阿修羅世論の構造であるが、これが半年後、一年後…とどのように変化していくかは興味のあるところ。
※ 世辞を言っているつもりはない。真剣で善意であっても、感情が暴走し続けるとファッショ空間の様相も呈してくる。これら何が何でも民主党というの勢力に、一部のネット諸氏が「バカ、バカ」「愚民」や「奴隷根性」「ファッショ体質」などという言葉を浴びせたくなる心情もわかる。これらの言葉は、同胞を覚醒させるためにわざと挑発しているので、ウラには同胞への「愛」があると考えるべきである。
とはいえ受け取る方は、そう考える余裕もなく熱くなっているから、そこに悲喜劇が生じることになる。