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【神州の泉−高橋博彦】
2009年10月25日 (日)
サンデースクランブルに自見庄三郎議員出演
テレ朝のサンデースクランブルに国民新党の自見庄三郎議員と、自民党の片山さつき議員が出ていた。番組の意図は明らかだった。日本郵政の新社長に、元大蔵事務次官の斉藤次郎氏を起用することを、民主党の「脱官僚」の姿勢と相反するじゃないかということと、郵政マネー300兆円を凍結して、運用はいったいどうするんだという文脈で、郵政民営化見直し政策を徹底的に槍玉にあげる魂胆だった。この人材登用は改革に逆行ではないのかという報道意図である。
旧自民党と同じ論旨で、亀井担当大臣の郵政民営化見直し政策の全否定である。番組の意図がすぐに見えたのは、冒頭で自見氏が、2005年911総選挙(郵政選挙)直前の自民党パンフレットを説明しだした時である。自見氏は当時の自民党が提示した「郵政民営化なくして小さな政府なし」というこのマニフェストを開き、小泉・竹中構造改革が呼称した「小さな政府」が、後期高齢者医療制度や地方疲弊など、惨憺たる状況を招来したことを説明しだした。(下図は「自民党政権公約2005 自民党の約束」の中から)
この時、メインキャスターの佐々木正洋氏や長野智子氏は、小泉・竹中構造改革の本質を語りだした自見氏の説明を強く遮り、斎藤氏起用の問題点に絞ってくださいという言い方をした。熱血漢の自見氏は、怯まずに「基本を説明しなければこの問題は見えないんだ」と言った。その通りである。私が何度も言っているように、新政権は小泉政権の間違った政策を検証することが重要であり、特に郵政民営化の見直しは、小泉政権の政策思想そのものを明らかにする必要がある。だからこそ、亀井郵政・金融担当大臣は折に触れ小泉・竹中改革を全否定する。テレビは小泉構造改革、郵政民営化の本質を出演者に言わせないことが使命のように見える。
自見氏は、世界やアメリカが「小さな政府」を真正面から見直し、その反省が起きているのに、日本もそういう方向性でやるのは当然だという論旨を通すことは理にかなっている。自見氏は「小さな政府」を説明しだした時に、アメリカ・ウォール・ストリートの金融資本主義との関連を説明しだしたが、番組はそれを嫌った。日本の郵政民営化は、国際金融資本による日本資産収奪意志の下で制度設計が行われたことを、自見氏は公言できる気骨を持つ。亀井大臣と同じだ。
だが、大手報道側はけっしてそれを言わせずに、必死で郵政問題が国内問題でなけれなならないかのように誘導する。その意味ではメディアは四年前と変わっていないのだ。先日、同じテレ朝の「ワイドスクランブル」で、城内実さんが、ゆうちょ、かんぽの資金は外国資本ではなく、国家国民のために使うべきだという主張をさせたことと、今回は大分様相が違うと感じさせた。
片山さつき氏は、郵政民営化推進路線派として対論相手に選ばれたようだが、自見議員の迫力の前にはまったく形無しだった。何やら、むにゃむにゃ言っていたが、説得力ゼロだった。自見氏が例のパンフレットの「小さな政府」を示して、片山氏を、あなたも市場原理主義者だよねと言った時、片山氏は、「私は市場原理主義者ではないし、小泉さんも自分をそう言ったことは一度もないです」よと、躍起になって否定していた。見苦しい限りである。
小泉純一郎氏も、竹中平蔵氏も、片山さつき氏も、紛うことなき新自由主義の王道を行く「市場原理至上主義者」であり、日本をここまで悪い状況に陥れた元凶的存在である。「小さな政府」は、官僚の政治侵食(官僚主権国家)を是正縮小する文脈においては、正しい言葉だが、福祉予算を切り捨てたり、セーフティネットの廃止などの視点から言えば、悪辣な言葉となる。
「構造改革」と同様に、「小さな政府」も、それ自体の用語としては、具体的な意味を帯びない言葉なので、具体性が付加されるまでは、安易に判断できない言葉なのである。だから、小泉元首相が「構造改革なくして景気回復なし」と連呼したことは、意味のない繰言を公言していたことになる。彼が「構造改革」の具体的内容を適度に説明していた場合は、かなり効果的なワンフレーズになっていたと思うが、それなくして無味乾燥な言葉だけを呼号しても、考える国民には無意味であった。ただ、私は「小さな政府」という言葉には新自由主義のレッセフェール(自由放任)を強く感じてしまう。
自分で考えようとしない国民にとっては、構造改革という言葉を連呼した小泉氏に、「彼は何やら良いことを言っているようだ」と、肯定的な印象を持ったようだ。政治家がメディアを使って劇場型パフォーマンスで熱狂することはあっても、文字媒体やその他では、内容を具体的にきちんと説明できていなければならない。テレビはその一貫した政治思想の凝縮表現として、短い説明が行われる。小泉氏には一貫した政治思想も凝縮表現もなかったのではあるまいか。ただ、ヤクザが怒鳴るようにマイクに叫んでいただけに見える。
自見庄三郎議員も、かなり熱血的な喋り方をするお人だが、小泉氏のような自己顕示的なパフォーマンスとはまったく異なる真摯な気持がそうさせているのだ。それは彼の講演を聴いた時にそう感じた。論旨一貫した小泉政権批判を行っていた。さて、テレビでコーナーが終了する間際、自見議員は「もっとテレビに出してくださいよ」と大声で叫んでいたが、これも彼の真情である。国民新党の考え方こそ、今の日本で最も役に立つ方向性を持つから、自見庄三郎氏や亀井久興氏のような憂国心情に溢れた頭脳優秀な人たちの考えはテレビに出すべきだ。
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2009/10/post-e7bd.html