★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK73 > 464.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
http://www.47news.jp/CN/200910/CN2009101701000362.html
日本政府が津軽など重要5海峡の領海幅を狭く設定していた問題で、領海の12カイリ(約22キロ)制度が確立する第3次国連海洋法会議(1973〜82年)で政府代表を務めた小田滋・元国際司法裁判所(ICJ)裁判官(84)は17日までに、領海の3カイリ(5・6キロ)制限は、米軍潜水艦を自由に通航させるための措置だったと証言した。
冷戦時代に日本領海を通過・寄港した一部潜水艦は核兵器を搭載しており、小田氏は核持ち込み問題も念頭に置いた政策決定だったと指摘した。小田氏が、米軍潜水艦の自由通航を優先した経緯を著書で明らかにしようとした際、外務省が真相公開を阻止していたことも分かった。
この問題では、核戦争計画にも参加する潜水艦通航への支障を恐れた軍の意向を反映し、米政府が津軽海峡などの領海を拡幅しないよう対日圧力をかけた実態が米公文書で分かっており、証言はこれを補強している。
小田氏は共同通信とのインタビューで、77年施行の領海法で日本が領海12カイリを採用しながらも、5海峡を「特定海域」とし、領海幅を3カイリに据え置いた理由について「(米軍の)潜水艦を通してやりたい」からと言及。
「(12カイリ領海にすれば)津軽海峡は日本の領海になる。だから、日本が『核の持ち込みを認めない』『(領海内は)潜水艦を必ず浮上させる』と言うためには、12カイリにしてはだめだ」と、世界的にも特異な日本の領海制限が決まった背景を指摘した。
同氏によると、当時、津軽海峡全域が領海となれば、米潜水艦は浮上して航行しなければならず、こうした事態を避けるため、領海幅を据え置いた。
2009/10/17 16:35 【共同通信】